※狂愛







昔から男が大嫌いだった。とくにこれといった理由はないと思う。存在自体が無理だった。汚らわしかった。無駄に低い声色やがっしりとした体つきを見せつけられる度に嫌悪感が走った。女とは全く違う、異物の生き物。ボクは霊術院時代からそんな《男》を生理的に受け付けなかった。もちろん仕事でも極力関わらないように避ける。しかし全く関わらないで生活することは困難なことも承知していた。だからボクに注意が向かないよう男をコントロールしながら、表面上は穏やかに、偽りの仮面を被って接する。避けていることを悟られ、その上よりにもよって男に指摘されるとなれば、悔しくてたまらないから用心した。親しく付き合いながらでも内心は吐き気がしたけれど。

そう――。だからあんな偽善者ぶった奴に脅さたとき、ボクは初めて《虚》という化け物にではなく《人》という生き物に明確な殺意を覚えたのだ。







絶望プレリュード



「渡嘉敷!おっはよー!」
『おぉ宮内、おはよ。なに?朝から良いことでもあった?テンション高いよ』


ボクの通常の出勤時間は8時28分。一生平隊員のままで過ごそうと決意しているため、先輩死神のご機嫌取りのために朝早く出勤して掃除する必要もない。新入時代にそれらのことは全て済ませた。適当に話を合わせて、ときたま自分の仕事ついでに他隊へ書類運びやイベント時に仕事を変わってあげれば、死神生活を円滑に過ごすのにこれといった障害はない。支障をきたさないのであれば、それ以上望むことは他にないわけで……遅刻ギリギリに出勤してもてんで構わないのだ。

寝惚け眼の瞳に今日の宮内は幾分か輝いてみえた。ボクとは違い席官……それも憧れの十番隊三席を目指す彼女の朝は早い。4時半に起床し隊舎内を一通り掃除し、残った時間をすべて自主鍛錬にあてる。もともと上流貴族生まれで、霊圧も才能も十二分にあった宮内はみるみるうちに、護廷でも席官入りがはなはだ難儀だとされる十番隊席官の地位を手にいれた。親の世代からの才能を宮内は存分に引き継いでいるのだろう。霊術院時代にありありと感じたことだが、どれほどボクと彼女のように勉強し修行したってそれはまったくの無駄だ。元々の素材が天と地ほど違う。下級貴族出身で両親共に並みの霊圧しかなかったボクはどう足掻こうと宮内には届かない。越えられない壁がそこには確かに在った。そういいつつも、最低限自分の身さえ守れれば充分だと考えるボクと、隊の為に精一杯貢献したいと願う宮内とは、心持ち事体が別次元のため当たり前かもしれない。

「あたしの名前は宮内瑞穂。今日から同じ一組のクラスメートとしてよろしくね」
昔は、遠い昔は、ボクにも……宮内にのように誰かの役に立ちたいと本気で考えていた時期があった。周りと比べて自分が平凡でないことは幼い頃から自覚していた。立派な死神になって人々を救いたいと、意気込んで霊術院へ入学した。そこでボクは宮内に出会ってしまった。飛びぬけた才能を抱えた非凡な宮内に、ボクが敵うはずがなかった。到底太刀打ち出来やしない。彼女に出会って、自分が井蛙だったことを認識したのだ。上には上がいる。もしも仮にこれが《男》ならばきっと違っただろう。あんな奴らに負けてられない。闘志を燃やし、今も昔と変わらず汗を流し厳しい修行に耐えていたはずだ。しかし宮内は自分と同じ《女》だ。同姓が、しかも同じ年頃の子が、ボクの何倍もの力をいとも簡単に操り、そして惜しみもなく力を奮った。たったの一瞬で……その行為に魅せられた。


「今日さぁ、実は日番谷隊長と二人で現世任務なの!」


主席であることを鼻にかけず、気さくな笑顔で話しかけてくれる。そんな宮内を前にすると、自分なんぞ虫けらのような存在でしかない。おそらく死に物狂いで鍛錬したとしてもボクでは、せいぜい席官入り出来るか出来ないかのギリギリ程度しか望めない。
……努力を完全に放棄した瞬間だった。そしてその時分からボクはある特別な、とても大切な感情を彼女に抱いていった。ふわふわして掴めなくて、だけど心地のよい恋慕に近いこの感情。友情?愛情?わからない。ただ……この言葉で表せない感情を自覚したとき、とても嬉しかったことを鮮明に覚えている。

(宮内ー!)
(渡嘉敷!)

