学パロ かりかりと、ひたすら黒芯の削れていく音だけが弾けている。 影の傾いたふたりっきりの教室、とびきりのシチュエーションが台無しなのは言わずもがな、さっきからいっしょにいるひとりの人間より一枚のプリントに夢中なNのせいだ。 べつに集中してるNを見ているのはきらいじゃない。若草のきれいな髪からのぞく整った顔立ちはまじめで、思わずどきりとしてしまう……んだけど。 「……N?」 「……」 この調子で無視されつづけるとさすがの私にも堪えるわけで、…こんなことならあんなプリント、渡さなきゃよかったな、なんて。学校でふたりっきりになれることなんか、めったにないのに。 数学に熱中するNの正面にひっぱってきた椅子から窓際に近づいたら、薄墨色の空気にボールのにぶい音がひびいた。 開いた窓から入る風が気持ちよくて、手すりに両手をついて身を乗りだした。遠目に見える人影が蹴りあげた白いサッカーボールは名残り日にあたってきらめく。だれかの怒鳴り声がズレて聞こえる。 たしか音速は秒速で320mだから…… 「15℃でだいたい秒速340mだよ」 振り向いたらいつの間にか隣にいたNが、同じように手すりに両腕をかけて風に吹かれていた。シャツを肘まで捲り上げているからすこし寒そう。 遠くの方を見ていたNは、びっくりしてまばたくしかできない私を不思議そうに見た。 「どうしたの?」 「だって、なんでわかったの?」 「ああ、そんなことか」 くすっと笑うときにちいさく肩をすくめるのはNのくせで、本人は気づいていないみたいだけど、それがひどく大人っぽい。 Nはそれから、手すりに突いていた腕の片方で、私の頭をぽんぽんとやさしくたたく。 「なまえは気づいてないみたいだけど、キミはすぐ顔にでるんだよ」 「えっ!」 とっさに手すりから両手を離して顔をおおった私の耳に、楽しげな笑い声がとどく。それに比例して、どんどんほおが熱くなった。 「恥ずかしがることないのに」 「恥ずかしがることでしょ、どう考えても」 「どうして?」 「どうして、って…言われても…」 返す言葉が見当たらなくて、自分の手のひらを見つめながら話題の転換を試みる。 「あっ、それよりN、プリントは終わったの?」 「うん、もちろん終わったよ。ありがとうなまえ」 「えっ?」 とつぜんお礼を言われた意味がわからなくて、手を外してNを見上げたら、そのまま流れるように手を取られてしまった。 「わざわざ持ってきてくれたんだよね」 「それ…は…」 ふわりとすこし肌寒い風が、Nのふわふわした髪の毛をなびかせる。 女の私よりずっときれいなほほえみはいつまでたっても慣れなくて、ちょっとどぎまぎしながら観念してうなずいた。ただの新聞の切り抜きを集めたプリントだけど、Nがよろこぶかなと思って持ってきたのは本当のこと。 私の手を包むおおきな温もりが、やんわり強くなったような気がして心臓がとびはねる。 とにかく恥ずかしいのに手が使えないから、誤魔化したくてうつむいた。 「…だめだよ」 「だめって…何が?」 「こんな機会めったにないのに、うつむいてるなんてよくない」 意味不明なダメ出しに戸惑ったのは一瞬で、ふと顔を上げたとたんにかがんだNの顔が降りてくる。 風は吹きやんだわけじゃないのに感じられなくなってしまったのは絶対、気のせいなんかじゃない。 短い触れ合いの名残は意外にも熱かった。 110321
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