初めて訪れるニビジムは、裏口から入ったせいか薄暗くて、やけに静まり返っていた。細く伸びる廊下は長くて、間取りをまったく知らない私には恐ろしくさえ感じる。 比較的挑戦者の多いニビジムのリーダーになってから、幼なじみとは言えないほど疎遠になってしまっていたから、とつぜんご近所のおばさんに、息子が忘れていったお弁当を届けてくれといわれてびっくりした。 本当は、裏口を教えてもらうために電話するときだって死ぬほどどきどきしたんだ。 あっさり頼むよ、なんて言われたときは、タケシの鈍感さに救われたような、がっかりしたような複雑な気分だったけれど。 前方に明かりのもれる重たい扉を見つけて、だんだん肥大した恐怖が和らぐ。 そっとなかをのぞいて、探していたひとの影を見つけた心臓がうごいた。 「タケシ…?」 「ああ、なまえ」 ごつごつした岩肌のフィールドに跪いて、横たわったイワークを撫でていたタケシが顔を上げる。 怖いほど真剣だった横顔と、顔を上げたときにくちびるに浮かんだやさしい笑みのギャップに、思わずどきりとした。 立ち上がって近づいてきたタケシが重たい扉をひっぱってくれて、私は体育館みたいに大きな部屋に足を踏み入れた。防音のためなのか、分厚くてずっしりとした扉は後ろでがちゃんと重い音を立てる。 いったい何メートルあるんだろうってくらい高い天井を見上げていたら、扉を閉めてとなりに立ったタケシも同じように天井を仰いだ。 「…高い天井だね」 「そうか?」 「そうだよ。空に届きそう」 「そんなわけないだろう」 相変わらずだな、と笑うタケシはなんだか本当に久しぶりだ。 いつからこんなふうになったんだろう。しばらく見ないうちに、急に大人になってしまったみたいなタケシを素直に見ることができない。 「なまえがジムにいるなんて、なんだか不思議だな」 「そう…?」 「来たことなかっただろう、今まで」 何気なく放たれたことばにどきりとした。幼なじみなのにどうしてジムに来なかったかなんて、わざとに決まってる。 動揺したのを悟られたくなくて、なるべく慎重にことばを発した。平然と、平然とと言い聞かせて。 「…そうだっけ?」 「……わざとなわけじゃないのか…」 意外にも吐息混じりの返事にびっくりして視線を戻したら、タケシは一足先に足を踏みだしていた。 きれいに掃除されたコンクリートの床から少し踏み出せば、もうそこは対照的なまでにごつごつの山道みたいな床で、きっとここがいわゆるバトルフィールドって呼ばれる場所なんだろう。 この空に続きそうな部屋のなかで、タケシは毎日戦っているんだ。 「ねぇ、それ、どういう意味?」 じゃりじゃりしたフィールドは歩きづらかった。久しぶりに会えるからって、いつもよりちょっと高めのヒールなんて履いてくるべきじゃなかったかもしれない。 話しながらだとすこし歩みが遅くなる。すこし前を歩くタケシが振り返るから、私は足元に向けていた視線をそちらに移した。 目が合ったとたんに、また心臓が跳ねる。 「どういう意味…って、どういう意味だ?」 「え…いや、だから。なんでわざとだって思っ…!」 あっ、と思った瞬間にはすでにぐらりと体が傾いでいて、大きめの小石を踏んづけたんだと理解する頭で次の衝撃を予測する。 目を閉じる間もなかったのに、私は転ばなかった。どうしてかなんて考える必要もなかった。 ふわり、と浮遊感。 「ちょっ……タケシ!」 「ん?」 さっき見たものよりずっとずっとやわらかい微笑みが降ってくるけどそれどころじゃない。 全身が宙に浮いて、支えは背中と膝裏に回されたタケシの腕だけ…なんて、こんな恥ずかしすぎる状況、耐えられるわけがない。 「お、おろしてよっ!」 「また転ぶぞ」 「大丈夫だから!私重いし」 重くないよ、と電話口のようにあっさり言い放ったタケシの顔はやっぱり普段と変わりなくて、幼なじみなのにこんなに意識しまくってる私が空回り。 軽々と中央のイワークの元へとたどり着くと、タケシは私をイワークに座らせて、自分はその前に跪く。 するりと足首を滑った男らしい指に、思わず肩が跳ねた。 「捻ってないか?」 「う、ん。大丈夫…」 「でも赤くなってるな」 タケシの顔はさっきと同じくらい真剣で、もしバトル中もこんな顔が見られるのなら、ジムに来なかった私はもったいないことをしたのかもしれない。 だけど今はそれどころじゃなくて、跪いたまま視線を上げたタケシに、危うく心臓が破裂しそうになった。 「まったく…気を付けてくれよ。なまえは女なんだから、転んで顔に怪我でもされたらおれが後悔する」 ここからじゃ表情の見えないイワークの上に放置されたお弁当は、すっかり冷たくなってしまっているけど、気づく余裕なんかあるわけがない。 Thanks;ace
110228 |