愛称として苗字で呼び合い親しくなるにつれてこの感情はだんだん膨れていった。男を憎んでいることや、それに対抗して普段の一人称は《ボク》である自分を宮内は受け入れてくれた。ひとこと「言われるまで全然分かんなかったよ。渡嘉敷って一人称ボクなんだぁ。なんか可愛い!」そう微笑んでくれた。男嫌いを特別視しない。仮面を被らなくても気軽に口が開ける。ココロが安らいだ。


『すっごいじゃん!隊長と二人で任務なんて……信用されてるって証拠だね』
「うん。すっごい嬉しくって、一番に渡嘉敷に報告したくってさぁ」
『それで遅刻ギリギリ出勤のあたしを待ってたワケか。いやーなるほどねぇ』


朝の集会のために集まってくる死神が多くなったため、一人称を無難な《あたし》に切り替える。宮内が苦笑いしながら、じゃあ行くね、と手を振った。八番隊の隊舎から十番隊までは意外と距離がある。宮内ほどとなれば瞬歩を使ってあっという間に着いてしまうだろうが、あと数分もすれば一斉にどの隊でも集会が開かれる。十席の地位に就いている宮内が遅れると示しがつかない。それに、おそらく、日番谷隊長に一刻でも早く会いたいのだろう。

日番谷冬獅郎……100年程前、史上最年少で十番隊隊長に就任した稀代の天才児。もっとも今では《児》というほど少年ではないためこの表記は当てはまらない。《青年》といった方が正しいと宮内が教えてくれた。ボクたちが生まれた頃に隊長となったこの日番谷冬獅郎という人物は、戦闘はもちろんのこと事務作業などのデスクワークまでもをこなすオールマイティーな死神だ。その有能さや苦労性ながらも優しさを持ち合わせている彼を、慕う部下も大勢いると聞く。
ボクは一度も直接目にしたことはないが、教科書や参考書に載っている姿かたちから人気の理由もなんとなく知れていた。落ち着いた風貌にしっとりとして、かつ威厳をもった面持ち。十の背中を焦がれる気持ちも分からなくはない。だけど所詮あの人は《男》だ。そこらにいる奴らときっと大差ないだろう。そんな風にやはりあの人のことを、ボクは良く思っていなかったのだ。

「あたし第一志望隊……十番隊にする、ね」

卒業試験間近に宮内はボクにそう告げた。主席である彼女の要望が通らない可能性などなかった。遠まわしに宮内はボクを誘ってくれていたのかもしれない。十番隊の副隊長は松本乱菊という女死神だ。医療系の授業を選択しなかったボクたちは、隊長・副隊長共に女性である四番隊に入隊するのは困難。他の隊で隊長格に女性が就いているのは二、五、八、十、十一、十二番の五隊だけだが常識的に考えて入隊しても安全そうなのは五、八、十に絞られる。護廷内でも絶大な人気を誇る日番谷隊長率いる十番隊の倍率は年々鰻登りで上昇中だとかなんとか。可憐でお淑やかと謳われる雛森副隊長率いる五番隊もそこそこ競争率が高い。特進クラスに所属していたボクも宮内と一緒に志望すれば受託される可能性もなかったわけではない。ただ……他人と、それほど執着してないことで競う気が起こらなかった。

