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※「蜜色のきみ」続編



めずらしくリドルが高窓を開け放ったその日、空ははるか遠くどこまでも透明で、下方に見える色とりどりの手紙やちいさな小包みをくわえて飛び交うふくろうの翼は陽光をはじき、光り輝いていた。


「何を見ているんだい?」


遠くにかすむブルーグレイの山々に目を細めていたら、とつぜん背後にひとの気配がした。今さら過ぎてびっくりする気さえ起きなくて、私はちいさくため息をつきながらふり返った。


「私が何を見ているかなんて知って、やさしい優しいミスター・トム・リドルは一体どうするの?」
「そうだな」


ひとをこんな小部屋にしばりつけておいて、自分は飄々と授業を終えてきたらしいリドルはバンドに挟んだ教科書を小脇にかかえて、小憎らしいほど無邪気に考えこんで見せた。うでを組み、人さし指をかるくくちびるに添える。それだけでこそこそと黄色い声が交わされるのを何度見てきたことか。

今ではずいぶんと懐かしくなってきてしまった煩わしい光景をうかべて、私は顔をしかめた。それをどうはき違えたのか、優秀でみんなの人気者トム・リドルは突然、にっこりと絵に描いたようなスマイルで私を見下ろす。もちろん高窓のそばに腰かけていた私の眉はさらに寄ることになるのだけれど、やさしいトム・リドルは私のしかめっ面が大のお気に入りだってことを、私は知っている。魔法の勉強はできなくとも、すべてを学ばずにいるわけじゃない。


「きみの知ってのとおり、僕はきみの思考回路にとても興味を抱いている。……ああ、もちろんキミの言いたいことはわかっているよ。顔に出やすいね、いつになったら学ぶのかな」


興味深そうに黒いひとみを私に這わす、その視線にたえられなくなって窓の外に目を反らしたのだけど、とっさにひざまづいたリドルは私のあごをとらえ、私の視線をとらえて妖艶に微笑む。互いの吐息が交わるほど近くで、リドルはささやいた。脳裏に直接流しこまれる声は甘いのか、それともヘビの毒がまわっているだけなのかもしれない。

薄ぼんやりとしてくる思考に負ける気なんて毛頭ないから、私はまばたいてそのひとみをにらんだ。


「言っておきますけれど。私にも学んだことぐらいあります」
「へえ、そう。それはまた興味深い話だ。きみは僕に逆らえない。きみはここから出ることはできない。僕はきみからすべてを奪ったんだ。それなのにこんな場所できみは何を得た?」


私のすべてを掌握しているつもりらしいリドルは、さっきとは比べものにならないほど楽しげで凶悪な笑みをうかべ、抱えていた教科書の束を放りなげた。ばんっと耳障りな音と同時に何かが割れた甲高い音がとどくけれど、そちらを伺うことはゆるされなかった。

リドルの言うとおり、リドルは私からすべてを奪った。両親のいない私をみちびいた魔法の郵書、その郵書が私に与えた権利。そうして私にできた友達も、居場所も、学んだことすら、身勝手な保身の理由だけで、私を閉じこめることで奪った。

だれひとりとして…たとえ校長先生ですらすべてを知らないホグワーツの塔の頂上、外見はちいさな屋根裏のようで、けれど魔法で拡張された内部屋を知るひとなんて、いるはずがない。隠した本人と、隠された者以外は。

そんな場所で私が学ぶことと言ったら、決まったようなものだというのに。


「…わからないの?」
「それはこちらの台詞だよ。僕は教えろと言っているんだ」
「え…? そんなこと言っていた?」
「とぼけるな」


いらだったリドルはぐっと声を低め、目をほそめて私を脅迫しにかかる。もともと座っていた私に体重をかけて倒し、両手を硬い煉瓦の床におさえつける。ひらいたままの高窓から差す日がかたむいたせいか、トム・リドルの鼻梁をふかく、彫刻のようにうつした。

こわくないわけじゃない。怖くないはずがなかった。だけどリドルはたしかに前ほど怒らなくなったし、たまに笑いさえするようになったのだ。意地の悪い、気色の悪い笑みだけじゃなく、ほんのたまにだけど、堪えきれなかったかのようにくちびるの端に浮かびあがるそれはやわらかくて。


「リドル、私、最近よく考えるんだけどね。ひとは生きている限り学びたいものなんじゃない?」
「……なにが言いたい」
「なんで私を生かしておくの?」


疑問、ではあった。死にたいわけじゃなかったけれど。トム・リドルは表情も、体勢も変えないまま沈黙し、私も黙って目と鼻のさきにあるリドルを見つめた。私に両親はいない。家族と呼べる親戚もいない。いわゆる孤児という面で、私たちは似すぎていたから…ずっと、考えていたことを。

ふっと、リドルの表情がやわらいだのはまばたきをするほど一瞬だった。次の瞬間に、リドルのくちびるはまるで私の視線からのがれるように私の額へと触れたのだ。


「今後も生きていたいなら……せいぜい、逃げようなんて気を起こさないことだね」


身を起こしたリドルは床に転がった私に一瞥もくれず、杖のひとふりで巨大な壁いちめんを覆う高窓を閉めてしまった。眼下に白っぽくたなびく雲も、泳ぐように飛ぶふくろうも、透明な空もすべてが幻だったかのように消え失せる。

ぱたんと扉が閉まる音のあとに起きあがれば、粉々になったはずのガラス製ホロスコープはすっかり元通りになっていた。
…匿名さんに捧げます!
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