novel | ナノ

長い夏の日もとっぷりと暮れたころ、ポケモンセンターのカウンター前には、この前知り合ったレッドさんがいた。

私はちょうどシャワーを浴び終えて、夕食を食べに、部屋がある上の階から降りてきたところだった。


「こんばんは!」


前に会った時と寸分違わず、肩にピカチュウを乗せてリュックを背負ったレッドさんは、足を止めた私の挨拶に振り向き、こくりと会釈した。


「ぴぃか、ちゃあ」
「こんばんは、ピカチュウ!」
「ぴ!」


相も変わらず無表情なレッドさんと対称的なほど満面の笑みで、ピカチュウが小さな手を振ってくれた。…か、かわいい…!

私が骨抜きになったことを確信したのか、ピカチュウは急に飛び付いてきた。慌てて抱き留めると、…意外と重い。レッドさん、肩こらないのかな…。


「レッドさんもここに泊まるんですか?」


ピカチュウを抱き締めながら、背の高いレッドさんを見上げれば、カウンターに片肘をついていたレッドさんは首を振った。


「……飯」
「?」
「食べに来た」
「ああ!そうなんですか。ポケモンセンターの食堂おいしいですもんね!私も大好きなんです」
「ぴかっ」


ピカチュウが高らかに同意してくれて、ねー、なんてふたりで笑っていたら、突然信じられないことが。

ふ、とレッドさんが笑ったんだ。一瞬だったけど。一瞬後には、元に戻ってしまったけど。

私が彼の無表情が崩れたのを見たのは初めてで、出会ったのは二回目なのに、もっと見たいなんて、欲張りで、…到底無理なことを思ってしまった。


「お待たせいたしました、みんな元気になりましたよ」
「……どうも」


ぺこり、と軽く頭を下げてモンスターボールを受け取るレッドさんの横顔を、もう一回笑ってくれないかと、私は馬鹿みたいに見つめてた。

レッドさんはそれに気付いてないみたいで、ボールをベルトに付け終えてからようやくこちらを見た。唐突に視線がかち合って、どっきりした。


「……で」
「えっ!?あ…はい、何か…」
「食べるの?」
「……?」


つい、不自然に目を逸らしてしまったんだけど、レッドさんはそんなこと全然気にしてないのか、変わりなく尋ねてくる。


「何をですか?」
「夕飯。これから」
「あ、はい。私今日はここに泊まるので…」
「じゃあ、行こう」


え、と問う間もなく、気がついたらレッドさんは歩きだしていた。腕のなかでピカチュウが鳴いて、私を促す。


「ぴかちゅ?」
「あ、うん」


私はうなずいて、レッドさんの後を追った。食堂は静かだった。今夜ポケモンセンターに泊まる人は少ないみたいだな、と思いながら首をめぐらせた私は、窓際の隅の席で、また信じられないものを目にした。


「……やっと、来た」
「すみません…。あ、の、…レッドさん」
「何?」
「何でこんなに…」
「…ああ、」


いつの間に注文したのか、レッドさんの座っている席には、軽く五人前はありそうな食事が並んでいた。唖然とする私に、レッドさんは改めてテーブルを見回し、納得したような声を上げた。


「三日ぶりだから」
「……え!?」


半ば、聞き間違いかと思った。三日ぶりって、まさかとは思うけど、食事が…ってこと?

