※現代パロ がたん、がたん。この路線を使いはじめて早3ヶ月がすぎて、身体もこのリズムを覚えはじめた。 がたん、がたん。走るスピードや走る距離でわずかに変わる振動を感じながら、私はぎゅうぎゅうにプレスされた満員電車のなか、ちらりといつもの場所を盗み見る。 いつものごとくがっくりと落ちた黒髪あたまが見えて、思わずくちびるだけで、ちいさく笑った。 彼が毎朝かならずこの車両にいることを知ったのは、たしか1ヶ月くらい前の、ハプニングのせい。 ただでさえ窮屈だったのに、駆け込みでむりやり入ってきたサラリーマンのおかげで私はバランスを失って、傾いだ身体ごと、いちばん端に立っていたあのひとの胸のなかにダイビングしてしまったんだ。 最初はびっくりすることしかできなかった。あわてて離れようにも、ぎゅっと押される身体は言うことをきかない。 「…じっとしてて」 どうにかしなくちゃともがく真っ白なあたまにそっと手が添えられたのは、そのおだやかな声とほぼ同時だった。 感じるぬくもりの角度からも、落ちてきたことばの向きからも、それは確実に目の前のひとからで、当の本人にあばれるなと言われたら、私はもがくのをやめないわけにはいかなかった。何しろばたばたとおおきな動きを生む私にはすでに、するどい視線がいくつも送られていたから。 忠告どおりしばらくじっとしていたら、向けられるひとみはだんだん減ってきた。 がたん、がたんというおおきな車輪のおとに加え、ほおにちいさく他人の心音が当たる。ゆるいリズムの重なりが心地よく、いつのまにか羞恥心までもがとけ消えていた。 「…どこで降りるの」 「あ、えっと、次です…」 「わかった」 みじかい会話はそこで途切れ、それから駅につくまで再開されなかった。 「あの…、ありがとうございました」 「いいよ」 赤いひとみを見たのはそのときがはじめてだった。軽くあたまをさげてから見上げた顔が、あまりに…そう、まるで芸能人みたいにきれいだから、ひらいたとびらが閉まる前にはやく降りなきゃいけないのに、私は硬直しそうになった。 赤い目は私を見て、やわらかく笑みをうかべていた。 それ以上にはなしたことはないのに、それ以来私の目はあのひとを探すようになってしまっている。 名前も知らないのに自分でも気持ちわるいと思うけど、一日かならずいちどは合う目があのときと変わらずやさしいから、やめることができなくて。 電車がカーブにさしかかって大きくゆれて、ぎゅうぎゅうの車内でつぶされそうになる。その感覚でようやく起きたらしいそのひとのあたまが上がり、赤い目がこちらを向いた。 まるでお互いがお互いの視線を吸いよせたようにぴたりと私たちの目は重なる。 お は よ う 私をみとめてやさしく細められた炎を宿したひとみに、私のちっぽけな心臓はもうまるごと持っていかれているのに、だめ押しのように彼のくちびるが動いた。私ははっと、ちいさく息をのむ。 音のないことばを返す間もなく、私の降りるべきホームに、電車はすべりこんだ。かたわらの扉が、おおきな音をたててその口をひらく。 110605
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