30000hit企画フリリク・立夏様へ






今日見たこともない人に呼び出された。しつこく私のことが好きだとか、なんだとか褒め言葉をずらりと並べられたけれど、嬉しいなんてちっとも思わない。それどころか嫌悪感さえする。辺りを見回しても、助けてくれそうな人はいない。止めて下さいって拒絶すればきっと済む話。だけど、私は――

(人を悪く言うのが怖い)

「オレ咲夏ちゃんのことが前から好きだったんだ」
『私は……』
「付き合ってる奴いないんだろ?だったら、お試しでも全然いいからさ」
『あのごめんなさい』


たじたじとなりながら必死に無理ですと訴えてみるけれど、この人はなかなか受け入れてくれない。止めてほしい。私に触らないでほしい。冬獅郎以外の人には、こんな風にべたべた触らないでほしい。

(嫌だ。いやだ)


『あのっ。私本当に貴方とは』
「じゃあ咲夏ちゃんはオレのこと嫌いなわけ?」
『え?別にそんなことは……』
「だったら付き合おうよ!」


ずいと出された体を私は避けた。こんなに男の人と接近した経験もなかったし、第一私はこの人のことを好きじゃない。

好きじゃない。そう。好き、じゃない。


「はぁ。やっぱオレじゃ駄目か」
『ごめんなさい』
「いや。こっちも無理に迫ってごめん」
『じゃあ、私はこれで……』
「待って!」
『?』
「最後に大嫌いって言ってオレをフってくれないか」
頼む……。深く頭を下げられてしまった。この人にとって私が《嫌い》ということで、けじめを着けるつもりなんだろう。嫌い。私が言えば、丸く納まる。好きじゃない=大嫌いじゃダメ?ちょっとニュアンスが違うか。

(冬獅郎なんか、大嫌い!)

小学生の頃に吐いたあの言葉がフラッシュバックする。嫌いだなんて微塵も思っていなかったのに、大きな嘘を吐いたあの言葉。忘れられないあの言葉。


大嫌い


簡単に使えるはずがない。私はこの人のこと嫌いじゃない。好きとか嫌いとかいう以前に、知らないだけ。かと言って知ろうとも思わない。


『私は……』
「おい。俺の彼女になんか用か?」
『!』
「日番谷!?」
「こいつは俺のもんだ。用がないんなら、返して貰いたい」


颯爽と私たちの間に割って現れたのは紛れもなく冬獅郎だった。決して私の身体に触れないで、目で行けと合図された。素直に従って校舎のほうへ足を向けた。後ろで冬獅郎たちが二言、三言会話したのが聞こえたけれど私はそのまま進む。どうせその場に私がいても解決しない。

私はあれ以来《嫌い》という言葉を使えないのだから。


「お前変な奴に絡まれたんならさっさと俺の名前出して追い払えよ」
『うん……ごめん』


校舎に戻ってすぐ説教が始まった。知らない奴に無闇についていくな。どうしても行きたいんなら、俺に連絡してから行け。分かってる。分かってる。そんなこと前から耳にたこができるくらい言われて続けていること。
今日は偶々なんだって。冬獅郎。そんなに心配……しないで。

(本当に冬獅郎は私を心配している?)

大丈夫。私は冬獅郎が来なくたって断れていたから。ね、大丈夫。

(本当に冬獅郎は私のこと好きなの?)


付き合い始めてから今まで、冬獅郎に《好き》と言われたことがない。中一の時に付き合おうって、たった一言言われただけ。元々昔から幼馴染の桃よりも容姿も性格も劣っていた私のことを冬獅郎が選ぶ理由はどこにある?そんなの分からない。冬獅郎本人しか知らないこと。だけど私はそれを聞こうとしない。聞く勇気はない。逃げ続けて、はや数年。


「じゃあくれぐれも、気をつけろよ」


そう告げて冬獅郎は教室へと体を反転させた。私と同じクラスで同じ教室に戻るはずなのに、その隣に私の居場所はないらしい。置いていかれるのはいつものこと。体に触れようとしないのもいつものこと。憧れの相思相愛とは、ほど遠い。

私たちは恋人らしいことをした試しがない。手を繋いだことさえ、ない。付き合ってることもほとんどの人が知らない。さっきのあの人だって、知らなかった。最後に冬獅郎に触れたのはいつのことだろう?またあの日のことを思い出す。言葉の重みを肌で実感した日。


小6の冬――。あと数ヶ月で卒業する、3月の放課後。


『好きだよ、冬獅郎』


すんなりと出てきた呟きは喧騒とした声にかき消され、冬獅郎に届くことはなかった。もたれ掛った廊下の壁は、私の心のように冷たかった。

好き、嫌い

私は《嫌い》じゃなくて《好き》を言うべきだった。






(ねぇ渡嘉敷さん、桃ちゃんみたいになりたい?)


当時、二人と違うクラスだった私はこの意味をすぐには理解できなかった。ただそれが直感で、良いことではないのは分かった。そういえば。と頭を捻る。桃は最近元気がなかったなぁ。伸ばしていた髪もバッサリ切って、なんで切ったの?って聞いたら凄く辛そうな顔して……「ちょっとね」って。

でも、それが何か関係あるの?


