∴這い寄れ!恋心 冬は嫌い。寒いから。でも夏よりは好き。暑くないから。 出掛けるのは嫌い。人が多いから。一人で家に居る方が好き。 だけど、たまには出掛けないと兄さんが心配する。 「鏡花。もう学校って休みに入ったの?」 「…………うん」 「何だその間!今のはさすがに気付いたぞ!嘘だろ!」 今日は朝からリビングでゴロゴロしてたら兄さんに勘付かれた。 正直なところ、学校は通常運営で授業も普通にある。 「最近はマジメに行ってただろ?何かイヤなことあったのか?」 「…………」 ただ『大掃除』という如何にも大変そうな、面倒くさそうな行事があると聞いたからサボリを決め込んでいた。 それだけの理由だけど、ここまで心配されると言い出し難い。 「……鏡花?」 「別に。寒いから外に出たくないだけ」 本当の理由と大差ない、くだらない理由を言った。 別に嘘じゃない。何となくだけど兄さんに嘘はつけない。 誤魔化し程度の本音を少しだけ漏らす。それなのに兄さんは安心したように笑う。 「着込んで行けば大丈夫!」 何が大丈夫なんだろうか。心の中でツッコんだ。 だけど兄さんの清々しい笑顔に負けて、私は着替えに向かったのだった。 普段からの怠慢さに今日は面倒くささも加わって特に着込んだりはしなかった。 制服の上にコートだけを引っ掛ける。 「鏡花!」 いよいよ出掛けようとした玄関で兄さんに呼び止められた。 兄さんの手には冬特有の細長い布が持たれている。 「俺のマフラーだけど、あったかいから巻いてけよ。なっ?」 冬は嫌い。出掛けるのも嫌い。それでも、たまにはこういうのも悪くない。 「いってきます」 「おう!」 元気な見送りを後に家を出る。 何日ぶりかに出た外はやっぱり寒くて、体内のあらゆる物が縮んだ気がした。 白い吐息の軌跡を歪める横薙ぎの風が吹く。 露出している肌で寒さを感じる度、逆に首周りの温かさが際立った。 寒いけど温かい。 その矛盾した感覚が少しだけ心地よかった。 お陰で足取りは軽くなったけど、かと言って学校へと足は伸びなかった。 (素直に大掃除が面倒くさいって言っとけば良かったかも…) 兄さんに解決してもらったのは家を出るまでのことだけ。 実の所、私は本当の目的である大掃除をやる気にはなっていないのだ。 もし私が趣味でないことにやる気を出せる器用な人間だったなら、今頃フツーの生活を送れている。 結局、私がフツーのことをするには誰かの後押しが必要なのだ。 兄さんとか。兄さんとか。兄さんとか、の。 まったく、とんだ誤算だ。 変に隠したせいで、大掃除の他にもう一つ学校に行きたくない理由が出来てしまった。 (学校に着いたらこのマフラーを取らないといけないんでしょ?) そう思うと軽くなったはずの足取りが重くなって、いつしか止まった。 家に戻るわけにはいかない、行きたくない学校へ向かう道の途中で立ち止まる。 どうするわけにもいかない中途半端な気持ちで、取りあえず私は。 「補導されるぞ。引き篭もりがたまに外出ると」 「……うるさいバカザキ」 急に出没した偏見発言男を睨みつけた。 言っておくけど、別に私は引き篭もりじゃない。 ゲームの発売日とか雑誌の発売日とか、用事がある時はちゃんと外に出る。 と、反論は心の中でしておく。実際に言うと会話が長引くからだ。 「どうしたんだよ今日は。保健室登校か?」 いちいちムカツク奴。今日もリア充臭が漂っている。 コイツとは本当に関わり合いたくない。そもそもどうしてここに居るんだ。 「リア充爆発しろ。そして七つに分かれてふさく座になれ」 「お前っていつも世良さんに這い寄る混沌だよな」 「うー!にゃー!」 スルースキルは敢えて発動していないんだ。 だってリア充と闘うのは全オタクの使命みたいなものだから。 「で、お前が学校に行きたくなさそうにしてる理由は?」 この全て見透かした感じが腹立つ。 会ったばかりなのに、今日の一連のことが全てバレてそうなこの感じが嫌い。 嫌いと言うよりは苦手なのかもしれない。 兄さんとは全然違うし、私が今まで接したことのないタイプ。 なのに私に関わってくるから理解不能。 どう反応したらいいのかも分からないから、取りあえず本能で反抗してしまう。 「大掃除めんどくさい」 数十分前に兄さんには隠した本音も、この人には別に隠す必要も無い。 「出席だけしてテキトーに済ませりゃいいだろ」 まただ。兄さんが絶対に言わなさそうなことを言う。 兄さんならきっと。そう出掛かった言葉を隠すようにマフラーに顔を埋めた。 