そしてまた、宮内が日番谷隊長に憧れだけでなく、恋慕の情を抱いているのも薄々感ずいていた。実技試験も筆記試験も飛びぬけてよく出来る宮内だが、なにも勉強しないでその成績を出しているわけではない。しっかりと予習復習を繰り返し、日々修行に励んでいるからこその成果だ。素材がよくても努力を怠れば、それは只の宝の持ち腐れに過ぎない。三年生の頃、ちょうど筆記試験の勉強をしていたとき、淀みなく動いていた宮内の手が何かに気づいたように止まったのをボクは知っている。初めて護廷隊の隊長格が試験範囲になったときだったと思う。十番隊――氷雪系最強の斬魂刀を所有する日番谷冬獅郎が率いる、バランスのとれた隊。そんなことがずらずら記されていた紙面を見て、ほのかに彼女は頬を染めたのだ。
それからだった。宮内がいつにも増して積極的に行動するようになったのは。入学した当初から勤勉な性格だった宮内だが、どこか積極性に欠けていた。あまり物事にも執着してなかった。お前がもう少し貪欲になってくれればなぁ……担任の大宇奈原先生がよくこう嘆いていた程に。そのつど「あんまり理由ないのに闘うのって、なんかちょっと嫌なんです」と曖昧な返事ばかりしていたように思う。人が良い宮内は争うのに抵抗があったらしい。出来れば闘いたくない、でもこうしないと怒られるから。そんな思いは彼女を消極的な性格へと導いていった。しかしあの後――日番谷隊長の資料を目にした次の日から、宮内は別人のように人に対して剣を揮いだした。先輩たちに相手を頼み、本物の実践形式での訓練を繰り返し行うようになった。実践じゃないと解らないことがあるでしょ?そう笑って答えてくれたが、その原動力となっていたのは間違いなく《日番谷隊長》だとボクは確信していた。






「あ゙ー頭いた!副隊長の声じんじん響くわ。やっぱ昨日飲みすぎた」


宮内が帰ったあと、すぐに伊勢副隊長がいつものむっつり顔でやってきた。本来ならば集会は隊長職に就いている京楽隊長が行うべきだが、生憎うちの隊ではその常識が通用しない。事務作業は総て副隊長任せなのだ。連絡事項も任務統率も何から何まで。隊長はといえばのらりくらりと瀞霊廷を副隊長から逃げ回り、数日に一度、隊に寄るようなたちの悪いサボリ魔だ。伊勢副隊長も常日頃からご立腹なようで、今日はとうとう長らく行方知れずだった隊長に、朝っぱらからカミナリを落としたのだった。向かい側に座る先輩がいきなり唸りだしたのもこのせいだ。いや、先輩の場合は京楽隊長と飲みすぎたのが原因だろうけど。頭を抱えて筆をとろうとしない先輩は、顔が異常に青かった。人目で体調が優れないのがわかる。……ったく仕方ないなぁ。ここで恩を売っとくのも、いつか役に立つだろう。


『せんぱーい、あたしちょうど四番隊に届ける書類が完成したので、ついでに薬もらってきましょうか』
「え?マジ?渡嘉敷貰ってきてくれんの?」
『その代わり今度おいしいもの奢ってくださいよー』
「おっしゃ、分かった。特大の肉食わしてやるから、頼む!」


自分の体調くらい自分で管理しろよな。お酒に溺れるなんて、バカな行為。女に溺れるよりかは幾分かマシだけど。この先輩はまだいい。入隊してからずっとペアを組んでいるが、女たらしでもなく、基本的に真面目な死神だ。男死神の中で、あたしは唯一認めている。他は彼女に振られただけでバカ騒ぎしだすどうしようもない奴らばっかりだ。
あと一時間で昼休みに入るため、いいサボりの口実が見つかってよかった。と時計を確認して思った。そういえば宮内も日番谷隊長との任務前で緊張しているところかな。聞く暇なかったけど、たぶん任務は午後からだよね。それでも隊長が同行しているんだから危ない目には遭わないだろうから安心だ。できるだけ四番隊まで時間をかけていこうと、少し遅めに歩きながらボクはそんな下心をめぐらしていた。


30分ほどの時間を要して目的地に着くと、そこは異様な雰囲気が漂っていた。とりあえずさっさと用事を済ませようと思って、さほど重要でないものは四番隊舎の提出ボックスに、重要なものはドア近くにいる死神に手渡しした。そして二日酔いの酷い先輩のために薬を貰いにいこうと薬局部に足を運んだとき……日番谷隊長の名前が頻繁に飛び交っている会話に出会った。


「さっき三席が話してるのをたまたま聞いちゃったんだけどね。一時間くらい前に血だらけで重体の人が運ばれてきたじゃない?あれって日番谷隊長らしいよ」
「ええ!?嘘!あの日番谷隊長が?まさか……だってこの前四番隊に治療で来たときって確か3年前でしょ?任務遂行率なんてほぼ100%じゃなかったっけ」
「聞いたときは私もビックリしたけど、先輩たちいつもよりよそよそしいじゃん。しかも卯ノ花隊長も第一救護室から一向に出てくる気配ないし。絶対、隊長格が怪我したんだよ」