(桃ちゃんの髪は長くて綺麗だったよね)(そうそう。とぉっても可愛いよねぇ、桃ちゃんは)
(だけど何であの髪が無くなったか知ってる?)


――あのね、あたし達が切ってあげたの。

耳を疑った。桃の大事な髪を、この人たちが、切った……?嘘でしょう?どんな権限があって人の髪の毛を?

にこやかに笑みを浮かべて事実を述べるこの人たちを私は最低だと罵った。すぐに桃の所へ行こうと身を翻す。が……それが叶うことはなかった。


『痛っ!!』


頬がひりひりと痛む。叩かれた。そのことを自覚するのに、数秒費やした。漫画でないけれど、親にも友達にも顔をこんな真正面から叩かれたことはなかった。

(なんで私がこんな目に)


「日番谷くんに近づかないでよ」
『どういう意味?』
「あんたも雛森もベタベタしすぎなのよ。幼馴染かなんだか知らないけどさ」


もう一度右頬を殴られた。反動で身体が後ろに仰け反る。今思えばたかが小学生の、しかも女の子の力。決して強いものではなかったはず。それなのに私は頭を金属バットで殴られたような衝撃を受けた。

私はこんな憎しみをたっぷりと込められた視線に晒されたことはなかった。こわい。怖い。恐ろしい。
「雛森みたいになりたくないんなら、あたしらの言うこと、素直に聞くよね?」
『……っ』
「今すぐ日番谷くんのこと、大嫌いだって言ってよ」
『はぁ!?』
「あんた、日番谷くんのこと好きじゃないんでしょ?だったら言っても平気でしょ」
『そんなの』
「口答えしないで!早く言いなさいよ」


この人たちが口にしていることが分からなかった。私は冬獅郎のことを好きじゃない?そんなこと誰に聞いたの?あんなスーパーマンみたいにカッコいい男の子が私の幼馴染なんだよ。好きにならないわけ無いじゃない。
ただ私は桃みたいに可愛いくもなんともないから、今まで黙っていただけで……!本当は今すぐにでもこの気持ちは伝えたいんだよ。それと真反対の言葉を言えなんて、酷い。

(だけど私の身体は思うように動かない)

頬の痛みが、身体をかたかたと震えさす。


「座り込んでないで、立ちなよ」


無理やり引き上げられた体は自分の物とは思えないくらい重かった。ぎらぎらと光るその瞳に、私は完全に気圧されていた。居丈高に命令するこの子達には……逆らえない。

ごめん、桃……!私だけ、逃げて!

きっと桃も私と似たようなことを強要されて抵抗したんだろう。桃が自分の意思に反する無理強いに応じることはない。外見からは想像できないけれど、桃は強い女の子だ。


「言いなよ。日番谷くんのこと大嫌いだって」


私がこの言葉を言った後、きっと冬獅郎本人に伝えるつもりなんだろう。ねぇねぇ日番谷くん、渡嘉敷さんがさぁ――。媚態を示しながら、冬獅郎に近づく姿が目に浮かぶ。

手っ取り早く嘘を吐かないこの子達は賢い。嘘はどれだけ重ねたって嘘だ。きっと冬獅郎が聞いたって、ふーん、ぐらい。だけどそれが真実になってしまえば話は別。丸っきり逆。


「そんなに渋るってことは、もしかして好きなわけ?日番谷くんのこと」
『……違っ、それは』
「へぇ、意っ外。やっぱり渡嘉敷さんも好きなんだぁ」
『だからっ違う……私は冬獅郎のこと』


肯定してしまえば皆にバラされるのは目に見えていた。すぐに、本人の耳にも入る。それを冬獅郎はどう思うのか。迷惑に思う?桃のほうが好み?そんなの、

(振られるに決まってる)

幼馴染としてでしか繋がっていないんだもん。ウザがられて、挙句に嫌われる。修復不可能な関係に陥る。どっちの方がマシなんだろう?


<嫌い>
<好き>


嘘を吐いても、本音を広められても、全く反対の言葉を言っても――きっと冬獅郎は私を嫌いになる。

嫌われないようにするには桃みたいに、例え大事にしていたものを奪われようとも抵抗すること。私にそれが出来る?