いつの間にか腕から肩によじ登ったピカチュウが、おろしたままの少し湿った私の髪をつい、と引っ張って、


「ぴーかーちゅう」


ちょっと困ったような顔をした。


「…ええ!!?」


ぎょっとして、私はレッドさんを凝視した。レッドさんは少しばつが悪そうにして、私の肩のピカチュウを恨めしそうににらむ。…こ、怖い。

レッドさんが、色々と普通じゃないのには気付いてたけど、まさかそんな生活だったとは思わなかった。


「れ、レッドさんいつもそんな生活なんですか?」
「いや…」
「ポケモンセンターがあるのに?」


ポケモンセンターは、物凄くお手軽な値段で食事ができるし、宿泊はトレーナーカードがあれば無料。

一気に五人前頼める様子を見ると、金銭的問題ではなさそうだし…。

どうして、と尋ねると、レッドさんはしばらく言いづらそうに黙っていて、それから諦めたように小さく、小さく息を吐いた。たぶん、ため息だ。


「普段、近くにポケモンセンターがないから…食料が尽きると、……三日くらいは、食えない日がある」
「近くにないんですか?」
「うん」
「どうし…」
「山だから」


山? 私はまばたいた。肩のピカチュウが、髪の毛をいじるのに飽きたらしく、ぴょんっ、と可愛い音を立ててテーブルの空いてる場所にうまく降り立った。


「山って、どこの…」
「…………シロガネ山」


ひどくひどく言いづらそうな小さな声だった。ほとんどささやくような単語なのに、私にははっきり聞こえた。

シロガネ山。特別許可が降りないと入れない、最高峰に険しい山。物凄く強い野生ポケモンが生息する、カントー一の山。……。


「………レ、」


びくり、とした。言葉を発した私も、見上げてくるレッドさんも。


「レッドさんて、すごいトレーナーなんですね…」


私がつぶやくように押し出せば、レッドさんはまた、ため息と言うには小さすぎる吐息をはいた。


「…だから、いいたくなかったのに」
「ぴーかぁ…」


ふるっと同意するみたいにピカチュウの耳が震えたけど、私には意味が分からない。知られたくなかったってこと?でもどうして。


「食べないの」
「え…?あっ、た、食べます」


結局その日、私はレッドさんにおごってもらってしまった。レッドさんは、負け続けで私が金欠なのを見抜いてたみたいで、いとも簡単にジョーイさんにお札を渡しながら、がんばれって頭をぽんぽんとしてくれた。

触れられたのは初めてで、くすぐったいし恥ずかしかったけど、前より親しくなれた気がして嬉しかった。


「あ、あの、絶対にいつか返しますから」
「いいよ」
「でもっ…」


シロガネ山に戻るというレッドさんを見送りに出た先で、まだ会うのも二回目なのに、と焦る私を見ていたレッドさんは、急に思いついたように言った。


「……それなら」
「はい!」


ただでおごってもらうのは納得いかなくて、何かできることがあるのかと私は身を乗り出した。そんな私に、レッドさんはまたお財布からお札を一枚取り出して、差し出してきた。


「…ええと」
「今度、麓のポケモンセンターに差し入れして」


これで、とふたつ折りにされ、レッドさんの長い指に挟まれたお札。私はそれを受け取った。


「あのっ、…いつ、行けばいいですか?」


ボールからポケモンを出そうとしたレッドさんに、私は慌てて尋ねた。レッドさんはきょとんとして、それからなんと、また笑った。


「電話、してくれればいいから」
「え、まっ…」


バサッ、と羽音がしたと思ったら次の瞬間、ひどい突風がおろしっぱなしの髪を巻き上げた。待って、の言葉も、風に巻き込まれてく。

思わず目をつぶって風に耐え、おさまった頃に開いたらそこにレッドさんはいなかった。

え…!私、レッドさんの番号知らないんだけど…どうすれば!シロガネ山になんて、登る以前に入れないし…!!

半泣きになりながら手渡されたお札に目を落としたとき、ふたつ折りされたお札の間に挟まれた紙を見つけてまたどきりとした。

かすかに震える指で開いてみれば、丁寧だけど意外と拙い数字だけが並んでいて、なんだか緊張が解けた私は、思わず笑ってしまった。レッドさんて意外と、子供っぽいのかもしれない。……失礼だけど。

レッドさんの好きなものも、嫌いなものも知らないけど、いいのかな、私なんかで。その小さな紙を軽いお財布にしまって、私は明るいポケモンセンターへ引き返した。
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