ふーん日番谷隊長がね。そりゃあの人だってヒトの子なんだから失敗だってするでしょうに。第一救護室って上位救護班で構成される治癒の最高峰みたいなものだから、そこで治療を受けているとなるとそこそこ危険な状態なわけだ。でも、どうせ日番谷隊長ほどの死神ならば時間がたって霊圧が回復すればすっかり元通りだろう。副隊長以外は超真面目な死神で形成されてる十番隊なら、一週間くらい隊長が抜けたって問題なさそうだし。それに卯ノ花隊長自らが治療の指揮をとっているのなら、まず死ぬことはない。最悪でも植物人間状態ってところだ。生と死。どっちに転がったって所詮ボクには関係のないことだ。あれ……待って。確か宮内って今日が日番谷隊長と現世任務があるって話してくれたけど……それって午後からのことだよ、ね?隊長格では一日に現世任務が三つ入っていたって普通だって云うし。まさか午前中じゃないよ、ね?だって午前中だとしたら、日番谷隊長が運び込まれる原因となった任務に、宮内は同行していたってことに……。


『あの!』
「あ、はい。えーと今日はどんな」
『さっきの話……日番谷隊長が運び込まれてきたって話、あれにもう一人あたしと同じくらいの女死神はいませんでしたか?』
「ん?確か、もう一人同行した席官の子も運び込まれたって聞いたような……」
「ていうかその子の方が酷かったんでしょ。日番谷隊長に担がれて来たところ、あたし見たもん。確か……最近十席に就任した人?」
「そうだっけ?」
「ていうかそうなると治療で優先されるのって日番谷隊長だよね〜。その子、可哀想」
「あぁ確かに。絶対日番谷隊長優先だよね」


最後の方の会話はまるで耳には入ってこなかった。最悪の事態が頭をよぎる。もしもその死神が宮内ならば?もしも宮内が死に直結する危機に瀕しているのならば?ぞわり。背筋に悪寒が走った。

卯 ノ 花 隊 長 ノ 元 ヘ
宮 内 ガ
運 ビ 込 マ レ タ … …


身を翻し、廊下を駆ける。後ろでさっきの人たちの声が聞こえてた構ってられない。どうしよう……宮内がそんな危ない状態のときに、ボクはのんびり書類運びなんかしてたなんて。お願い死なないでッ。お願い、死なないで。神様なんて信じていなかった。神の手で救われるなんて嘘っぱちだとさえ思っていた。だけど――もしも本当に《神》という創造者が存在するのならば、お願い、宮内を救って……!

第一救護室前にボクが到着したころには、既に日番谷隊長が負傷したという報告を受けた十番隊隊士たちで溢れかえり、軽くパニック状態に陥っていた。伊江村三席が必死で声を張り上げ、その場を収めようと躍起になっているがまるで効果はない。戸付近は特に人口密度が高く、ボクのような平隊士が迂闊に近づけるような空気ではなかった。くっそ……!!上手くいかない事体に苛立ちが募る。どうせ日番谷隊長の安否が心配なだけでしょうが。あの人が卯ノ花隊長の最善の治療を受けて死ぬはずないじゃないか。根拠のない理屈を吐く。日番谷隊長だって死ぬ可能性はあるに決まってる。ただ、確率が低いっていうだけの話だ。それでもボクはあの人よりも宮内のほうが心配で、不安で……。この扉の向こうには宮内がいるっていうのに、傍にいけない。地団駄を踏んで悔しがったって状況は打開されやしない。それでもボクは気づけば床を激しく踏んでいた。


「あ、日番谷隊長!ご無事でいらっしゃいましたか!!」


前方でした声にみなの注目がいっきに集まる。霊圧を足に固めて上に跳ぶと、隊首羽織を羽織っていない死覇装姿の――それも殆ど血や泥で汚れ、半分以上が破けている布を纏っただけの日番谷隊長が現れたのを確認できた。上半身がほぼ裸体に近い日番谷隊長を見て、赤くなる女死神もいた。その姿は治療がまだ不完全であることを物語っており、よく耳をそばだててみれば、案の定四番隊の隊員たちが必死で彼を呼び止めていた。もう日番谷隊長の無事は確認できたんだから、どいてよ!沸々と湧き上がる、この感情。お願いだから、ボクを宮内のところへ通してよ。

