ちくっとちいさな痛みが、ぼんやりした意識を覚醒させた。 何ごとかと眉をひそめながら視線を落とせば、黒い布をぬいつけていたはずの銀色が、ぶっすり私のゆびに刺さっているのが目に入ってぞっとした。 「ちょっ…なまえ!あんたなにやってんの!」 「…うん。やっちゃったね」 「やっちゃった、じゃないでしょもう!ほら保健室いくよ」 となりでグレーの衣装をぬっていたなっちゃんがおおげさなまでに騒ぐから、ちかくで遊んでいた男子たちがどうしたどうしたとやってくる。ボール代わりにされていたまるめた新聞紙が、向こうの壁にぶつかってぼとりと床に落ちる。 友だちに手首をつかまれたままの私のゆびを代わる代わるに見ては、グロいとかなんだとか言ってくる集団を無視して、わが友は教室から私を引きずりだした。 「……ねえ、なまえ」 段ボールを真っ黒にぬりつぶしたり、かたわらで箒で遊んだり、やかましいのはホームクラスにかぎらない。あちこちの廊下でもくりかえされる似たような騒ぎをぬけ、ふしぎと静かな職員室塔まで来て、なっちゃんはようやくぽつりとつぶやいた。いつだって明るくておしゃべりな子だから、黙ったままの様子になんとなく予想はしてた。 ばれてるんだろうなってことくらい。 「言いたくないんだろうなって思って、今まで黙ってたけど…。なまえがはなしてくれるのを待とうって思ってたんだけどね」 「……うん」 「もちろん言いたくないなら言わなくていいんだよ。だけどね、けがするようだったらはなしは別だと思わない?」 ずきん、ずきんと指先が痛みはじめる。さっきまで止血するように手首をつかんでくれていた手がいつのまにか離れているから、患部に血がまわりはじめたのかもしれない。 内側にひそむにぶい痛みにまじる、刺さるような痛みは何が原因なんだろう…わからない。なっちゃんはふり返らなかったけれど、水泳帽にじゃまにならないようなベリーショートの襟足は怒っているみたいだった。がらがらと、保健室の納戸がひらく。 「せーんせー!なまえの生傷が絶えません!」 「ええ?またなまえちゃんなの?」 「そうなんですよー、なんとか言ってやってください!目が離せないです」 「すみません…」 「ふふ、なっちゃんはなまえちゃんの保護者みたいね」 「あらまあ先生、うちの子がいつもお世話になってます…」 先生にちゃかされたなっちゃんが、それは見事に典型的なお母さんのまねをするものだから、私も先生もおもわず笑ってしまった。すごく久しぶりにこころの底から笑ったみたいで、重たい石がすとんと切り離されて軽くなる。 呼吸もすこし、楽になったような気がする…今まで苦しかったわけじゃないはずなのに。 消毒は染みて痛かったけど、思ったより深い刺し傷ではないよと先生は笑って、あろうことか絆創膏のうえから指をぎゅっと握ってきた。 「っぎゃー!何するんですか!」 「これくらい刺激をあたえた方が治るのよ」 「えええっ」 「っていうのはうそだけど」 はっ?とおもわず動きをとめた私となっちゃんを交互に見て、先生は私のだいすきな、きれいな笑みをうかべた。 「これに懲りたら、なまえちゃんはもっと自分の身体を大事にしなさい」 「…はい…」 私はうなだれてうなずいてみせた。くすくすとかたわらでなっちゃんが笑うのをじろりとにらんでみるけれど、「お母さん」にはぜんぜん効かなかった…くやしい。 壁際の空っぽのベッドに斜陽が差している。 110816
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