「なあ有里、例えばだ。例えばだぞ?」 練習後のミーティングを終えたらしい達海に目が合ったとたん声をかけられて、有里は足を止めた。いつも何を考えているのか読みづらいのだが、今その顔は明らかに悩みを抱えているように見て取れた。眉間にシワを寄せているのは珍しくもないが、表情が曇っているのが気にかかる。有里は手にした書類を抱えるように掴みなおして、話を聞く態勢を整えた。 「別に材料代もなにも払ってないのに、いつも食事を作ってくれる奴がいたとしたら、どうする」 「は・・・?」 有里がなんとなく想像した話とはズレていて、身構えていた態勢から力が抜ける。 「しかも美味いんだ」 「う、うん・・・?よかったじゃない・・・」 なにをどうどう答えればいいのやら話が見えなくてしどろもどろな言葉を返す。が、達海はそれを聞いているのかいないのか、なにかを思い出すかのようにあさっての方向に目をやりながら、謎の質問を続ける。 「あと、意味がわからないぐらい優しくて、俺が何気なく好きって言ったものとか覚えてるのってどうよ」 「どうよ、って言われても・・・」 「でも買い物頼むと間違ったモン買ってきたりするとか」 達海の意図がさっぱりわからない質問に口ごもっていた有里は、はっと何かに気付き、たちまちその表情を冷たくした。気付いたことを、そのまま聞き返す。 「・・・達海さん、それって・・・お母さんのこと?」 「・・・あ?」 思いがけない返しに、達海はぽかんと口を開けた。有里のなんとなくしらけたような目線が達海に突き刺さるのだった。 オープンスタイルのキッチンで、リズミカルな包丁の音が鳴り響く。料理をしているのはこの部屋の主であるジーノで、シンプルなシャツを腕まくりして包丁を振るうその姿はなかなか絵になっている。そんなジーノと自分が手にした漫画雑誌を交互に見比べて、達海はため息をついた。 「ジーノぉ、おれジャンプ買ってきてって言ったんだけど」 「えー?それじゃないのジャンプって」 「これは赤マルジャンプ!」 お前はお母さんか!と突っ込みたいのだが、今日の有里との会話がなんとなくひっかかって、そう言うのをためらってしまう。 「もう、じゃあそんなの自分で買ってきてよ。僕にはわからないよマンガなんて」 「言われなくてもお前にはもう頼まない」 達海は雑誌をソファに投げ捨ててキッチンに近づいた。なにかを煮ている鍋の蒸気から匂いがしないものかと空気を嗅いでみながら、ジーノの手元を見る。 「今日はなに?」 「タッツミーの好きなもの」 「俺、生のトマトあんま好きじゃないから入れなくていいよ」 サラダ用にでもするのか、櫛形に切られたトマトを示すとジーノがフフフと笑う。 「駄目。好き嫌いしないで食べてよ」 「・・・はー」 わざとらしいため息をついて、達海は冷蔵庫を開け、冷やしておいたこんにゃくゼリーを取り出した。バリッと袋を開けたところで、こんにゃくゼリーはジーノの手に奪われてしまった。 「ご飯の前なんだから、あんまり間食しないでほしいんだけどな」 そんなことを言いつつこんにゃくゼリーは食べやすいように小さく切られ、フォークを添えた器に入って達海の元へと戻ってきた。それを受け取りながら達海はジーノの顔をまじまじと見つめる。 「本当にジーノはお母さんだな」 「…ちょっとまって。なんだかよくわからないけど、それなら吉田って呼んでくれたほうがまだマシなんだけれど」 20110307 戻る |