しかしボクの心情を察してくれる死神など、一人もいない。当たり前だが、こんなことになるのなら少しでも十番隊に伝手を作っておくべきだった。


「隊長!治療の方はもうお済でなのですか!」
「少し、静かにしてくれ。見ての通り俺は全快とはいわねぇが、ほとんど完治している」
「では隊長はもう安全なのですね」
「だが俺が任務に同行させた宮内が未だ回復しない。……はっきり言ってかなり危険な状態だ。俺の身を案じてここに来てくれた事には感謝するが、お前らの話し声で治療に支障が出るのは避けたい」
「それでは俺達は何をすれば……」
「ここに居てもいいが一切口を開くな。四番隊に注意されたら奴は素直に従い、隊舎へ戻れ」


十番隊三席と日番谷隊長の会話から、やはり宮内は危険な状態なことが判明した。なんで、宮内が!隊長格が付いてたって言うのに。なんで……!なんで、あの人だけ無事なのよ。おかしいじゃない。隊長のくせに、隊員を守るのだって仕事でしょう?どうして。なんで、よりにもよって宮内が。ギリッと無意識のうちに日番谷隊長がいる方向を睨んだ。あんたが悪い、あんたさえいなけりゃ、宮内はこんな危険な目に遭わずに済んだ。あんたが、宮内を選んだから……。

(隊長危ない!)

いいや違う。あの人は何も悪くない。きっと宮内のことだから、日番谷隊長を庇ったのだろう。憧れを、恋心を、抱いている人の危機だ。宮内が身を投げ出すことくらいボクなら分かる。わかるけれども――この感情はどこへやればいい?八つ当たりだとわかっているとも。それでも宮内が危険な状態なのは変わらない。もしもこのまま目を覚まさなかったら?ボクは誰にこの感情をぶつければいい?


「それと竹添……悪いがお前の隣にいる女、こちらに遣してくれ」
「は、はい。えぇっとこちらの方ですね?おい、お前、日番谷隊長がお呼びだ」


頭の中が宮内のことでいっぱいで、日番谷隊長への怒りと憎しみと戦っていたボクは全く頭上での会話が耳に入ってこなかった。ようやくそれに気づいたのは、自分よりも明らかに地位の低い隊士に命令しても何も応えないことを不審がった竹添七席が、ボクの腕を引いたときだった。男に、そんな風に、気軽に身体を触れさせたことがなかったボクは反射的に腕を払う。しまったと思ったときにはすでに遅くて、目の前には訝しげな顔の十番隊隊士たちが大勢いた。苦し紛れに、七席にお手を煩わせるほどではありません、と状況も把握せぬまま応える。


「八番隊第十五班所属だっけか?渡嘉敷咲夏、早く来い」
「……はい」


所属と名前を告げられてからようやくボクは、自分が日番谷隊長に呼ばれていることを悟った。天井にあたらぬように、低飛行で救護室の戸へ着地した。平隊士が席官の頭上を越えるなんて、普通は許されない行為だが、この時のボクには宮内で頭がいっぱいで他のことに気を配る余裕がなかった。どんな理由でさえ、宮内の元へいけるのならばそれで良かった。

そう――思えばこのときからおかしかったのだ。他隊の隊長が、席官でもなく、大して目立たない平隊員のボクの名前を知っている時点で、それはとても異常なことだったのだ。


手短に説明する、と。日番谷隊長は救護室の戸を閉めながら任務中に起きた出来事を話し出した。ボクとしては一刻も早く宮内の顔が見たかったのだが、知って置くべきだと思い、渋々とどまった。予想通り、宮内は日番谷隊長を庇って胸を貫通する傷を負ったらしかった。その上最悪なことに、退治するはずの虚は毒性の強いタイプだったらしい。四番隊の解毒班が急いで解毒剤を調合しようとしているが、任務から数時間たった今でも完成していないそうだ。胸の傷は、毒を中和してからしか塞げないため、解毒薬が出来ないことには何も出来ない状態だ。持久戦になってしまえば、いつまで宮内の体力が持つかわからない……どちらにしろ瀕死の状態だった。


