novel | ナノ

「ちょっ…レッド!」
「……」


レッドは私の呼びかけに答えず、ただぐいぐいと引っ張る私の手首をにぎるちからを強くした。

もうずっと帰ってこなくて、グリーンといっしょに毎日心配してたっていうのに、とつぜん帰ってきたと思ったら無言で手首をつかまれて。なんだって言うんだろう?

…本当に、このレッドはあのレッドなのかな、なんて、ぱっと見あたまがおかしいみたいなことばだけど。


「ねえちょっと、レッド!痛いってば!はなして!」
「……いやだ」
「いやだって…あのね」


やっと口をきいたかと思えばこのセリフ…。かれこれ三年ぶりのことばが、「いやだ」ってどうなの?

いくらレッドをすきでも、私はいいなりになるようなかわいい女の子ではない。あまりに一方的にずんずん足を進めるレッドに嫌気がさしてきた。肩に乗っているピカチュウが、申し訳なさそうにこちらを見ていなければ、もうとっくにしびれを切らしていたところ。

いらっとした感情のままに手を振り切ったら、おどろいた表情をしたレッドがふり返る。面影はのこっているものの、端正な顔立ちに私の心臓ははねる。前はかわいらしいという感じだったのに、ずいぶんと大人びた。オレンジのひかりが世界の陰影を濃く、深くしている。


「いい加減にして!」


本当は、もうちょっと格好がつくはずだったんだけど。

風のようにやってきたと思ったら流れるように手をとられてこんな、トキワの森ちかくまで連れ去られてしまったから、私の心臓はレッドに対する抗体がまだできていなかったみたい。ばくばくとうるさい。

それを押し隠そうとしたら、びっと指を突きつけるかたちになってしまった。自分に向けられた私の指先を、レッドはめずらしく感情をあらわにした表情のまま見つめる。肩のピカチュウも、びっくりしている。


「いったい、何なの?とつぜん帰ってきたと思ったらあいさつもなしに」
「…ひさしぶり」
「今さらあいさつしたって意味ないでしょ、ばかっ!」


…やっぱりレッドってずれてる。変わらないことがわかって安心したのか、あったかいものがじんわりと心臓を落ちつかせていく。

気がついたらそれは目頭にたまっていて、あ、と思うまもなくこぼれおちた。ただでさえおどろいていたレッドが、さらにぎょっとしたように身じろぎをして、あわてたように近づいてきた。


「…ごめん」
「な、何が?」
「また、泣かせた」
「また?」


近づいてきたくせに、レッドは私に触れるかどうか悩んでいるみたいに手を宙にさまよわせた。手のひらでごしごしぬぐいながら指のあいだから見てみれば、なんだかひどく困惑した表情をしていてびっくりした。…レッドは旅にでて、表情筋をきたえたのかな。

ピカチュウがぴょんっと私の肩にとびのってきて、ぽんぽんとあたまを叩いてなぐさめてくれた。


「…オレがマサラタウンを出たときも、泣いただろ」
「…そうだっけ」
「そうだよ。それでずいぶん、苦しかった」


私は、責められているのかな。だけどやけにちかい位置にあるレッドの顔はそういうふうには見えなくて、引っこんだ涙はぼんやりと、不思議なきもちを呼び起こす。

苦しかった、ってレッドは言うけれど、私だって苦しかった。レッドがいないマサラタウンは色をうしなって…今ではちゃんとすべて取り戻したけれど、それだってすごく時間がかかったのに。

知らないあいだに、不満げな顔をしてしまったらしい。レッドがようやく、ちょっと微笑んだ。


「だから帰ってきたんだ」
「…なあに、それ。帰らないつもりだったの?」
「そうじゃない。…けど、もっと遅くなるかもしれなかった」


レッドが何を言っているのかを私が理解するよりはやくレッドの両腕がのびてきて、まばたいたときにはレッドのぬくもりを、全身で感じていた。


「ただいま。…すきだったよ、ずっと前から」


量ったように耳もとでささやく低い声に、おもわずふるえた。背中にまわったレッドの腕がそれを知らないわけがなく、くすりと落ちてくる吐息さえ、鮮やかだった。

きらきらと色づいた世界がまぶしくて、返事の代わりにレッドにしがみつく。


20110723~110806
天使のわすれもの/suger&spice
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