「スポーツマンの発言とは思えませんね」 「今更敬語使っても遅えよ。お前の素行もスポーツマンの親族とは思えねえし」 ああもう。ああ言えばこう言う。 これならまだ居心地の悪いあのクラスにいた方がマシだ。 (大掃除を面倒くさがらずに、朝からきちんと登校していれば良かった) こんな風に望まない形での反省と後悔をさせられてしまうから、やっぱり苦手だ。 結局はこの人のペースに巻き込まれてしまうから、いつも必死に抗うんだ。 「オラ、突っ立ってないで行くぞ」 「わ、わっ…」 急に二の腕を引っ張られてバランスを崩し気味になる。 勢いでポケットから出てしまった手が寒い。崩したバランスよりもそちらの方が気になった。 「んだよ。手袋は世良さんから貸してもらってねーのか」 その台詞には純粋に驚いた。嫌いな冬の寒さも一瞬忘れるくらいに。 雑そうに見えるのに些細な要素を見逃さない。リア充ってどこ見てるんだろう。 「一つ貸しだな」 ぺちっという軽い衝撃と共に視界が黒く塞がれる。 片方の手袋を顔に投げつけられたのだと気付くのに少しの時間を要した。 別に投げつけられたこと自体はいい。大して痛くないし。それよりも腹が立つことがある。 (何だこの手袋―――!) いかにも高価そうな素材とデザインのリア充手袋。見てるだけでイライラするから細かい描写は略。 取りあえず、兄さんがこんな手袋を着けていたらぶん殴る。そんな手袋だ。 「要らない」 「手ェ冷やすと折角のマフラーが役に立たねーぞ」 その台詞にまたイライラが募る。 兄さんをダシにすれば私が何でも受け入れるとでも思っているんだろうか。 感情でも理論でも、どんな手段で来られようと、私はコイツの思い通りになりたくない。 「何でも片方だけって嫌いなの。するなら両方がいい」 本音半分、反抗半分だ。 それに比べるワケじゃないけど、兄さんなら片方だけじゃなくて両方貸してくれる。 兄さんは私の子どもみたいなワガママにいつも付き合ってくれる。 だけどきっとバカザキは付き合わない。それだけの違いだ。 「そんなんだから社会不適合者なんだよ」 ツンケンした言葉と共にまた頭に軽い衝撃。今度は数秒と置かずに手に取る。 同じ素材に左右対称のデザイン。間違いない。もう片方の手袋だ。 満々だった反抗心が不思議と削がれた。もちろん受け入れたワケじゃない。逆だ。 「……気持ち悪い」 イライラで満たされていた胸が急に正体不明の違和感に占拠されて気持ち悪い。 正真正銘のリア充バカザキがたった数秒で偽者になったことが気持ち悪い。 リア充のことなんてよく知らない。 知りたくもないし知れない。私はオタクだから。 長い時間を一緒に過ごしてきたワケじゃないし、心を通わせるなんて有り得ない。 それでも私は私なりにバカザキのことを理解しているつもりでいる。 少なくとも、バカザキが私のことをいつも見透かすのと同じくらいには。 憎むべきリア充で、いつもムカツクことばかり言って、私とも兄さんとも正反対。 それが私が知ってるバカザキだ。 「いつものバカザキじゃないと気持ち悪い」 私の知ってるバカザキは、ちっとも兄さんに似ていない。 この場面で私のワガママを真に受けるようなヤツじゃなかった。 近い距離にいるバカザキに手袋を押し付けるように突き返す。 何秒かその体勢のままで止まっていると上の方から鼻に掛かった笑いが聞こえた。 「後でもっと高いの買うから良いんだよ。お前はその安物つけてろ」 私は勿論その発言にムッとする。だけど同時に少し安心してしまったのも認めざるを得ない。 マンガ的に言うと、ケンカ友達が戻ってきた感覚。 まあ、随分と短いお別れだったワケだけれど。 「無駄話は終わりだ。冷えてきたからさっさと行くぞ」 バカザキは何故かまた私の腕を掴んで、私が今まで来た道を歩いていく。 これじゃあ私、兄さんが待つ家に戻ってしまうんだけど。 「私これから大掃除しに学校行くんだけど」 「行きたくねぇなら行くだけムダだろ」 また兄さんが言わなさそうな台詞。ううん、いつも言われなかった台詞。 本当は言われたかった台詞、なんてことは多分ない。 「腕離して。ポケットの中じゃないと手が寒い」 「だからさっさと手袋しろバカ」 口ではわずかに反抗をしながらも、身体はドナドナの子牛のように引かれて行く。 どうやら私の短い外出はもうすぐ終わるようだ。 「鏡花!?学校は!?」「………明日は行く」「明日は大掃除ねーもんな」「黙れバカザキ」 |