「すみません、お手洗いってどこにありますか?」 「あちらの突きあたりを右に曲がって、右手にあります。私、案内しますね」 「えっ、でも申し訳ないので…」 「私も用事があるので、お気になさらずに。…じゃあなまえ、先に食べててよ」 ぺこりとあたまを下げて、子連れのお母さんを案内していくなっちゃんを見送ってから、私はたべていた焼きそばに意識をもどした。一年生の出店なのに、この焼きそば、なかなかクオリティが高い。すっごく美味しいのに250円って…元とれてるのかな。 午前中いっぱいに、クラス企画(お化け屋敷の受付)、部活の出店(クレープづくり)のシフトを詰めておいたから、すでに身体はくたくただ。だけどこれからが本番で、友だちのバンドが参加するライブとみんなのクラス企画を見てまわったり、後輩をからかいにも行く予定だった。 そのためにはひとまず腹ごしらえ!と、なっちゃんとふたりで買いあさった出店の食べものたちは、今やベンチのうえに山積みになっている。焼きそばをはじめとしてたい焼き、たこ焼き、わたあめ、りんごあめ…縁日にいるみたいだけど、これはあくまで文化祭。 ライブ開始まであと30分はあるし、なっちゃんは大食らいだし大丈夫、きっと間に合う。 「あ、おいなまえ」 「なっ、えっ…グリーン!?」 疲れのせいかぼんやりしながら人並みをながめていたら、とつぜん後ろから肩をたたかれてぎょっとした。…あれ、これってデジャヴ? 既視感を覚えながらもおもわず目をみひらくと、それがあまりにびっくりして見えたらしく苦笑いを返された。 「んなに驚かなくてもいいんじゃねーの?」 「だって、じゃあ後ろからはなしかけるのやめてよね」 「しょうがねーだろ、お前がオレに背中向けてんのが悪い」 「なにそれ…」 あまりにめちゃめちゃな理論にげんなりしたら、グリーンはからかったつもりらしくあははと笑われた。さっきからずきずきとうるさい心臓が、いつものように私のなかで嵐を巻き起こしている。 むしろ、こんなふうに普通にしゃべることができているだけでもすごいんだ、私にとっては。口をついて出てしまいそうな疑問や感情を必死でおしこめるのだけでも相当なちからがいるのに、それを顔に、態度にださないように全神経をつかっているんだから。 「…で、何の用なの?」 「そうそう、それひと口味見させてくれねえ?」 は、と私はくちを開けっ放しにしそうになって、あわててあごにちからを入れ直した。聞きまちがいかもしれない。うん、そうにちがいない。 真っ白になりかけた意識を、全力で引っぱりもどす。どうにかぎこちなくならないように、隙なんか見せないように、できるだけくちびるをゆがめてみる。 「…なに言ってんの」 「だーから、それひと口くれってこと。美味ければ買おうと思っててさ」 私の座るベンチの背もたれに腕をついて、それ、と後ろからグリーンが指さすのはあきらかに、私のひざにある焼きそばだ。だけど割りばしは私のとなっちゃんのしかないし。 グリーンがなにを考えているのかわからない。もしかしたら、なにも考えてないのかもしれない。本当に、ただ焼きそばを買うかどうか迷ってて、試食したいだけかもしれない。 顔も名前もしらない、存在すらたしかじゃないグリーンの彼女さんの影が脳裏をよぎり、そして消えた。 「べつに食べなくても、口コミでいいでしょ。美味しいよこれ、すごく」 「ケチんなって、美味かったら買うけど」 「け…」 けち、と言われて黙ってはいられなかった。どっちかっていうと、美味しくなければ買わないと言い切るグリーンの方が250円をけちってるんじゃないのかな。 だんだんもういいや、どうにでもなれってきもちになってきて、パックごとはいと後ろ手に押しつけるように手わたす。グリーンはうれしそうにサンキュとつぶやいて、何のためらいもなく…そう、躊躇もなく間もあけずに、私のはしをつかってするりとひと口、ソースの香ばしい麺をすすった。 もぐもぐとグリーンが咀嚼をし、味わってのみくだすまでそんなに長かったはずがないのに、どくん、どくんと明滅する心音が私のなかでおおきくひびいて、私の思考回路をまっしろに染めていく。 無意識に、セーターのVネックあたりをぎゅっとつかんでいた。 「ん、ありがとな」 「…うん」 「買ってくる」 返されたパックを受けとる手がふるえていたことに、グリーンは気づかなかった。ぱっとあっけなくベンチを離れていく背中にかけることばは、どんなにあたまのなかを探しても、ひとつだって見つからない。 110819
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