※すこし特殊 見慣れない都会は、夕方の公園でさえも私をはじき出そうとしているようにさえ感じた。 だけどぺたりとベンチに座り込んでしまった私を追い出すことはジムリーダーでも、きっとポケモンマスターだって、できやしない。できるのはきっと、音の神さまだけ。 いまさらになって、身体が震えていた。 ただの発表会じゃなく、初めて勝負として楽器を弾いた。だれにも告げずにこっそり応募して、だけどいつも以上に、毎日毎日、何時間も練習して積み上げたひとつひとつの和音たち。 勝てると思ったわけじゃない、勝ちたかったわけでもない。ただ、ポケモンを持ったことすらない私なりに、何かを一生懸命してみたかっただけなんだ。 今でもまだ震える身体が覚えている。最後の一音が、どこかへ吸い込まれて消えていく感覚。それをたどるように、古傷をえぐるように、私は舞台の上を思い出す。 長く長く練習してきた曲が終わって、私は喝采を浴びた。軽やかな水の色のドレスをそっと持ち上げて、ゆっくり礼をした。 あのときの感覚が抜けないままじゃ、堅苦しい家になんか帰れない。 慣れないヒールの爪先を見つめながら過ぎ行くポケモンと人の声を聞いていたら、とつぜん、目の前が真っ赤になった。 何事かと顔を上げたら、きれいな、まるでこの街の美術館から抜け出てきたみたいに整った顔をした男の人と目が合った。 目の前に差し出された真っ赤な薔薇の花束…すごくキザなものが、とてもよく似合うほど。 「……君の音に」 目が合った瞬間にほほえみを浮かべたくちびるで、彼はそう紡ぐ。つまり…この人が私の前に差し出している真っ赤な薔薇の花束は……私の、音に? びっくりしすぎて、動けないどころか声も出ない。そんな私に気を悪くした風もなく、彼は花束を私に差し出したまま私を見下ろしている。 そのことにはっと気付いたとき、ようやく私の硬直は溶けた。溶けたけど、混乱はそう簡単に治るものではない。 「…ええ、と…?」 「聞かなかったんだね、審査結果」 責めるどころかふんわりとなだめるような口調だったのに、どきりとした私は思わず肩を揺らした。観客のひとり、なんだろうか。どうして私が逃げ帰ったことを知ってるんだろう。 それに気付いたのかどうか、彼はもう一度、私の目の前の花束を小さく一度、揺すった。ひらり、と燃えるような赤い花弁が一枚、私の膝に落ちてくる。 受け取りを促すその仕草に、私は迷わず首を振る。だってふつう、赤薔薇の花束だなんてそんな高級なものを見ず知らずの人から受け取れないでしょう。 私の拒絶を受けて、困ったように彼は笑った。 「…困ったな…行き場がなくなった」 「え?」 そのことばの意味がわからなくて目を見開いた私に、じゃあ、と彼はことばを続けた。 「きみが、届けてくれないかな。音の神さまに」 「音の、神さま…?」 「そう。もしきみが、その人に出会えるなら」 出会うすべを持たない僕の代わりに。 ちょうどそのときすこし強い風が吹いて、彼の髪が、捧げられた花束がさらさらとゆれた。膝のうえの花びらが飛んでいく。 「…私のピアノを聞いたの?」 「僕はきみの音が好きだよ」 受け取った花束は思ったよりも大きかった。ひとつひとつ刺のぬかれた薔薇は、それでも凛と私を見返してくる。 「届けてくれるかい」 「……あなたが、信じてくれるなら」 「もちろん。あとは、きみがきみを信じるだけだよ」 そうほほえんで名前も告げずに立ち去った彼は、私がいちばん欲しいことばを知っていた。 家に帰ろう。そしてその前に、掲示を見に、戻ろう。燃える花を抱きしめて、私はベンチから立ち上がる。 110105
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