2月14日。今日はバレンタインデーという女から男へ贈り物をする日らしい。数十年前に現世から取り入れたれた面倒な文化だ。と、いうのも。この時期になれば毎年女性死神たちが揃って現世任務を希望し、その調整を隊長である俺が行わなければならない。チョコレートという甘ったるいもんは瀞霊廷(こっち)では値が張るため、みな現世で購入したいらしい。高いと思うんなら最初っから買うなって話だが、どうやらそう簡単に諦められないようだ。

(下らねー。んな事する暇があったら書類の一つや二つ片付けやがれ)


「たいっちょ。今年はあたし、中川屋の苺大福と、こしあんを両方10コずつでよろしくお願いしま〜す!」


さっきから俺の前で仕事の邪魔をしてくるこの女の名は松本乱翆。あのサボリ魔だった松本乱菊の、娘だ。流石はあいつの血を受け継いでいるだけあって、大事な任務では申し分ない働きをしてくれる。だが、それはあくまでもそれは重要な任務中。通常の出勤態度は松本の数倍厚かましく、そしてその数倍サボリ魔だ。

つまり俺はこの100年の間に、松本親子に多大な迷惑をかけられ続けていることになる。


「そうだ忘れてた!これお母さんから。中に欲しいものを書いてあるらしいからそっちもよろしくお願いします♪」


山積みになったチョコレートの上に、ポンと乱翠は置いた。瞬間、不規則に積まれたそれらは雪崩のように崩れ落ちていった。

あれれれー?とにこやかに笑う乱翠の顔に冷や汗が浮かんだ。もちろん冬獅郎の顔にも、深い皺が畳み込まれている。


「じゃ、サヨウナラ〜!後片付け頼みまーす」
「バカ野郎!直してけ、松本ォー!!」


冬獅郎の怒鳴り声は、ここ数百年間、変わりはない。

……あり得ん、松本の奴。親も大概酷かったが、子はそれ以上に厄介だ。これもあれも、すべてこのイベントのせいだっ!指をポキポキ鳴らしながら、冬獅郎はバレンタインという文化を呪った。俺が隊長に就任した頃は、まだこのイベントには告白というものがついていた。当時はまだ子供姿(認めたくはないが)だったため、俺はかなりモテた。この時期には毎年、大量のチョコが十番隊へ送られてきたが――それも一時だけ。

(お返しは、現世で売ってるブランド物でいいですよ)
(あたしはあの簪で結構ですので)

俺に本命がいないと分かれば、すぐに女たちはバレンタインを《お返し目当ての贈り物を渡す日》に転換した。なあにがブランド物でいいですだ。ブランド物がいいです、だろ!つまりこのイベントは俺にとって、クリスマスのようにプレゼントを贈る契約を交わさなければならない儀式のようになっていた。誰だ、ホワイトデーなんて日を持ち込んだ奴は。

今ではもう大人の姿になって、隊長という役職についている俺は、その恰好のいい的だ。


「すいません、日番谷隊長!チョコ持ってきました」


ほら、また来た。ぞろぞろと次から次へと流れ込んでくる隊員たちの姿に、目を覆いたくなった。これで何個目だ?少なく見積もって150?いや、それ以上か?どうすんだよ、来月。

全て希望通りとはいかないものの、冬獅郎はそれなりの物を毎年返してきた。それはやはり元来の優しい気性が影響している。普段は厳しい隊長でも、こういうイベントにはなんだかんだ言って甘いのだ。









「ふぅ。やっと終わった……」


午後十時半。ようやく冬獅郎は今日の仕事(乱翆のも含む)を終えた。机には昼間よりも、さらに増えたチョコレートと、書類の束。外ではバレンタインということもあり、まだまだ話し声が聞こえてくる。

トントン

不意に入室を請う音が聞こえてきた。確か、今日は夜勤の死神は自分以外いなかったはず……。急用か何かか?