「すまない。俺が付いていながら……」
『日番谷隊長を庇ったのは間違いなく宮内の意思です。だから日番谷隊長のせいではないです』
「……」
『宮内が目を覚ましたとき、絶対に謝らないで下さい。宮内は日番谷隊長に謝られたいんじゃないと思います。感謝されたくて、したんです』


初めての生の医療現場にボクは唖然とした。血で染まった胸が痛ましかった。毒の作用で一部の肌が変色している。入れ替わり立ち代りで四番隊の隊士たちが、宮内の身体に鬼道をかけていく。ボクは薬草の知識などないから、解毒剤を作るのがどんな困難なことなのか想像もつかない。うっすらと卯ノ花隊長の額にも汗がにじんでいる様子から、この状況がいかに危険なものであるか分かった。ここにいても何の役にも立たないので、30分ほど宮内を見届けてから、邪魔にならぬよう救護室の廊下へ出た。気を紛らわせるため貧乏ゆすりをしながら宮内の無事を祈った。


しばらくすると自分の治療を完全に終えた日番谷隊長が姿を現した。新しい死覇装に着替えた日番谷隊長は凛とした空気を纏っている。これが凡人との差というのか。発するオーラ自体がこうも違うと嫌になってくる。
そういえば。と、今になってどうして日番谷隊長はボクの名前を知っていたのだろうか、という疑問が頭に浮かんだ。宮内から話を聞いていたのだろうか。いや……話で聞いていても、会ったことがないボクの顔と名前が一致するはずがない。あの時、日番谷隊長はまっすぐにこちらを見ていた。一点の迷いもなく。ボクの疑問を投げかけるような視線に気づいた日番谷隊長は、こちらへやってきた。


「なにか、聞きたいことでもあるのか?」
『……いえ。特に』
「そうか。……お前、宮内に聞いてた通り、興味のないことには天から冷めた性格なんだな」
『そうですか?』


宮内から聞いていた通り、か。宮内はボクのことをそんな風に思っていたんだ。へぇ意外。冷めてるって言うか、ただ面倒なだけなんだけどな。別に興味があることだって、体調が優れなかったり気分が乗らなかったら、手間がかかってしんどいから行動しない。というか、それでも日番谷隊長がボクの顔を知っている証明にはならない。宮内が顔の特徴までこと細かく説明したとはどうしても思えないし。所属まで知っているとなると……ボクはどこかの噂で悪目立ちでもしたのか?入隊してから今まで人目を引くようなこと、した覚えないんだけどな。なんでだろ。

(まあいっか)

別にボクには、日番谷隊長がボクを知った経緯がどうであろうと、関係ないことだし。どちらかといえばそのおかげで宮内の傍までこれてラッキーだ。


「霊術院時代から、うちに入隊させたいと思ってたんだよ」
『宮内を?』
「いや。渡嘉敷咲夏、お前を」
『……随分変わったスカウトさんが十番隊にはいるそうですね』
「そいつが目の前に居る俺だっていったら、どうする?」
『全力で謝りますね』


クックと、のどで笑われた。これだからお偉いさんはジョークが通じないんだ、とボクはむっと口を尖らせる。いや、そもそもボクを入隊させようとしたっていう話自体がジョークか?それなら、この人見かけによらず自分から冗談言えるタイプなんだ。ふーん……宮内の好きな人って変わってるんだ。


「ほんとは一位指名をお前にするつもりだったんだがな」


この人、変わってるどころじゃないな。これは完璧、変人の域だ。現在一番ボクらの代で出世したのが宮内であることは紛れもない事実だ。他の特進クラスの奴らだって、良くて下位席官。ほとんどがボクのように平のままだ。そしておそらく、この先一番将来に見込みがあるのも、また宮内だろう。たった10年で十席まで上りつめた女傑は、あと数十年も経てば副隊長になるのだって夢じゃない。そんな宮内よりも、とり得のないボクを指名したかった?どの口がそんな馬鹿なことを。笑えない冗談だ。そんなことをすれば「隊長の目は節穴ですか!」と隊内でバッシングが起こってもおかしくないだろう。いくら敬愛している自隊の隊長が決断したことでも、実績のない院生を一番に指名するなんて、言語道断だ。その上、主席の宮内は自ら十番隊を希望していた。十番隊も宮内を一位指名して相思相愛の仲となるのが慣例だ。

