瀞霊廷の西の果てに、ひっそりとその研究所は建っていた。一見ドコにでも有りがちな造りのその建物。もう建てられてから数百年以上経っているのか、見るからにぼろぼろであった。

しかし、外見とは裏腹に、この施設では昼夜絶えずある特殊な研究が行われていた――。


「咲夏さん。護廷隊の卯ノ花さんって人から日番谷さんを頼むって……」
『あん?』
「え、いやだから、日番谷さんが怪我したから治療してくれって」
『はぁ!?まッた、あんのバカ怪我したっていうの!?』
「まぁ多分四番隊(あっち)で治療出来ない怪我ってことは、再生しなきゃならない怪我スよね」
『ったく。今度卯ノ花に会ったら一発ぶん殴ってやる!毎度毎度めんどい荷物を押し付けてくれちゃって』


ひっそり閑とした空気が漂う中での咲夏の大声は、研究所内によく響く。捕らえられていた数匹の虚がギシギシと鉄格子を揺すった。静かにしな。とすぐさま八つ当たりのように叱咤する。

(だいたいね!あんたも易々とお荷物を抱えこんでくるんじゃないの!!)
(はぁ……)
(分かった!?今度あたしの許可なしに、あのバカを引き受けたら一週間実験室には入れないわよ)
(ハイハイ。分かりました。ったく、おっかねぇ人だ)
(黙れ。んでもって、とっとと治療の準備しな)

なおもぶつくさと悪態を尽きながら、研究所に運ばれてきた人物の治療にむかう。荒々しく戸を開けば、そこには銀色の長髪を無造作に束ねた死神が横たわっていた。
うっすらと額には汗を掻いており、まだ新しいであろう血液が死覇装に滲んでいた。その右腕はダラリと力無く、辛うじて霊圧で繋がっている状態だ。こいつ、また無茶苦茶な戦い方をしたのね……。右腕の神経が完全に切断しちゃってるじゃない。よくもまぁここまで来れたわね。


『で。日番谷、今日は何の用で?』
「見りゃ分かんだろ。右腕が使えるように治療してくれ」
『――治療してくれ?』
「……治療して下さい」


言い直した冬獅郎は、クィと手の甲で口元の血を拭った。どうやら歯が一、二本欠けているらしい。
あぁ、あー。綺麗な顔が台無しね。髪にもベットリと血が付着してるし。もう少し身だしなみに気を遣えないのかしらね。この男は。


『左で右腕を支えておいて。一気に繋ぐわ』
「ん」
『あと腕が切断された時は、禁術でもなんでも使っていいからその部分の怪我の進行止めなよ。そうしないから、いつもあたしが借り出されるのよ。全くもって迷惑な話だわ』


先ほど助手に頼んでおいた機械をオンにし、咲夏は冬獅郎の右腕の付け根に当てた。独特の粒子状の物体が次々と放射されていく。と、ほぼ同時に冬獅郎が腕に集中させていた霊圧を解いた。勢いよく飛び出す血液を、専用の布で止め、切断された右腕を冬獅郎にもたせた。

「行くわよ」と一声呟いてから、その機械を当て始めた部分を中心に、霊圧を細い糸状にして筋肉、骨、細胞、神経を迅速、かつ慎重に繋げていった。


『……あんたね。分かってないようだから忠告しとくけど、ヒトの一生の細胞再生回数は決まってるのよ』
「正確には細胞分裂回数な」
『その意味、ちゃんと理解してるわけ?』
「当たり前だろ」


半分ほど進んだところで咲夏は額の汗を拭い、一息ついた。冬獅郎の顔にも疲労が見え隠れする。

(解ってないから言ってるんじゃない)

寿命を縮めているこの作業を淡々と語る冬獅郎の様子は、理解しがたかった。


先ほどから使用している機械は人工的に細胞分裂を早めるもの。それを利用して、切断されてから随分と時間が経過した冬獅郎の腕をつなげているのだ。切断されて間もない頃ならば、四番隊でも治療が十分に可能だ。しかし、こうも時間が経ってしまうと、話は別だ。切断された部分の細胞が使い物にならない。


『これで寿命はどれくらい縮んだかしらねぇ』
「さあな」


そこで必要となるのが、細胞を急速に再生させる機械。咲夏たちは長年、虚の生態について研究してきたため、その技術は在った。しかし、この研究施設の存在を知るものはそういない。

(渡嘉敷さん、同期のよしみです。どうか日番谷隊長をあなたの技術で救ってあげてください)

