最も悪いと書いて最悪。
どの程度が『最も悪い』状態なのかは知らないけれど、私はこの言葉をよく使う。

だって『最悪』と感じることが日常生活において多すぎるから。


「……最悪…」

携帯電話の液晶を見ながら独り言で呟いてしまうくらい、最悪の状況と気分だ。

小さい液晶画面に表示されているのはクラスメートからのメール。
件名はなく、本文に用件だけが短く書かれているシンプルなメールだ。

別にそれだけなら『最悪』にはならない。シンプルなのは嫌いじゃない。
『最悪』なのは、肝心の用件だ。


「文化祭の催しについての用紙を机の中に……、提出は…明日の朝……?」


数ヶ月先にある文化祭。それでも準備は大分前から始めているものだ。
しっかりしている人が多い私のクラスは特に例に漏れず、もう動き始めていた。

「だからって、これはもうイジメの域でしょ…」

もちろんそんな事実はないのだけれど、思わず可能性を疑いたくなってしまう。

確かに、近い内にクラスの出し物を何にするかのアンケートをすると聞いていた。
ホームルームが終わるなり、さっさと帰る私が悪いことも分かっている。

私にも非がある。だから、これだけならまだ『最悪』とは言わない。

アンケート用紙の配布が回収前日の放課後になった都合が実行委員にあるように、私にだって都合がある。

確かアンケートは普通の記入方式ではなく、質問ごとに用意された選択肢の内の第一希望にチェックをしていくという時間のかかるタイプだったはずだ。
今それが手元になく、提出が明日の朝だと言うのならば、少し早めに登校するしかない。

だけど、最近の私にはそれを戸惑ってしまうような事情がある。

「明日は晴れなのに……」

夕食時に見た天気予報を思い出す。
毎日気にしているので、間違って記憶していることはまずない。

晴れの日の朝は、公園に行って静かに読書をするという日課がある。
そして、あの人と少しだけ話しをして学校に行く。
あの人と話すようになってから、それが私の日課に組み込まれてしまった。

雨の日は行かない。だから晴れの日はなるべく行くようにしている。
それは朝から生活リズムを崩すようなマネをしたくないから。断じてそれだけ。

それに、それはあの人だって同じかもしれない。
あの人の日課にも私との会話は組み込まれてるのかもしれない。

もしそうだったら、こっちの事情で断りもなしにそれを崩すのは多分よくない。

「連絡先とか分かってたらな…」

明日は公園に行けないことを知らせて、私は蟠りなく日常を送ることが出来る。
これは私なりの誠実さというもので、それ以外の理由では断じてない。

私は自分の予定が狂うのが大嫌い。相手の予定を狂わせるのも嫌い。
それは突然のトラブルに対処できないから。ただひたすら、自分の不手際さを責める。

(メールアドレスとか聞いとけば、問題にすらならなかったことだ…)
(ううん、さっさと帰らずにあと五分だけ残っていれば…)
(それよりも、もっと早くにこのメールに気付いていれば…)

全ての事情、点と点がつながって線になった時、この状況は『最悪』になる。
どうにもならない少し前の自分の行動を嘆いても既に八方塞だ。

今の状況は間違いなく『最悪』だ。それがどう展開すると更に『最悪』になるか考える。
両方とも中途半端になるのが私にとっての『最悪』であることは間違いない。

なら、両方に誠実である為には今から学校に向かうのが最善の策だ。

「……ホントに最悪…」

数時間前に脱いだはずの制服に再び着替える。
そしてカバンを逆さまにして、入っている教科書やら筆箱やらを全て床に落とす。
そこにお財布と定期だけ入れれば軽量化は成功。

随分と軽くなった装備、一秒ごとに重くなっていく心と共に、私は家を出た。


*** *** *** ***


夜の街というのは昼と全然雰囲気が違う。それこそ、別の街かと思うくらいに。

私は普段、こんな時間に外出をしない。
制服ということも相俟って、何だか悪いことをしているような気分だ。

わずかに晒されてる肌を冷たい夜風が通り過ぎていくと、それは一層にも何層にも増す。

「……最悪だ…」

家で何度か呟いた言葉が外でも出してしまう。
後悔と焦燥とやりきれなさと罪悪感。全てがない交ぜになった最悪の気分。

この重たい心を引きずるのはもう止めて、家に引き返してしまおうか。

家を出てから数十分、早くも志しが折れそうになる。
自分でも早すぎると呆れながら、だけど次の一歩をこのまま前に出そうかどうか迷った瞬間。


「鏡ちゃん!」


ありえない声が聞こえた。
声をした方向を見るとやはり想像もしていなかった、けれど見慣れた姿。

その人は朝と同じように私の方に駆け寄ってくる。
状況も服装も違うのに、その人だけはこの夜の街でもいつも通りに見えた。


「こんな夜中にどうしたの、しかも制服だし」


その発言を皮切りに、いつもの朝の時のような会話が展開していく。
いつも通りの光景は自分が望んでいたものにも関わらず、私の心を重くしていく。


だって私は明日の朝にあなたと会う為に、今出かけることを決めたというのに。


単なるタイミングの問題だ。
だけどそれをプラスに捉えることが出来ない。私は臨機応変な対応が苦手なんだ。

「こんな時間に女の子が一人って危ないんじゃ…」
「だから急いでるの。呼び止められてなければ今頃はバスに乗ってた」

そんな自分にイラついて、目の前の相手に少し冷たく当たってしまう。

悪循環だと分かっていても突き放すことしか出来ない。
もう『最悪』を通り越して『最悪』だ。さっきまでの『最悪』なんて比じゃない。

私は背を向ける。歩き出すのは家の方向。目的は悪い方に遂げてしまったようなものだ。
これだけ心象の悪い別れなら、明日の朝はあちらも会いたくないだろう。

(明日どころかもうずっと会いたくないとか思われたかも…)

連絡先を知りたいと思ってた数十分前から相当な退歩だ。
まさしく『最悪』の言葉に相応しい。…自分の全てと行動が。

すぐさま始まるのは自己嫌悪。そうじゃなくて謝罪の言葉でもすぐに出ればいいのに。

「……さいあ……、!?」

自分の身体がわずかに引き戻されるのを感じて、言葉も足も止まる。
見れば後ろから腕を掴まれていた。


「お詫びに俺も一緒に行く!」


力強い腕と言葉に、私は目的地を学校に戻さざるをえなくなった。


『最悪』じゃなくなった瞬間
こんなに優しい人の隣で、私も少しは素直になれれば良いのに。

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