それとも天才様の思考は常人には理解しがたいってわけですかね。みなには分からない何かが、ボクにはあるとか?あるのならこっちが教えて欲しいくらいだわ。ていうか絶対に持ってないし。


「そんじゃ、そろそろいくか」
『?』
「解毒剤できたってよ。これでひとまず安心だな」
『え……』


いつのまに!?だってボクが廊下に出てから、まだ数分しか……うそ、もう一時間経ったの?壁にかけてある時計の針を確認して驚いた。つまりは知らず知らずのうちにボクは日番谷隊長と30分も話しこんでいたのだ。そんなつもり、なかったのに。もしかしたらこれがボクの人生の中で《男》話した最長記録になるかもしれない。本気で思った。こんな長時間、男の人と喋りこんだことはなかった。挨拶をするだけでも嫌で仕方ないのに、どうして日番谷隊長では、そこまで嫌悪感を抱かなかったのか不思議なくらいだ。歳が近いから?いやいや、ボクの嫌悪感を抱く対象は同年代にも及んでいた。それでは何故?

僅かに身長差のある、ボクと日番谷隊長。宮内のいる病室へ入るとき、頭をポンポンと触られてしまった。竹添七席に触られたような感覚はまるでなかった。おかしいおかしい。男に無許可で身体を触られて、不快にならないなんて。おかしいおかしい。今日のボクはなんだか調子がおかしい。


「あ悪い。馴れ馴れしかったな」
『……別に大丈夫です』


別に、じゃない。一大事だ。そうだ、あんた、馴れ馴れしいんだ。他隊でしかも初対面のヤツなんに気を配るな。宮内で頭がいっぱいになっているボクの不安を取り除こうと、変な話で注意を引いたりして。ほっとけばいいのに。こんな怠惰で役に立たない平隊員のことなんか。宮内が危ない状態だったから、普通じゃない異常な状態だったから。ボクは日番谷隊長に不快感を抱かなかった。いつもの毎日に戻れば日番谷隊長も、忌み嫌う男の一部になっているはずだ。そうだ、そうに決まってる。じゃないと……。

(じゃない、と……)


「解毒剤が効いてきたので、胸の傷も塞ぎました。一時間ほどすれば意識も取り戻すでしょう」


卯ノ花隊長の声で我に返った。今は宮内のこと考えなきゃ。きっと何週間か入院するだろうから、着替えとかの生活必需品類を持ってこなきゃいけない。宮内の自室の鍵って、確か斬魂刀の柄に入ってたよね。それで宮内のお母さんやお父さん達にも一応連絡して……。今からやることのスケジュールを頭で組む。かなり、忙しくなりそうだ。あっ、そういえば先輩の薬貰うの忘れてたな。というか完全に昼からの職務を無断で放棄してるし。伊勢副隊長にバレなきゃいいけど。でも今日は機嫌悪そうだったし、その可能性は低いか。

でもまぁ――宮内が無事。その事実だけでボクには充分かな。


『こんな高度な治療が受けられなかったら、宮内間違いなく死んでましたね』
「あのなぁ」
『日番谷隊長と一緒に怪我してラッキーなこともあるんですね。日番谷隊長と一緒じゃなかったら、卯ノ花隊長自らが治療にあたってくれる可能性なんてないに等しかっただろうし』
「ったく……妙なとこだけリアリスト」
『宮内がそう言ってました?』
「あぁ。そこがお前の長所でもあり短所でもあると言ってたぞ」


現実主義者、か。確かにそうかもしれない。自分の才能に見切りをつけ、最小限の努力しかせず、親友の残した数々の功績を称えることしかしないボクにはピッタリの言葉かもしれない。あぁ嫌味なくらいお似合いだ。宮内はよくボクのことを解ってるんだな。でも、長所なわけない。長所なわけないよ宮内。良品の宮内とは違う、根っからの不良品女だよ。
つぅ……。そんな余計な話を日番谷隊長がするものだから、ベットの上ですこやかに眠っている宮内を見たとき、ボクは不覚にも涙を零してしまった。隣に立った日番谷隊長はこれといって気にするもなく、少し困ったように微笑んだ。何よあんた本当に何者なの。人を簡単に泣かしといて。ばか、ばか、ばか。宮内、なんでこんな人のこと好きなのよ。