嫌だと。何度も何度もこれでもかと言うほど、しつこく断った。本来この技術は虚研究のために開発したもの。死神に使うべきものではないし寿命を縮めるという決定的な欠陥がある。……しかし、それよりも黒笑いの似合う同期のほうが一枚も二枚も上手だった。


『もしあたしと卯ノ花が知り合いじゃなかったら、今頃あんた両腕なしの役立たずになっているわね』
「だろうな」
『でも、もしかしたらそっちの方が長生きできたかもしれないわ』


ヒトの一生の細胞分裂回数は決まっている。それを人工的に速めること。それは実質寿命を削ることを意味していた。

(どうしてここまで自分の身を削れるんだか)

あたしだったら絶対に自分の命を惜しみなく差し出したりはできない。まだまだ生に執着しているわけだ。



全てをつなぎ終えた、咲夏はじっくりと冬獅郎の様子を観察するように見つめた。淹れてから随分と時間の経ったコーヒーを咲夏はすする。冬獅郎の来る前に、作ったもののため生温い。思わず視線を冬獅郎から外し、顔をしかめた。

(うわ、まっず。このコーヒー)

手元のカップを机の上に戻し、新しいコーヒーを作るために水を沸かし始めた。


「どうかしたのか」
『どっかの誰かさんが急に来ちゃったから、あたしの優雅なティータイムに支障が出たのよ』
「……そりゃ悪かったな。腕の治療のこと、感謝する」


悪いと思ってんなら、こんな怪我しないでよね。あんたが無茶苦茶するから、そのツケがあたしにまわってくんのよ。

全くバカのすることはロクなことにならないわ。


『あんた、そんなにボロボロになってまで戦う理由はなんなのよ。怪我したんなら戦線から離れるのが常識でしょ』
「隊員の命を護るのが、隊長の仕事だろ。俺にはそれを遂行しなければならない責任がある」


責任、ね。この堅物男は戦闘中にずっとそんな重苦しいことを考えているわけだ。――馬鹿らしい。そんな綺麗ごと。やんなっちゃう。
《責任》なんて使命だけでそこまで尽くせるわけないじゃない。怒り、憎しみ、悲しみ、恐怖。色んな感情が綯い交ぜりになってる筈よ。あんたはそれらを《責任》という言葉にすり替えてるだけ。


『きれいな模範解答どうも』
「ふっ。やっぱり、あんたもそう思うか」
『自覚あるんなら嘘吐かないの』


ここへ来て初めて笑った顔を見た気がした。麻酔なしで細胞を繋げて、どんな激痛が走ろうが顔色一つ変えなかったこいつが。まぁ麻酔なんてものここにはないけど、霊圧を集中させておけば、痛みを和らげることが出来なくはない。それでもこうやって雑談をするときでさえ、無表情に近い。

絶対に人前で笑わないタイプの男だと思ってたのに。見当違いかしら?


「昔、一度だけ――怒りに我を忘れ、憎しみに身を委ねて刀を振るったことがある」
『そっ。……んで?』
「あんたなら分かるだろ。理性なしに行動するやつの結末が。安い挑発にまんまと乗せられ、危うく死に掛けた」
『ふぅん』
「《責任》があると言い聞かせ、俺は理性を保っている」


咲夏は目を丸くした。目の前にいる、この男には、まだ裏がある。まだ、あたしが知らない何かを隠している。その確信させたのが、あの笑いだった。

よくも悠長にぺらぺらと喋っていられるわね。命の恩人に平気で嘘吐いておいて。何が感謝するだ。ピノキオ野郎め。


『あたしには知る権利がある』
「何をだ」
『あんたが此処へくる……本当の目的を』
「何もかもお見通しってわけだ」
『あたしを出し抜こうなんざ千年早い』


仮にこいつが部下を守る責任があるという理由で命をはったとする。でもそれは、建て前であって、その行為全てが必ずしも部下のためではない。本心は己を冷静に保ちたいがため。

が、しかし――。それはおそらくとうの昔のこと。買いかぶる気はないけれど、こいつは自分で自分をコントロール出来ないような未熟者ではない。それを慣れというのか、成長というのか定かではないが、一瞬の迷いが命とりとなる戦闘中にそんなことを考えている馬鹿ではないことは確かだ。

(やけに傷の受け方が上手いのよね)

前から気になっていた違和感。腕が切断されている割には、重要な神経や骨のほとんどが無事なのだ。攻撃がくるまでに、回避できる能力が、こいつにはある。


『あんた本当は、避けれる攻撃をわざと受けてたりするんじゃないでしょうね』
「まさか。流石にみすみす自分の腕は捨てられねぇよ」
『そ。なら良かったわ。もし本当なら、その腕殴ったぎってるところよ』
「おぉ怖い怖い」


