novel | ナノ

ラルースに来てから、なんだか思いもよらないようなことの連続な気がする。

生い茂る熱帯植物をくぐりながら改めてトオイくんの言ったことを考えてみるけど、とうてい受け入れられそうにない。

だってこの大きな温室の所有者は、トオイくんのお父さんだって言うんだから、びっくりするどころじゃなかった。


「…トオイくん、」
「ん?」
「トオイくんのお父さんって、もしかして…すごい人だったりしない?」
「ただの研究者だよ」


先を歩いていたトオイくんはすこし振り返ってかすかに笑う。だけどただの研究者って言ったって、こんな大きな温室を所有できて、あんな大きな家に住む人が、私のお父さんくらいのいち研究員なはずがない。

この間お父さんが言ってたことばが脳裏を過った。ラルースにはすごく有名な研究者がひとりいる、って。

まさか…と思いながら改めてまわりを見回してみれば、温室ならではの南国っぽい植物の間に、ちらほらとラルースらしい鉄やコンクリートの壁や道が見え隠れするのに気が付いた。


「…着いた」


ふとトオイくんが声を発して、私は先に視線を戻す。いつの間にか道は切れ、私たちはぽっかりひらけた広場みたいな場所に出ていた。


「…ここが、さっきまでトオイくんがいたところ?」
「うん。…小さい頃からここが好きだったんだ」


つまり私がカードリーダーに触れたとき、トオイくんはここにいたんだ…。

くるりと丸く切り抜かれたコンクリートの広場のまわりを、さらさらと透明な水が流れていく。これといって何もないけれど、たしかになんだか落ち着く気がした。

小さいトオイくんが、ガラス張りの天井から入る陽を浴びているところが簡単に思い描ける。

いいところだね、と言ったらトオイくんはくすぐったそうに、目を細めて笑った。


「なまえって、すごいね」
「え…何が?」
「やっぱり、何でもない」


ええぇ、トオイくんってこんな子だったかな…。この前にしろ、今回にしろ、トオイくんを知ってるつもりでいたのに。

トオイくんはこうやって突然新しい顔を見せるから、いつもわからなくなるんだ。


「あ、そうだなまえ、こっちに来て。見せたいものがあるんだ」


私が混乱してるのを知ってか知らずか、トオイくんが私の手をつかむ。雨にすこし濡れたままなのに、トオイくんは気にならないみたい。

ぐいぐい引っ張られるままに歩きながら、ひとりばくばくと暴れる心臓と格闘する私を、さっきから静かにしてるヒトカゲがじっと見てたのなんて、気付く余裕すらなかった。

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