妹変 | ナノ
箱と消しゴムの角は重要。
昼過ぎの駅前をブラついてそれとなく妹の姿を探してみる。
今日は午前中で授業が終わるって言ってた。
約束はしてないけど、もしかしたら昼飯の時間が合うかもしれないと思って。
鏡花は学校帰りにこの駅を通るはずだ。
もし秋葉原に買い物に行ってたとしても必ずこの駅を経由する。
(だけど来ねーな…)
逸る気持ちを誤魔化すようにズボンのポケットに手を入れる。
珍しく重量感のある財布に当たって、少し笑えた。
(用意はしてきたけど無駄足かもな)
友達とかと食べて帰って来るならそれでもいい。
鏡花も俺の知らない所では案外女子高生してるのかもしれない。
(……帰るか)
嬉しさと寂しさが微妙に入り混じる気持ちで引き返す。
正確には、そう思って家への一歩を踏み出した時。
「智代ちゃんに謝れー!」
覚えのある妙な内容の叫びが反対側の出口から聞こえた。
*** *** ***
騒ぎを気にして歩く速度が遅くなってる野次馬達を掻き分けながら。
近付く度に確信に変わる嫌な予感を抑えながら、何とか現場へと辿りつく。
「智代ちゃんをキズモノにしやがってコノヤロー!」
「ああ?」
「ラス2で状態良い方せっかく選んで来たのに!」
なんとインドア派のはずの妹がチャラそうな男に食ってかかってた。
「鏡花!」
今にも相手の男に飛び掛りそうな鏡花の肩を掴む。
鏡花はそんな俺を一瞥するだけで、変わらず正面の男を睨んだ。
「一体どうしたんだよ」
「この人がぶつかってきて箱が損傷したの!」
聞くまでもなく何となくは分かってたが、大体想像通りだ。
鏡花は一旦男から視線を外して手に持っていた箱を胸に抱えた。
「ここ」
問題のその箇所を見てみると、角がちょっと曲がってしまっている…程度だ。
妹がここまで喚く理由が俺にはよく分からない。
「…ここだけ?」
「これだけでも私にとっては死活問題なのっ」
まあ、見ず知らずの男に掴みかかるくらい重要な問題だったんだろう。
状況が把握できた所でもう一度相手を見据える。
「アンタこの女の知り合い?」
それまで口を噤んでいた男が俺と目が合った瞬間に喋った。
俺は鏡花を庇うように一歩前へ出る。
「コイツの兄貴…ですけど」
鏡花とその男との距離を取りたくて、間に割り込むように体を入れる。
頭一つ分高い相手に僅かに怯む心を必死に奮い立たせた。
兄貴だから。どんな時でも、鏡花を守るから。
「アンタの妹に妙な絡まれ方して困ってんだけど。どうにかしてくんない?」
「う…」
いきなり決意が揺らぐ。
その発言が的確だからってワケじゃない。俺は相手の気持ちが分かるんだ。
相手にどんなに非があろうが、鏡花の怒り所は一般人には分からない。
俺だって分からない。
必死に分かろうとして、結局いつも分からなくて、困惑して。
目の前で溜息をつく男がいつもの自分の姿と重なった。
「兄さん…」
後ろにいる鏡花が俺の服の袖を弱々しく掴む。
不安げな瞳で見つめられて、俺はようやく自分の役割を思い出す。
鏡花を、守るんだ。
「妹がスイマセンでした」
不本意ながらも目の前の相手に頭を下げる。
これなら多少の蟠りは残るものの安全かつ潤滑に解決できる。
多少の恥と悔しさは俺が我慢すればいい、そうすれば誰も傷つかずに済む。
予想通り、男は小言を呟きながらも引き下がった。
だけどこの時、後ろに庇った鏡花の表情は見えてなかったんだ。
いつのまにか掴んだ袖が離されてたのも気付けなかった。
*** *** ***
男の姿が完全に見えなくなって、行き交う人達の歩調も戻りだした頃。
俺は後ろにいる鏡花に声をかけようと振り返った。
「…鏡花?」
俺の背中から男を睨んでいたはずの鏡花は何故か背を向けている。
「どうした…、!」
表情を見ようと肩に置いた手を静かに払われる。
それは驚くほど冷たい、鏡花からの一方的な拒絶だった。
「私は悪いことしてないのに、何で謝るの」
お前を守る為だとは、何故だか言えなかった。
「悪い…」
「…っ」
代わりに小さな謝罪を呟く。
鏡花は最後まで俺に表情を見せず無言のまま歩き出した。
鏡花の問いに答えられなかったように、それを追うことも出来なかった。