「入れ」


低い声色でそう言えば、戸を叩いた主はびくっとしてこちらに顔を覗かせた。それを確認すると、端から少しだけ出る小さな顔に冬獅郎は手招きした。
それに応じて小柄な――身長が120cmほどの、少女はとことこと冬獅郎の元へやってきた。


「どうした咲夏」
『これ、隊長に作ったんです』


机の傍まで来れば、座っている冬獅郎とほぼ目線の高さが同じになった。つやのあるふっくらとした丸い手には、一生懸命作ったであろうチョコレートが乗っていた。


『すっごい量ですね……』
「ん?まぁな。ほとんどの奴がお返し目当てだが、な」
『それでも凄いですよ!隊長は本当に人気者なんですね』


にこぉと破顔一笑する咲夏の頭を、わしゃわしゃと触った。いつも二人きりのときはこうやって、親が子供を可愛がるように撫でてやる。



数年前、流魂街で冬獅郎はこの少女を見つけた。まだ親の羽の中でぬくぬくと過ごしても構わない年頃。それなのにこの少女はたった一人で過酷な流魂街で生活していた。

(お前……腹は減るか?)
(うん、)
(俺と一緒に来る気はねぇか)
(お兄ちゃんと一緒に?)
(あぁ)
(そこは楽しいところ?)(ここよりは随分な)


幼い日の自分に重なり、どうしてもほって置けなかった――。瀞霊廷へ連れて行けば、みるみる彼女は頭角を現した。自分と同じように頭の回転がよく、技の飲み込みも速かった。すぐに真央霊術院を卒業し、十番隊へ入隊させた。


「おぉ、サンキューな」
『松本副隊長にさっきまで習っていたんです。上手くできたか自信はないんですけど……』
「大丈夫だ。咲夏が作ったんだろ?美味いに決まってる」


自分の膝の上に咲夏を乗せて、綺麗に包装されたラッピングをほどいた。中からは大きなハート型のチョコレートが顔を覗かせる。出来具合が心配なのか、先ほどから咲夏はちらちらと冬獅郎の表情を盗み見る。その様子がなんとも愛おしくなり、その柔らかい体をそっと抱きしめた。

(大丈夫つってんのに……ったく)

よしよしともう一度頭を撫でてやると、咲夏は大人しくなった。自分が良い子でないから母親に捨てられた。そう思っているこいつはいつも他人のことばかり気にする。俺は全部面倒みてやるって、どこにも行かないって約束してんのにな。


「ところで松本はいつからお前ん所にいたんだ?」
『……6時半くらい、ですかね?』


つまり昼に出て行ってからの半日間あいつは放浪していたわけだ。いや、おそらく咲夏のことだ。松本に気ィ遣って本当の時刻よりも早めに言ってるに違いない。

こんな小せえ奴にまで気を遣わすな、アホ副隊長。


『で、でも!松本副隊長がいなかったらチョコレートも作れてなかったと思いますし』
「そうだな」
『それに副隊長はやる時はちゃんとやってくれる方ですし』
「まぁな」


松本の長所を急いで列挙して、咲夏は不安げにこちらを見た。まるで怒らないであげて……とでも言うように。

(松本、咲夏に感謝しろよ?)


「今日だけ特別にあいつの分をチャラにしてやるよ」
『本当ですか!?わぁい!』


とんと床に着地して咲夏は抱きついた。母親のいない咲夏にとって乱翆の存在は母親も同然。乱翆に非があるとはいえ、怒られるのを見たくはないのだ。やっぱり日番谷隊長はやさしいー!


「んじゃ、そろそろ家戻るか。咲夏も今日の分は終わってるんだよな?」
『はい!』


気づかぬうちに時刻は11時をまわっていた。急いで手を繋ぎ、冬獅郎たちは帰路に着く。その手にはしっかりと咲夏から渡されたチョコレートがあった。

こいつの手っていつも暖かいんだよな。子供は大人より体温高いってうから、当たり前のことなんだろうけど。


「そういや咲夏はお返しに何が欲しいんだ?」
『……お返し?』


くるっと振り返った咲夏の頭の上にはハテナマークがぽかんと浮いていた。バレンタインデーの意味は知っていても、どうやらホワイトデーについては知らないらしい。

まぁ咲夏の年頃じゃあ別に知らなくてもいいか。


『ホワイトデーっていう日のことですか?』
「なんだ、知ってんのか」
『えっと……ホワイトデーっていうからブラックデーっていう日と対になってるのかと思ってました』
「そりゃ、そうだなッ」


