年度の始まりは、いつも期待と不安と決意に満ちていたのをふと思いだした。 高校に入学した日、進級した日、程度はちがっても、そこにはかならず出会いと別れがあった。クラスが変わればだいたい話せなくなるんだ、ちょっと話す程度の男子とは。 放課後、先生に一時間目の授業でわからなかったことを聞きに来たんだけど、まだ授業から帰ってきていないらしく職員室には見当たらなかった。仕方ない、待とうかな。 邪魔にならないよう壁に張りついたまま、窓からはらはらと風に散る黄色や赤や茶色をぼんやり見ていたらとつぜんぱしりとやわらかく頭をはたかれた。 「よ、相変わらず暇そうな顔してんなー」 「…グリーン…」 「はは、そう睨むなって」 寂しげなさくらの木から戻した視線の先にグリーンをとらえたとたんに、大きく脈を打った心臓が、ずきりと悲鳴をあげる。 ふさがりかけていた場所が、大きく動いたせいでまた裂けてしまったみたい。なにも知らずにへらへら笑っているグリーンが恨めしい。逃げたいのに叶わない。 「お前が理系科目聞きに来るなんてめずらしいじゃん」 私の抱えたノートにめざとく化学の字を見つけたグリーンがにやにや笑う。いったい誰のせいだと思ってるの、と言えたらどれだけ楽なんだろう。電子辞書に刻まれた、日本人ならまず調べもしないような、なんてことないことばがぐるぐると渦巻く。 「べつに……そろそろ受験のことも視野に入れて、苦手科目から埋めていこうかなって思って」 力なく笑って、力ない嘘をつく。意外なことに、グリーンはへらへら笑いを消して、驚いたような顔をして目を見開いた。 見たことのないような表情に、悲鳴を上げつづける心臓をふと忘れた。傷つけられるものとはちがう、あのわしづかみにされるような心地よい痛みを感じる。 「……何?」 「いや…。お前ってさ、…」 「はっきり言いなよ、怒んないから」 めずらしくグリーンは口籠もった。片手を首の後ろにやる、その仕草にふと同じクラスだったころを思い出す。 ちょっとごめんよ、とグリーンの後ろを先生が通っていって、グリーンはあわてて謝りながら自分も私のとなりの壁に背をつけた。 「…そういやお前、化学聞くんじゃねーの?」 「え?」 「先生帰ってきてるぜ、ほら」 首の後ろに回していた手でひょいと指差すグリーンにあわててそちらを向けば、たしかに先生は帰ってきていた。あわてて壁から身を離す。他のひとが質問をはじめちゃうと、へたすると30分以上待たされるから急がなきゃ。 歩き始める前にグリーンを振り返ったら、理系科目がんばれよとにやにやされた。とつぜん現実に戻ったみたいにまた、心臓が軋みだす。痛くてたまらない。 余計なお世話だって口を開く前に、またあの文字が頭をよぎった。 「……ありがとね、グリーン」 返事も表情もみたくなくて、ひどく勢いよく先生のところに近寄った。びっくりしたみたいに見上げてくる先生に、どうしても言ってしまいたくなった。 「先生、私、化学苦手なんです」 先生はすこし目を見開いた。なぜか、抱え込んでいたノートの淵につめあとがついているのに気がついたのは、それとほぼ同時のこと。 ace/110219
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