妹変 | ナノ
Jabberwocky
「鏡花きいて!俺プロになった!」
数年前のある日。時間は夕方、場所は家。
元気よく放たれたその一言を今でもよく覚えている。兄さんの笑顔も。
「…おめでとう」
数秒遅れでそう言った、自分の気持ちだけがうまく思い出せない。
*** *** ***
「世良さんってもしかしてETUの世良と兄妹だったりする?」
兄さんがプロになったと公言してから数ヶ月。
その事実に現実味を持たせる、名前も覚えていない同級生からの一言。
急に話しかけられたことに対する驚きと、内容に関しての驚き。
そして少しの嫌悪感で私は素直に頷けずにいた。
「ねえねえ、どうなの?」
取り巻きの一人に急かされて無意識に増していく嫌悪感。
ただでさえも悪い学校の居心地が一秒毎に更に悪くなっていく。
「…違うけど」
面倒なことになりそうだから取りあえず否定しておく。
人付き合いが嫌いな私の鉄則だ。
「そんなはずないって!だってこの辺りの出身だって言うじゃん!」
「この辺で世良って苗字他にいないしさ」
「妹じゃなくても親戚とか!」
本業の勉強は疎かにして無駄な探偵修行に精を出すクラス女子。
根拠不明の確信を持っているからこちらの否定が通じない。
「私とその人が血縁だったらどうするの?」
ほんの興味本位からの質問。目の前の彼女達と同じだ。
「サインもらってきてほしいなー…とかダメ?」
プロになった兄さんのサインは女子の上目遣いと同価値にはなったらしい。
そう感心する一方で、心では何か別の感情が沸々と湧き上がる。
自身の利害だけで人に話しかけたり、かけなかったりするクラスメイト。
常に選別されている感じ。年齢も何もかも変わらないはずなのに。
私は彼女達に利用されようとしている。別にいいけど。
(兄さんのサイン、ね…)
いくら人から頼まれたとは言え、実の兄にサインをもらうなんて変な感じだ。
まあそこは普通にクラスメイトに頼まれたって言えばいいのか。
『うっわマジで!書く書く!サインとかプロっぽくね!?』
子どもみたいに興奮しながら応えてくれる兄さんが頭に浮かんだ。
嫌だと思った。
「期待に添えなくて申し訳ないけど、違うから」
席から立ち上がり、どよめく取り巻きを掻き分けるようにして通る。
だけど、衝動的な行動で目的がなかったからすぐに立ち止まってしまった。
「世良さんってマジ感じ悪いよね」
「ちょっと見かけいいから調子乗ってんじゃないの」
「成績も学年トップでさ、あたし達となんか喋ってらんないって感じ?」
音量を抑える気もない陰口がよく聞こえた。
文字通り行き場がなくて、仕方なく再び歩き出すと人にぶつかってしまった。
「ごめん」
「あ、大丈夫だから…」
ぶつかってしまったのはクラスでも避けられがちな大人しい男の子だった。
アニメとか漫画が好きな、オタクと呼ばれる人らしい。
同じくクラスから浮いている私としては彼の存在がとても興味深かった。
彼は私と違って、誰とも話さなくても一人でとても充実しているように見えた。
(オタクっていうのになれば自由に生きられる…?)
毒を吐く彼女達と同じく、私も彼に歪んだ羨望を持っていた。
あんな風になりたい。誰からも構われずに、好きなものにだけ囲まれていたい。
その為に嫉妬より軽蔑を望んだ。
そんな私は、彼女達が言うようにやはり恵まれた人間なんだと思った。
嫌な感情ばかりが心の底に沈澱していく。
『…おめでとう』
あの言葉は、本当に純粋な気持ちで言えてた?
夢も希望も何も持たずにただ進学しただけの地元高校は大変に居心地が悪い。
それだけが今わかっていること。