確かにホワイトの反対はブラックだよな。咲夏の柔軟な発想に俺は思わず吹き出した。でもブラックデーなんか本当にあったら怖そうだな。

むぅ!っと膨れっ面をする咲夏は、やはりまだまだ子供なんだと感じた。


『わたしだってもう子供じゃないんですからね!立派な死神です!!』
「分かってるよ。お前は立派なうちの席官だ」


それでもご機嫌が治らない咲夏はしばらく前を歩いていたが、俺がこっちに来いよ、と優しく促せばしぶしぶ横へ来た。負ぶってやろうかと尋ねてみた。断られると思っていたが、意外にもそれには素直に応じ、俺の後ろへきた。背中に感じる、咲夏の存在を幸せに感じた。

――疲れてるんだな。


「なにか欲しいものはあるか?何でも買ってやるぞ」
『じゃあ……下さい
「?悪い聞こえなかった。もう一回言ってくれ」


耳元で咲夏が何かぼそりと声を発したのは分かったが、肝心な部分が聞き取れない。首を捻って咲夏の様子を伺おうとしたが、俺にべったりと張り付いていて表情はわからない。どうしたんだ、咲夏のやつ。


『き、き……!』
「き?」
『き、ききき』
「意味不明だぞ」
『きすの種類を、教えてくださいっ!』
「……はぁ!?」


開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだ。キスの種類を教えろだぁ?誰にンなこと吹き込まれたんだよ!

(まさか――!!)


『だ だって松本副隊長が、きすの種類も知らないようじゃあまだまだ子供ねってからかってくるからっ』
「チッ」


あんにゃろぉお!やっぱろあいつか!!子供に変な知識をむやみに与えるなってあれほど注意しただろうが!

(おい松本)
(なーんでーすかぁ)
(先に言っとくが咲夏には変な入れ知恵すんじゃねぇぞ)
(分かってます、分かってます。子供には子供の知識しか教えませんって)


迂闊だった。あいつがそんな口約束を守るような輩ではないことくらい、前から熟知していたはずなのに!

でも咲夏は《キスの種類》を教えろって言ってたから、それ以上のことは何も知らないって考えていいんだな?


『でぃーぷきすって何なんですか!』
「え」
『副隊長は隊長に聞いたら教えてくれるって言ってました』
「は」
『でぃーぷって深いって意味ですよね!?深いきすってどういう意味ですか!』


背中から降りて、今度は真正面から俺を見つめてくる。その瞳にはキラキラと輝く好奇心が光っていた。教えてくださいよー!と立ち止まった俺の肩をぶんぶんと揺らす。

え゙?ちょっと待て。これ俺が教えるべきなのか??こういうことって誰かに教えてもらうもんじゃなくって、何となく年頃になってから知っていくことなんじゃねぇのか!?っていうか松本!中途半端な知識を吹き込むな。


「んと、そうだなぁ……」
『深いって何が深いんですか!』

(いや、舌?)

「濃厚というか、なんというか……」
『きすって濃度で表すんですか?』

(いや、それはちょっと違う)


なんて――説明すればいいんだ。ここは保護者として、上手く誤魔化すべきか?いやでも俺の嘘を見抜かれる可能性の方が高い気が……。また子ども扱いするなって機嫌悪くなるのもなぁ。なにかいい打開策はないかとあれこれ模索している冬獅郎の死覇装を、咲夏は追い討ちをかけるように「ねぇ!」と引っ張った。


「えぇーと、それはだな。そのぉ」
『その?』
「うーん。まだ咲夏には早いというか」
『バレンタインのお返しは何でもいいってさっき隊長が言った!』


い、言ったが!でも!ダメだろ、こればかりは――。たじたじとなる冬獅郎の様子からは、隊長の威厳も何も全く感じられなかった。

あぁ、もうどうすれば……!


「あ!」


閃いたように、冬獅郎が声をあげた。


『隊長?』
「咲夏、お前確かキスの種類を教えて欲しいって言ってたよな」


咲夏はコクンと首を縦に振った。それを確認した冬獅郎は、うんうんと頷き目線があう高さにしゃがんだ。そしてゆっくりと咲夏の前髪をかき分ける。


「キスにはな、こういう種類のものもあるんだよ」


小さな額に、そっと唇をつけた。








(もう少し大人になった時、色んなこと教えてやるから、これで勘弁な)



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