血まみれの紐で冬獅郎は長髪を結った。白髪にはよく赤黒い血の色が映える。所々、髪にも付着しているが、気にならないようだ。

淹れ直したコーヒーを口に含み、咲夏はすっと手を伸ばた。冬獅郎は抗うことなく、触られるがままに受け入れる。柔らかい髪をほぐしながら咲夏は不敵に微笑んだ。


「あんたが笑うと怖ぇな」
『あんたが笑っても、似たようなもんだと思うけど』
「ふッ――だな。あんたは聡い人だ」
『当たり前。千年も生きてないような餓鬼に言われても嬉しくないけどね』


上の死覇装を着てない冬獅郎の肌に指を這わせる。数時間前に繋いだ接合部をつついた。ほぼ完全に繋いだとはいえ、組織がくっ付くにはまだ時間がかかる。「三日間は刀持つの禁止。デスクワークに専念しなさい」と諭した。そして丁寧に、新しい予備の死覇装を着せる。


『ほら。用が済んだでしょ。さっさと帰りな』
「……」
『ここからあんたの隊舎まで一時間はかかる。定時に帰れなくなるわよ』
「――聞かないのか」
『あんた言う気あるんなら聞こうかと思ったけど、生憎暇人じゃないのでね。どうせ半月もしたらまた来るでしょ。そん時にでも聞いてあげるわ』


壁にかけてある上着をとり、羽織った。ぐるぐると凝った肩を咲夏は回した。無理もない。一つ接続を間違えれば、たちまち冬獅郎の右腕は使いものにならなくなってしまう。そんな極限状態を数時間も体感したのだ。じゃあね。と立ち上がり咲夏は冬獅郎の頭をポンっと触り、戸に手をかけた。







『――何の真似よ、日番谷』


取っ手を持った咲夏の左手を、後ろに居たはずの冬獅郎が掴んだ。そのまま自分の方へ引き、体を反転させると、咲夏は怒ったように眉を寄せた。
さっきの話聞いてなかったのかしら。あたし、暇人じゃないんだけど。


「俺んところに来る気はねぇか」
『はぁ?』
「あんたをうちに引き抜きたい」

『いやよ』


切り出した提案を咲夏は一蹴した。あたしを引き抜く?冗談じゃないわ。こんな無茶苦茶する奴の部下なんてごめんよ。第一、あたしが何のメリットもないことを承諾するわけないでしょ。そんなことも解らない――訳ないわね。

(あんたはそんなうつけものじゃない)


「正確に言えばうちの管轄内で研究して貰いたい」
『そんなの言うまでもないでしょ。あんたみたいな上司は願い下げ』
「ん……だろうな」


質問に応じながら、冬獅郎はゆっくりと斬魂刀に手をかけた。ぼそりと何か小声で呟いたかと思うと、具現化した氷輪丸が現れた。そして咲夏を自分の胸へ抱き寄せる。

(主、この方をこちらの世界へ?)
(あぁ。そのつもりだ。他人を入れた試しはねぇが……いけるか?)
(主のためなら何なりと)

氷輪丸が冬獅郎に深くお辞儀をした瞬間。咲夏は不思議な力に吸い込まれるように、体が宙に浮いた。


『ちょっと!これは一体どういう』
「5000体だ」
『5000体?なによそれ』
「俺の精神世界に飼っている虚の数だ」


説明をして間もなく、咲夏たちは冬獅郎の精神世界に入った。氷輪丸が誘導し、虚を捕獲している場所へ咲夏を抱いたまま向かう。特に驚くことはなかったが、一点だけ引っかかった。

(斬魂刀が主人以外の人間を精神世界に入れるってどういうことなの?)

死神ではない咲夏に斬魂刀といった武器はない。必要ならば浅打で応戦できないこともないが、それよりも鬼道や開発した機械を使うことの方が多かった。斬魂刀の知識は人並み以下だったが、今起こっている出来事が尋常ではないことは理解できた。


『あたし一応瞬歩使えるんだけど』
「大事な研究者を疲労させるわけにはいかねぇからな」
『人をオバサン扱いして。失礼な餓鬼ですこと』
「んなつもりじゃねぇさ……。それより驚かねぇんだな」
『まぁね。虚と同じように、斬魂刀もまだまだ分からないことだらけってことでしょ?』
「そういうこった」


ぐんぐんスピードを上げ、冬獅郎たちは虚の霊圧が濃く漂う区域に入っていった。びりびりと虚の怒りが伝わってくる。ここへ閉じ込められ、どのくらいになるのか。

(だけど、それ以上に――)


数が……すごいわ!どうやってこれだけの量と種類の虚を集めたのかしら?あたしが今まで数回しか出会ったことのないような種類のものまである。

この虚をくまなく調べることが出来たなら――!