次の日からボクは毎日お昼を過ぎた頃に宮内の病室へ行くのが日課となった。あれから日番谷隊長が隊舎に戻った後、おばさんに連絡を入れると、ものの数十分のうちに邸宅から駆けつけてくれた。ボクが頼む前におばさんは宮内の生活品と本などの少しの趣向品を持って、お礼を言ってくれた。ボク何もしてないんだけどなぁ。と思いつつ、ありがたくお礼は受け取っておく。

(渡嘉敷さん、本当にありがとうね。瑞穂のそばに居てくれて、本当にありがとう)

ほとんど何から何まで、引き受けてくれたのは日番谷隊長だ。ボクはそれにほんのちょっと肖っただけ。宮内の入院届けなどは勿論のこと、なんとボクが無断でサボったことについても伊勢副隊長の許可をとってきてくれた。おかげでお咎めは、先輩の二日酔い薬をもって行くのが遅くなったことだけだった。まぁなんというか、本当に細かいところまでよく見えている人だ。抜かりがない。


『み・や・う・ちー、ボクのことそーとー日番谷隊長に喋ったらしいけど、どういうことですかね?』
「え?いや、だってちょっとくらいいいでしょ。ていうか隊長の方から渡嘉敷のこと聞いてきたんだって。元から知ってたんじゃないの?」
『うわ、マジで?じゃああの話ほんとうなのかよ……うわぁああ鳥肌たってきた!』


口がきけるまですっかり回復した宮内は、やれ大福を買って来いだの、やれ羊羹を買って来いだのと、日に日に注文が多くなっていた。ひとを上手いことこき使いやがって……!とボクはちょっぴりお怒り気味だ。それでも宮内が入院してから、霊術院時代のように話す時間が増えた。入隊してからはボクは相変わらず暇人ライフを満喫していたけれど、宮内は席官入りを果たすべく休日返上で鍛錬所に通っていたから、こんな風にのんびりと会話できるのが実は嬉しかったりする。


「え?え?なにそれ!?渡嘉敷!その話、詳しく教えて」
『黙秘権を請求します』
「うわセッコー!」
『何とでもどうぞ。……本当にしょうもないことだし。ジョークだし』
「隊長がジョークとか言えるわけないじゃん。ねぇー教えてよぉ」


うげ宮内の目がマジになってる。これはヤバい。強行手段を使ってでもこいつは、全力で吐かそうとするぞ。お、でもタイミングよく日番谷隊長こっちに向かってる。霊圧を瞬時に察知して、ボクはにやけた。病み上がりの宮内はまだ気づいてない。おし、二人きりにしてあげるって名目をつけて、さっさととんずらしよ。病室の窓を全開にしてボクはレールの上に乗っかった。あぁ!と宮内が逃走を阻止しようとしたときは、もう遅い。シュタっといい音がして無事、地面に着地。平でもこれぐらいのことは出来るんですよー宮内十席。じゃあねー!と手を振って、ボクは隊者へ繋がる道へ戻った。

(それに今は日番谷隊長に会いたくないし)

あの時、頭を触られた感触が……まだ忘れられない。あれは平常心じゃなかったから、不快に思わなかっただけだって、ずっと言い聞かせてきた。絶対にそうだという確信がある。というか逆にそうでないと困る。それでももし、もう一度触られて、ボクは平気だったら?自分の知らない未知の世界へ踏み込むようで、怖かった。





「ああもう!渡嘉敷のやつ」
「渡嘉敷がなんだって?さっきまで霊圧が感じられたんだが」
「こここんにちは日番谷隊長!」
「元気そうだな宮内……あいつ逃げやがったな。しかも窓から」
「あっはい。なんか隊長がジョークを言ったとか意味不明なこといい逃げしていきました」


親友と入れ違いで見舞いに来てくれた想い人に、宮内の体温はわずかに変化した。気を利かせてくれたのかな……渡嘉敷は。んなわけないか。男の人と、こんな個室で閉塞された空間にいたくないだけだよね。日番谷隊長は渡嘉敷が嫌っているようなことをする人じゃないんだけどなぁ。でも今までの価値観をいきなり崩すのって難しいもんね。ちょっとずつでいいから、隊長のこと好きになってもらえるといいな。