ありがちだと言われてしまえばそれまでのシチュエーションで、チープだと言われればそのとおりだと思う。 だけど実際その場におかれてみれば、みんなそんな非現実に逃避したくなるものなんじゃないかなと、極力都合のいいように考えてみた。 ひとりきりのつめたい部屋に、黙ったままの向かいの席にむかって吐いたため息が思いの外ひびいて、ついでのようにかぶさってきた時計の電子音にむなしさが増した。 壁のデジタル時計は午後11時を指している。 もういいや、あきらめよう。そう決めて、テーブルに両手をついて立ち上がったときだった。 「ぴーか?」 「…ピカチュウ…?」 「ちゃあ」 不意にからっぽの椅子に影が差した。 目を見張った私ににっこり笑いかけたピカチュウは、かちゃりとちいさな両手で器用にナイフとフォークをつかむ。 可愛らしいその仕草に微笑む間も、まさかという予感につつまれる間もなく、背後からするりとまわされた長い腕に閉じこめられて息をのんだ。 嘘。だってこんな少女マンガみたいに都合のいい展開なんか起こるはずない。 「………ごめん」 耳もとで押し殺したような低い声がして、つづいて首筋に吐息がふれた。 かっと身体が熱くなり、心拍数が急上昇しはじめる。届いたぬくもりはまぎれもなく本物で、だけどまさか、どうして? 「レッド…?」 「ごめん、なまえ」 謝罪をかさねるレッドのくちびるが、今度はかすかに耳にふれた。 ずるい。怒っていたはずなのに、だんだんどうでもよくなる自分に気づいて悲しくなった。ぼやけはじめる視界には、すっかりこんがらがったパスタとクリームソースの小鍋、それからちょっと耳を下げたピカチュウ。 レッドのピカチュウは強いだけじゃなくて、かわいくて賢かった。心配そうな黒めがちのひとみがゆれている。 「レッド…、ずるいよ」 「…うん」 「…私、怒ってるんだよ」 「うん。ごめん」 抱きしめるちからが強くなって、体温越しにどくどくと鳴る心音が重なる。私のもレッドのものも、まるで100メートル走を猛ダッシュしたあとみたいに早い。 うれしいのか悲しいのか。じわじわと侵食をつづけるのはしょっぱい水だけで、とうとう決壊してあふれだしてしまった。 「レッドのばか、」 「……」 「ポケモンばか、山ごもり、だいきらい!」 「なまえ、すきだよ」 レッドの声色は乱れなくて、だけどまわされた腕だけは、まるでしめつけるように強くなった。私の心臓もまるごと、そのちからに抗うこともできずにしめつけられる。 レッドは私のことばのうそを知っていた。 背中に張りついていた重みが消えて、それから身体をくるりと反転させられる。ぐしゃぐしゃの顔を見られたくなくてとっさにうつむいたのに、レッドがのぞき込むように首をかたむけてきたから結局、無意味になってしまった。 「…遅れて、ごめん」 ふれそうなほど近くで、赤いひとみにまっすぐに見つめられて、ゆるせないはずがなかった。だからずるいって言ってるのに、レッドは自覚してないのかな。 うなずいたらほっとしたように触れてくるくちびるは温かくて、すこしかさついていた。 ぬくもりが消えないうちに、何度もたしかめるように触れられて、舌の熱さにくらくらする。 すこし距離をあけてからぎゅっと閉じていた目をあけたら、目が合ったレッドはちいさく笑った。 真っ白なテーブルクロスの向こうで、ピカチュウが両手で目をふさいでいる。冷たくなったパスタとソースをあっためて、はやくご飯にしよう。 …あやめさんに捧げます!
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