novel | ナノ

いちごの甘い香りがふわふわと嗅覚をくすぐる。まるでためされているみたいで、ぷるぷると震える腕の痛みとうらはらに、私はごくりとなまつばを喉下した。

すこし朝もやの混じる日差しに照らされて、サンヨウジムに届けられたばかりの新鮮ないちごはきらきらと宝石みたい。

トラックのコンテナから、みんなで手分けして箱詰めされたそれらを運びこむ最中、私は誘惑に負けて思わず立ち止まっていた。


「なまえ」
「はいぃっ!」
「…ずいぶん元気がいいですね」


唐突な呼びかけに過剰反応してふり返った私の目に、私の何倍ものいちごの箱を抱えて、冷たい目をしたコーンくんが映った。

コーンくんが不機嫌なのはいつもだから別におどろきはしないけど、よりによってコーンくんに見つかったことは…正直に言って、最悪。

いちごの誘惑は一瞬にして吹きとんだ。


「まったくあなたはそんなに元気がありあまっているのに、こんなに忙しいときにサボるなんて」
「…すみません」
「謝るくらいならさっさと動いたらどうですか」


氷みたいに薄くない、深い海のような色をしたひとみがついっと反らされる。すれ違うときに視界の隅でさらりときれいな髪が流れて、思わず目で追ってしまって悔しくなった。

コーンくんはいつも、私にだけこんな叱り方をする。研修を受け始めた頃からだから、ほとんど最初っから。

はじめは私がバイトだからだと思ってたけど、その説はすぐに打ち消された。誰かが失敗をしても、コーンくんはお客さまに接するのとなにも変わらない笑顔でやさしく叱っているし、それはバイトの子にも、ジムトレーナーのウエイターやウエイトレスの先輩たちにも同じことだから。

レストランの食物庫に向かいながら、ため息をつく。いちごは相変わらず重たくて、ひっぱられて気持ちまで沈んでくる。

嫌われてるのかもしれない。

一度、デントくんやポッドくんにきいてみたこともあったけど、ふたりともにっこりにやにや笑うだけでいずれわかるんじゃない、なんて他人事なアドバイスしかくれなかったし。

もともとは私だってレストランのお客さんだったわけで、あの頃はコーンくんも、あのとびきりの笑顔を向けてくれていたのに…。


「なまえ、今のあなたの仕事は何ですか」
「っ!ごめんなさい、すぐかかりま……ポッドくん…?」


いちごをぜんぶ運び終えて、みんなばたばたと次の仕事に取りかかっている。ひとり荷物を置いたあと、箱の前でぼーっとしてしまっていた私をめざとく見つけたコーンくん…じゃなくポッドくんは、ぜったいれいどみたいな威力を持つコーンくんの口調をそっくり真似してきた。

びっくりしすぎて放心する私を見て、ポッドくんはけらけら笑った。


「ははッ、なまえ、お前本当にコーンが怖いんだな」
「まさかっ!怖いなんてこと」
「大丈夫、本人には言わないって」


ぽんぽん、とポッドくんは私の頭をやさしく叩いた。ぱっと見はぜんぜん似ていないのに、見上げるとん?なんて首をかしげながらにこにこと笑う、その仕草にどことなく共通点がある。

それがお客さんだったころに向けられた笑顔と重なって、急に悲しくなった。


「…私、」
「そうそう、はっきり言っちゃっていいぜ!コーンもやりすぎだしな!」
「バイトやめたほうがいいかもしれないです」
「…はぁ!?」


ぎょっとしたように目を見開いたポッドくんの顔が見ていられなくてうつむく。嗚咽が出そうになるくちびるを噛みしめて、きれいに掃除された床の木目を見つめる。

こつ、と聞きなれた靴音が部屋に響いた。


「…何をやっているんですか」
「げ……コーン」
「ポッド。いちごを取りに来ただけじゃないんですか?みんな材料がこないので困っています」
「あーはいはい、わかってるって」


肩をすくめたポッドくんは私の頭から手を離し、さっき私が置いたばかりの箱を軽々と持ち上げる。

そしてコーンくんを振り返った。


「コーン、お前やりすぎ」
「余計なお世話です」


今まで聞いたなかでもいちばんじゃないかって思うくらい、どこまでも冷たい声でポッドくんのことばをさえぎったコーンくんが、こつこつと靴音を鳴らして入ってくる。

息を殺していた私の心臓が早鐘を打った。仕方ねーやつ、と憎まれ口をたたきながら出ていく、そんな余裕のあるポッドくんがすごくうらやましい。

とうとうコーンくんとふたりになってしまった。泣きそうだけど、泣いたら負けのような気がするからひたすらうつむいて、コーンくんの靴をにらみつけた。


「……なまえ」
「はい。すみませんでした…」
「手を出してください」


何を言われたのかわからなくて、思わず顔を上げてコーンくんを見上げた。藍色の目は電灯の光に陰っている。

どきりと高鳴った鼓動は、今までとはちがって、お客さんだったころに感じてた懐かしい感覚で……あれ?


「聞こえなかったんですか?手を出してください」
「あ…はい…すみません」


混乱しながら握手をするように手を出したら、ぬくもりにつつまれた。


「不恰好で飾りにならないので」


上に向けられた手のひらに、ころんと冷たい赤色が落とされる。

特別ですから他のひとには秘密ですよといたずらっ子みたいに笑ったコーンくんがくれたいちごはちいさかったけど、とびきり甘くておいしかった。
110307
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