汗、なんて単語とは無縁のひとだと思ってた。 そんなこと言ったらきっと、きみは僕のことを人外のものだと思ってたのかいなんて言われてしまうんだろうから、言わないけれど。 「マツバさん、…だいじょうぶですか?」 「ああ…、うん。寝てしまったのかな」 ぐったりと畳にころがっていたマツバさんが、目の上にのせていた腕をずらしてうっすらと目をひらく。 いつも高い位置にあるひとみが、かすれた熱をはらんで見あげてくるのにどくりと、心臓がいつもとはちがう動きかたをした。…なにこれ? 首をかしげているまもなく、マツバさんがちからなく笑う。私はあわてて雑念をとりはらい、お盆にのせて持ってきたお水と、保冷剤をうすいハンカチにくるんだものを手わたした。 「…これは?」 「首すじの血管にあててください。マツバさん、軽い熱中症ですよ」 ぼんやりした表情のまま、マツバさんは私の指示どおりにそれを首すじへあてがう。そこにつうっとたれていく透明で塩からいものに釘づけになりそうな視線を、むりやりに意識からそらした。 かたむいた陽のひかりが、網戸にかかったすだれのむこう、日本庭園にきらきらと落ちている。カナカナとひぐらしが鳴いている音だけが、うす暗い部屋にひびいた。 「…マツバさん」 「ん?」 「熱中症になるまで、何をしていたんですか」 しばらく黙っているうちにだいぶ意識がはっきりしてきたみたいで、きちんと応答してくれたことを見きわめながら問いかける。 熱中症は軽いものだったからよかったけれど、もし居候させてもらっている私が今日、はやく帰ってこなかったらと思うとぞっとしてしまう…。 どんどん量のへっていくひかりから、ようやくマツバさんに目をうつしたら、マツバさんはこちらを見ていて、目が合ったとたんに、にっこりと微笑んだ。 「…だいじょうぶだよ、ただの夏バテだから」 だから、そんな顔しないで。 眉をさげて私のあたまを撫でてくれる手は、いつもと変わらずに温かかった。私、どんな顔しているっていうんだろう。 気がついたときにはほおを伝っていった透明なそれを、マツバさんは撫でてくれていた指でぬぐって、それをくちびるに持っていってぺろりとなめた。そしてまた、ふにゃっと笑うんだ。 「…しょっぱいね」 やめてくださいと言うことのできない心臓が、またうずいた。ねえ、わざとやってるんですか? 20110702~20110709 夕日色メランコリー/suger&spice |