novel | ナノ

どうしたらやめられるのかわからない。やめたいのに、やめたら楽になれるのに。

ぽきっと軽快な音がして、はっと我に返った。まだ真っ白なルーズリーフの罫線に、細かな粉末とともに折れたシャー芯がころがっていく。それがなんだかすごく不快で、さっと書きかけの数式のうえから払いのけたら手の側面がすすけたように黒くなった。

集中できない。

いらいらしながらうす暗がりのなか、スタンドの明かりをたよりに時計を確認する。ふたつの針は仲良くよりそって、右に傾いていた。

今まで生きてきて徹夜するほど勉強したのって、いつぶりだろう。たぶん数年前の受験期以来なんじゃないかな…。あのころはきらきらした目標があって、それに向かって一歩一歩すすんでいる感じがたしかにあった。勉強は決して楽しくはなかったけれど、どうしても手にしたいものに確実に近づく感覚が重たいこころを軽くしてくれた。

自分のちからがどんどん目に見える、その様子がすきだった。何度も息継ぎをして、青い空間にからだを進めていけば見えてくるゴールが、ずっとすきだった。

出口のない、終わりのない…循環するようなきもちをどうしたらいいのかわからない。わからないからこうして、結局逃げることしかできない。

グリーンは私を嫌うかな。休んだわけでも具合が悪いわけでもないのに、いつもの場所に行かなかった私を怒るかな。……待ち合わせしてたわけじゃなくて、ただずっと…入学してはじめての定期テストのころからつづいていた、何の約束もかたちもない、変なきずなを断ち切ってしまった私を。


『あれ…、何おまえ、ひとりで勉強してんの?』
『…え?ふつう勉強ってひとりでするものじゃないの?』
『あー、まあ、そうだけどさ…』


1年ちょっと前の中間前、ひとりで残って勉強してたのはたまらなく不安だったからだった。中学のころは学校の勉強なんて、とサボり魔だった私だけど、高校の授業はそれまでのうのうとしてきた私にとってはあまりにハイレベルで。だけど受験のあいだに身につけた知識というちからは、同時にべつのものをも伴って、私をこの高校につれてきていた。

つまり私にも、負けたくない、というプライドがあったんだ。わからないけどわかりたい、テストでいい点を取りたいと思うきもち。

私は中学の数学、理科とはあまりにかけはなれた理系の世界に混乱していたから、わからないことがあったらすぐ先生に質問しに行くつもりで残っていた。けれど受験が終わったばかりの高校1年生のなかに、学校に残ってまでテスト勉強をする子なんてほとんどいなかった。

みんな帰ったあとの手頃な空き教室で、テスト範囲だぞーと配られたプリントとにらみあっていたところだったから、同じクラスの男の子がまた残っていたことに、あのときはちょっとびっくりした。

ひょっこりドアから顔をのぞかせたのが、クラスの子が格好いいよねと騒いでいたバスケ部のグリーンくんだったのにもびっくりしたけど…そのていどだった。あのころは、まだ。


『わかんねーとこでもあんの?』
『んー、うん。そんなところ。グリーンくんもテスト勉強?』
『いや、オレはテスト範囲のプリントもらいに行ってただけ』


しゃべりながら、グリーンくんはひらひらと持っていたプリントを示して見せた。そっかとあいまいに相づちを打って、私はプリントに視線をもどす。あんまり長話してる時間でもないし。

そのままグリーンくんは帰るんだと思ってたのに、半開きだった教室のドアをがらりとひらく音にびっくりしてまた顔をあげた。


『グリーンくん…?』
『今から帰っても勉強にならねーし、やっぱオレもここで勉強して帰るわ』


よっ、とグリーンくんが腰をおろしたのが自然にとなりの席だったのに、なぜか心臓がぐらりとゆれたのを今でも覚えてる。しかも、肩にかけていたカバンをひらいて机のうえに出していくものがぜんぶ理系科目…つまり私の苦手なものの参考書だったからすごいなあって思ってた。

しばらくはそのまま黙々と勉強をしていたはずだったんだけど、一向にすすまない私のシャーペンが気になったのか、いつの間にかグリーンくんに教わることになっていて。


『だから、これはこうなんの』
『え…なんで?』
『……お前、ひとのはなし聞いてたか?』
『聞いててもわからないの!』
『…まじかよ…』


呆れられたような口調に、ぐっと熱いなにかがおなかから鎌首をもたげた。それの名前もわからないうちにじんわりとにじんできた視界にあせったけど、なんとかグリーンくんにばれずに済んだらしい。実際ここに受かったのだって、苦手な数学を得意科目でカバーすることができたからで、苦手を克服できたからじゃない。

グリーンくんは、がんばっても苦手を克服できないきもちをしらないから…!

こぼれそうになる本音が、ひどくするどく尖っていることは自覚していた。していたからこそ我慢することができたわけで、もしそれを自覚していなかったら、私は迷いなくあのとき…初めからグリーンを傷つけていた。私が傷ついたのとおなじ分だけ。

そしてもしグリーンを傷つけていたら、私はいま、これほど苦しまなかったかもしれない。


『わかった、じゃあ初めっから教えるから。…ちゃんと聞けよ?』
『…うん』


ごめんね、と勝手にくちをついて出たつぶやきに返ってきた気にすんなはやわらかくて、またじんわりとにじみそうになるひとみでグリーンの説明をじっと見ていた。たった1年前を、あんなに前だと感じるのはどうしてなんだろう…。

ぽきり、とまたシャー芯が折れる音がして、私はまたはっとする。あわてて時計をたしかめれば、背高さんはきっかり90度をめざしているところだった。ルーズリーフは真っ白なままで、あざ笑われているような気さえしてしまう。
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