短編 | ナノ
やっぱり幸せ
ウインドウショッピングで可愛い洋服を発見?
街でカッコイイ異性を発見?
そんなことは私の日常ではまず起きない。
コンビニで可愛い容器に入ったコーヒー牛乳を発見。
緩やかに積み重なる私の日常で起きる変化と言えばこれくらいだ。
牛乳瓶を模った丸っこいペットボトルが妙に可愛く思えた。
少し立ち止まって悩んで、結局は気まぐれでソレをレジに持って行く。
(こんなことだから女子力がいつまでも上がらない…)
えらく色気のない自分の日常にため息を吐きつつも、胸には少しの嬉しさ。
家に帰って冷やしたソレを飲むことを想像するのが楽しかった。
*** *** ***
ソファーで読書をしていると、扉が開く音と同時に聞こえる声。
「ただいま、理乃ちゃん」
私は本から視線を外す。
分かりきった声の主の姿をきちんと確認してから、なんてことない挨拶を返す。
「…おかえり」
それだけ言ってまた本に視線を戻す。
向こうも特にそれを気にする様子はなく、私の後ろを通り過ぎようとする。
「お風呂沸いてるから先に入っていいよ」
俯いたまま背中越しに告げる。
恭平くんは短く返事をして、まるで身体を引き摺るようにリビングを後にした。
(すごく疲れてそう…)
それもそのはず。彼は現役プロサッカー選手なのだから。
私のような一般人には分からない特別な疲労があるのだろう。
そんな人と、私は同棲をしている。
これはきっと大事件なんだ。私の平凡な人生においての唯一の異常。
(もしかして、ここで全ての運を使い切ってるのかな)
今日一日を振り返って、割と本気でそう思う。
そして冷蔵庫に入れた小さな幸せを思い出して、少しだけ表情が緩んだ。
*** *** ***
「理乃ちゃん、上がったよ」
読書に熱中していたら急に耳元で声が聞こえた。
この不意打ちにはさすがに驚いて、私は反射で声のした方向を見る。
さっきみたいに後ろじゃなく、恭平くんは私の隣に座っていた。
声をかけられて初めてその存在にも、ほのかな石鹸の匂いにも気付く。
「ゴメン。驚かせちゃった?」
恭平くんが申し訳なさそうに苦笑いする。
別にそれはいい。私が今固まっているのはもっと違うことが原因だ。
「恭平くん、それ…」
視線を恭平くんの手元に注ぐ。
そこには私が容器を気に入って買ったコーヒー牛乳があった。
「風呂上りに飲み物探してたら見つけて、飲んじゃった…んだ…けど…」
私の心情を空気で察した恭平くんの手が微かに震えた。
けれど、容器の中の液体は動く様子を見せない。元より無かった。
「ゴメン! やっぱまずかった…?」
暖かいお風呂と冷えたコーヒー牛乳で体力を回復したらしい恭平くん。
謝罪の中にも元気さを感じてしまったら、もう責められない。
いつもなら言いそうなセリフの数々を引っ込める。
私にも非はあるし、それに中身に特別な思い入れがあったわけじゃない。
興味があったのは容器の方だから別に良い。
そう真実を言えば恭平くんも罪悪感を感じずに済む。
だけど、言葉にしようとした瞬間に思い直して引っ込めた。
(容器が欲しいって、よく考えたら子どもっぽい?)
私は恭平くんより年下だ。
まだまだ子どもだって自覚もある、けど。
(恭平くんにそういう風に見られるのは何となくイヤ)
そんなことを思うのも十分に子どもっぽい意地だ。
それを分かっていても止められないから、子どもだというのに。
「…別に」
結局はいつものように無愛想に返す。
こちらの方がよっぽど子どもみたいだと気付いたのは、言ってからだった。
気まずくなって俯く。
でも、いつの間にか閉じてしまっていた本のせいで視線は行き場を失う。
「理乃ちゃん」
さまよった視線さえもすくいあげるような優しい声に上を向く。
思ったよりもずっと近くにいた恭平くんと目が合った。
ゆっくりと石鹸の香りが増す。
頬に手を添えられて視線を固定されたら、もう目を閉じるしかなかった。
「勝手に飲んじゃってゴメンね」
長い長い一瞬の終わりが、謝罪という形で恭平くんから告げられる。
離された唇には、ほのかに甘くて苦い味が残っていた。
恭平くんの苦笑いを視界の片隅で捉えながらそっと唇に触れてみる。
数秒前と温度は変わらないはずなのに寂しい感じがした。
「まだ怒ってる…?」
恭平くんが怯えながら私の顔色を窺う。
キスで誤魔化そうとしておいて今更そんなことをされても困る。
だけど、素直に感情を出すのは癪だから、私は困ってないフリをする。
怒ってないけど怒っているフリをする。
「怒ってる。だからもう一回」
「…理乃ちゃん可愛い」
そう言いながらキスをしてくれる恭平くんが、何よりも誰よりも好き。
非日常的な要素を中心に回っていく私のなんてことない日常。
大きな幸せに組み込まれていく、小さな幸せ。
『恭平くん』と『それ以外』に分類される私の毎日は、間違いなく『幸せ』だ。