(わけ、ないよね)

ごくんと溜まった唾を飲み込む。意気地なしの私には第三の選択肢というものを考える気力はなかった。


『私はっ……!私はッ』


目を瞑るとすぐに浮かんでくる顔。これを言ってしまえば、誰にでも分け隔てなく接してくれた冬獅郎に優しくされることはなくなるんだろうな。

(ごめん――桃、冬獅郎)


『冬獅郎なんか……大嫌いっ!』「なっ――咲夏?」


眼前に広がる光景に、目を疑った。なんで此処に!?うそ。なんで冬獅郎がっ。嘲笑を浮かべ、面白がっているこの子達は後ろにいるだけ。なにも言わない。私も、何も言えない。どえれだけ嘘で糊塗しても、すぐに暴かれてしまう。見られてしまった。一番聞かれたくなかった本人に、聞かれてしまった。私が――最低なことをした決定的瞬間を。

(どうしようどうしよう)

置かれている状況を考えると、無意識のうちに涙が流れた。目を見開いてこちらに視線をやる冬獅郎を直視できない。ぐっと拳を握っている。軽蔑されたんだ、私。

俺のこと、嫌いなのか。どうして何も言わない?泣いてるだけじゃ分かんねぇ。

途切れ途切れに冬獅郎は言葉を投げかけてくれるけど、私はそれに対応できるような精神状態ではなかった。ただ……出来るだけ声が漏れないように、口を押さえるだけ。


「言ってから泣くんだったら元から言うなよ」


何分たっても何も言わない私に冬獅郎は一言、こう発した。震えた声に含まれている内容はやはり蔑みのものだったに違いない。

(こんなことになるんなら……)

直接じゃなくて、間接的でも良いから冬獅郎に好きだって伝わったほうがマシだった。


それから卒業式まで私は桃とも、冬獅郎とも言葉を交わさなかった。視界に入れば逃げ、目もあわせようとしなかった。弁解の余地も無い。冬獅郎が見たものは全て真実だ。私が悪い。



「俺と付き合えよ」



だから中一の入学式で、こんなことを言われた私は唖然とした。何を好んで私と付き合う気になったのだろう。自分のことを、大嫌いだと意思表明した人物を彼女に?どう考えても正気の沙汰とは思えなかった。

(きっとまだ怒ってるんだ)

どれだけ考えても答えの見つからない問題に直面した私はいつしかこう考えるようになった。冬獅郎は私のことを許したわけじゃなくって、私を苦しめるためにわざと彼女という地位を与えたんだって。罪悪感から逃れられないように。

その証拠に冬獅郎は上辺だけでさえも取り繕うとはしなかった。自分には彼女はいなくて、好きに恋愛を出来る体制を整えておいてる。そんな風に言われたこともないし、冬獅郎は小学校の頃と変わらず優しかったけど……一切私に触れようとしない態度に私はこう確信していた。

(嫌われている)

桃にはそんなことしない。ずっと幼馴染のまんま。私が悪いんだから、冬獅郎を責める資格なんてないけれど。






「なぁ、冬獅郎。さっき隣のクラスの奴が渡嘉敷とお前が付き合ってるって噂してたけどマジか?」
「人の恋愛にいちいち首突っ込んでくるなよ、一護」
「えぇ!?じゃ本当なのか?渡嘉敷とデキてるって」
「なんか問題でもあんのか」「だってお前ら手ぇ繋いでるところとか、一緒にいるところ見たことねぇし」
「手ぇ繋いだら恋人だって誰が決めた」
「いや、まぁそうだけど……お前ら付き合ってるように見えねぇんだよなぁ」









放課後。珍しく今日は冬獅郎の部活が終わるのを待つ。今朝早くから出かけている両親は私の面倒を冬獅郎一家にみてもらおうと、予め頼んでいたことだ。幼い頃はもっと頻繁にあった。突然の出張。突然の呼び出し。私が小学校高学年くらいの頃からはほぼなくなっていたため、預けられるのは本当にしばらくぶりだ。

それに――恋人になってから初めてだったりしてる。冬獅郎のことだからきっと一緒に寝てくれわけない。緊張はするけれど、世間の恋人がするようなことを私たちが行うはずない。そう知っているのに、普段では着ない可愛い下着とかパジャマを用意している私は惨めな女だ。


「あれ?渡嘉敷さん何で残ってるの?」
『ちょっと待ってる人がいて……』
「もしかして。日番谷くん、だったりする?」


どきり。心臓が飛び跳ねる。本当のことを言っても構わないのか。冬獅郎はさっきのいざこざの時は自分の名前を出してもいいとは言ってたけれど……。迷惑じゃないだろうか。

(これ以上冬獅郎に嫌われるようなことしたくない)

かといって。何か適当なことを言わなければ、この子達に疑われてしまう。吐くなら大胆に。誰がいい?


『実は、その、』
「待たせて悪かったな。咲夏」
『あ……冬獅郎』
「うわぁやっぱり日番谷くんなんだ」
「ねぇねぇ二人って付き合ってるの?」


鞄を机においた後、冬獅郎はネクタイを結び直した。質問に答える気はないらしいかった。私は俯き加減で、様子を伺うことに徹する。お構いなしに質問を続ける子達を冬獅郎は軽くあしらった。そしてまたいつもの様に目で合図され、私は席をたつ。

ハァ……

思わず吐いてしまったため息に、慌てて口を閉じた。肯定も否定もしないその曖昧さにみえる冬獅郎の姿は、冷ややかだ。……だけど歩幅の違う私に足並みを揃えてくれる優しさが、私を惑わす。

(中途半端な優しさは一番ツライ)

それから冬獅郎の家に帰るまで私たちは決して言葉を交わそうとはしなかった。いつも通りの私たち二人の空間。