『たいちょ、腕の具合はどうですか?』
「ん。まぁまぁだな……日常生活に支障はない」
『とか言ってるくせに、ご飯、零れてますよ』
「ちっ」
『やせ我慢したってバレバレですよぉ』


俺がわざとそんな声を出すと、すかさず渡嘉敷は俺の隣りに来て飯を口に運んでくれる。俺の食べる速さに合わせて、丁寧に。

――先日の任務で右腕を負傷した俺を気遣ってか、部下である渡嘉敷はよく俺をサポートしてくれるようになった。もともと面倒見のよい性格を俺が利用しているといったらそれまでだが、好きな女を独り占め出来る要素が今の俺にはあるのだからそれを利用しない手はない。利用できるもんは何だって利用すべきだ。


本当はもう完治している。当たり前だろ?隊長格がこんぐらいの怪我を一週間も引きずるなんてなんてこと、あり得るはずがねぇ。もちろん俺だって、最年少とはいえ一応隊長格だ。こんなもんとっくの昔に治っている。だけど俺は未だに痛々しいほどの包帯と傷跡を腕に残している。


『隊長って右で字を書くのと、左で書くのとではすごい違いですね』


まぁきっと私も利き手じゃない方で書いたら悲惨なことになるんでしょうけど。と、俺の顔をのぞき込んでくる渡嘉敷は可愛い。もちろんこれも俺が左で書いた字が下手だったら、こいつはこんな反応をするだろうと思って仕組んだこと。はにかんだ顔が堪らない。


疑うことを知らないこいつは、俺がどんな嘘を付いたってそのまま信じてしまうのだろう。もう周りの奴らはうすうす感づいているはずだ。《俺の腕は完治している》と。それを口に出さない理由はやっぱり俺が隊長という役職に就いているからだ。

(権力さえも行使する)

いいじゃねーか。俺は今までやるべきことは全てやってきた。周りの期待通りに《神童》として十分の結果を残してきた。その努力に見合った地位が《隊長》だったというだけのこと。それを仕事以外の何に使おうが、俺の勝手だ。職権乱用?だから、なんだ。良いだろ別に。今の護廷に十番隊隊長になる資格のあるヤツなんていねーし。


『あぁー!こんな所に書類がっ』
「どうせ松本が隠してたんだろ。んなに驚くな」
『だって……私、今からやっと休憩出来ると思ったのに』


しゅんと塩をかけられたように、へこむ渡嘉敷。お前がそんなに頑張る必要はないんだぜ?優しいお前のことだから、松本の書類を請け負う俺の負担を軽くしようとしてるんだろ。まぁそのおかげで一緒に執務室にいる時間が多くなって俺にとっては好都合。


ゴキブリは怖くないくせにハエを見ると泣き出すくらい嫌がるところ。俺みたいな異質なヤツにでも他の隊員達と同じように分け隔てなく接するところ。緊張しだすと両手胸の前で組んで体を震わせるところ。

(全部俺は知っている)
(全部が堪らなく好きだ)


コンコン
「すいません。日番谷隊長はいらっしゃいますか?」
『あれ?こんな時間に誰ですかね??』


俺が渡嘉敷と二人きりでいる時に入室したいとは。どうやら、そいつはそうとう痛い目に遭いたいらしい。


――そんな思いは入ってきた人物を見て一瞬でなりを潜めた。なんだよ。お前か、阿散井。

(お前にはやって貰うことがあるからな)


「あっ、すいません。日番谷隊長……」
「いや、別に構わねぇ」
『恋次くん!久しぶり。今日はどうしたの?見たところ仕事の用じゃなさそうだけど』
「ん。いや、さっき檜佐木先輩に渡嘉敷の様子見てきてくれって頼まれてな。お前、もしかして先輩との約束忘れてないか?」
『あぁあッ!!忘れてた!』


大きく目を見開いて、渡嘉敷は阿散井の方を見る。そうだよな。あれだけ檜佐木と約束してたのに、見事にすっぽかしてるもんな。

(俺の世話に気を取られて……か)

あぁ、やばい。さっきの時間は完全に俺のことしか考えてなかったってころだろ?うれしい。


『今からでも間に合うかな?!?』
「俺がお前を引き留めていたことにしておけ。檜佐木ならそれで許してくれるだろ」
『え?でも……』
「嘘も方便っていうだろ。なんでもかんでも正直に話せばいいってもんじゃねぇよ」


そう。この俺のようにな。――自分の本心なんてもの、隠して当たり前。馬鹿正直に本心を明かすやつは、余程純粋な心の持ち主なのだろう。俺にもそんな頃があったのかもしれないが、今はその面影すら伺えない。でもいいんだよ、これで。


『隊長ありがとうございます!今から修くんの所に行ってきますね』
「ん。気ぃつけて行けよ」


これで俺は《約束を忘れた部下を庇う良い上司》という印象が渡嘉敷に植え付けられた。好感度アップってところか?どちらにせよ俺の立ち位置はさっきよりも確実に渡嘉敷の中であがったわけで……。

(阿散井、ごくろうだったな)








恋次達が執務室を出て行ったあと、冬獅郎は先程とは別人のようにきびきびと右手を動かした。そして隣りにある書類の山をひとつ片づけたところで、冬獅郎はその手を止めた。


「そろそろ、か」


不気味に冬獅郎の口角があがった。つられて小さく声を漏らす。それは今まで堪えていたものが溢れだしくるような……そんな様子だった。


「クックク」


この俺が恋敵の元へやすやすと行かせるわけないだろう?ちゃんと一時間前に九番隊へ隊長格用の書類を大量に送り込んでやったんだよ。隊長が抜けている九番隊では副隊長の檜佐木しか、その書類を仕上げることは出来ない。
渡嘉敷を過小評価するつもりはないが、流石にあの書類の難易度はあいつの能力範囲外だろう。自分に何も出来ないと分かるとあいつはどうするか?そんなこと簡単だ。只でさえ約束の時間に遅れているというのに、わざわざ檜佐木の前に現れる筈がない。そう。檜佐木の切羽詰まった姿を見ると、あいつは邪魔をしないように、足手まといにならないように、とその場を立ち去る。渡嘉敷はそういう女だ。

そしてその後あいつはどこへ向かおうとするのか?そんなもん一つしかねぇだろ。


コンコン
(ほら来た)

『あ、隊長』
「どうしたんだよ渡嘉敷?」


渡嘉敷が戻って来たことに驚いたふりをして、俺はゆっくりとあいつに駆け寄った。


『なんか……修くん忙しそうだったから、』
「……」
『会うの、止めました』





待ちわびていたその言葉
(浸食する。お前の心を何もかも)
(俺でいっぱいにして)
(お前をあいつから――うばってやる)






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