『降ろしてちょうだい』
「気に入ったか?」
『そこそこ、ってとこかしら』
「そりゃあ良かった」


少し興奮気味の咲夏を、ゆっくりと地に降ろした。一番手前の虚に近づいて、中を観察する。鋭い目つきの咲夏に、氷輪丸がその虚の捕獲場所や能力を報告した。それに頷き、手元にある刀で虚の肉を思い切り剥いでみた。たちまち……ものの数秒しないうちに傷は塞がり、威嚇してくる。その様子を呆然と眺めた。


『凄いわ。――こんな傷の治りの速い虚、今まで見たことない』
「この虚は主の左腕と引き換えに捕獲したものです」
『……?』
「あなた様が治して下さったようですね。感謝致します」


どういう意味?日番谷は部下を守るために、あんな怪我を負ったんじゃなかったの?その言いようじゃあ、まるであたしの為みたいじゃない……。

(どうしてあいつがそんなことを)






「あんたの研究はこれからの瀞霊廷にとって重要な鍵になるだろう。――古来から死神と虚は相対してきた」
『えぇ。そうね』


遠い昔。あたしがまだ死神になりたいと思っていた頃。瀞霊廷は各地に出没する新種の虚に手こずっていた。幸い当時の隊長格の能力が、虚の能力に合ったものだっため大事には至らず鎮静化した。

だけどあたしはその時気付いた。このままではいずれ瀞霊廷は滅んでしまうだろうと。


「俺たちは敵である虚のことをまるで知らない」
『その通りよ』
「新種の虚が出てくるたびに、俺たちは新たな技を磨き、対応してきた」

(だが――)

「そんなイタチごっこに、おそらく終わりはない」
『同感よ。虚の進化と死神の進化。あたし達が生き残るには、対応するスピードを上げるしかないの。だけど、今の状態では圧倒的に虚の方が有利ね』
「だからこそ、虚の生態の解明が、今一番重要視されている」
『まぁ当たり前のことよね。今まで虚のほとんどのことが、分からなかったんだもの』


技術開発局や涅が躍起になって、研究し始めたが、あんたと同レベルの知識を持つまでどれほどの時間を費やすか。

半ば投げやりにそう言う冬獅郎の表情は、やはり暗かった。


『それであたしが今までしてきた研究を横取りしたいと』
「横取りするつもりはないが、結果的にそうなるかもしれないな」
『ふぅん……なるほどね』


この男はそのために、わざわざあたしの所へ、怪我までしてやって来るのか。怪我は偶然にしろ、虚集めで負ったものなら大差ないわね。
ようやく心にあった蟠りが解消されたかのように見えた。でも……まだ、しっくりこない。

(だってそれなら武力行使すればいいじゃないの)


戦闘要員でないあたしを服従させることなんてわけもないはずだ。それを行わなかったのは何故?こんな回りくどいやり方を選んだのは何故?


『まだ、本心は隠したままなわけ?』
「……俺ってそんなに判り易いのか」
『あたしが賢すぎるのかもね』
「かもな」
『嘘よ。冗談。あんたも死神の中では相当賢い部類でしょ』
「まぁな」


くっくくと二人は笑い声をあげた。何かを企んでいるような、含み笑いではなく、心の底から漏れた笑み。

(なんか……こいつといると不思議な気分になるのよね)


『それで?あたしの所に来る、本当の目的は?』
「そうだな……俺は、あんたを傍に置いときてぇんだよ」
『……』
「ま、平たく言えば――」

「あんたに惚れてる」




本音と建前
(うちに来る気になったか?)(さぁ、どうかしらね)





*あとがき*
え、なんか意味わかんない。とりあえず大人日番谷くんと研究員ヒロインちゃんを書きたかったんだ←えへ。どうなんだこの組み合わせ。イマイチなのか?わからん。
というかあたしは刑軍ヒロインちゃんとか、ボディーガードのヒロインちゃんとかも好きで、ちょっと書いてるんだけど…。いいのかな、趣味全開で(汗)自分は好きだよーという優しい方は、ぜひお声をかけて下さいぃぃい!泣いて喜びます(>o<)
あと色んな矛盾点ありそうですが、見逃してください(逃)


2010/02/05