しとしととさり気なく、だけど確実にその存在をはっきりと示しながら、小粒の液体が空を濡らした。じめじめした重い空気はやはり気分まで沈ませる。私はいつも通り現世で調達した使い勝手の良いビニール傘を片手に街を歩く。今年もまた梅雨の季節がやってきた。


今日は久しぶりに丸一日休みが取れた。待ちに待った朝寝坊を実行して、朝昼兼用ご飯を食べる。午後からは買い物に出てパアッとお給料叩いちゃおう。と意気込んで外に出たはいいものの、今日も生憎の雨日和。朝から曇っていたから仕方ないかなぁと思いつつ、でもせっかくの非番なんだから晴れて欲しかったと言うのが本音だったりする。みんな各々が傘をさしているから通を通っている人たちの顔は分からない。雨のせいか、いつもは賑わっているこの通も若干静けさがある。私の顔色だって表に出ることはない。傘に覆われたちょっとしたパーソナル空間。誰にも気付かれない、寂しいような、嬉しいような、そんなプチスペース。傘の柄を下げれば、私だけの密かな空間。この空間は実はちょっぴり好きだったりする。あーでもせっかく阿散井副隊長に交渉してやっと念願の非番が取れたって言うのにね。勿体無いよ。鯛焼きも買い終わったことだし、そろそろ帰ろかな……。足元が湿り気を帯びてきて、ちょっと気持ち悪いし、早く乾かしたい。来た道を引き返すように体の向きを変えながら傘をくるくる回す。遠心力が掛かって、少し水滴が外へ飛び散った。ちょっと面白くなってもう一度また、帰り道を歩きながらくるくる回す。


「ちょっと日番谷くん!真剣にあたしの話聞いてる!?」
「さっきからうるせーな。ちゃんと話は聞いてる」
「じゃあ、これとそっちにある帯、どっちの方がいいかな?」


斜向かいのお店から聞こえてくる話し声にドキッとした。姿なんて確認出来ないけれど、すぐに分かった。日番谷くんと雛森先輩だ。他隊の隊長格が一緒に買い物している姿なんて普段はなかなかお目にかかれないけれど、この二人は瀞霊廷内では有名な幼なじみだからよくあることなのかもしれない。日番谷くんと同じ学級だった院生時代にも、よく雛森先輩は彼の様子を伺いに来たものだ。私も今考えると、その様子をなんとなく羨ましがっていた女子生徒の一人だったと思う。近づき難い雰囲気を纏っていながらも、どこか人を惹きよせる不思議な魅力が彼にはあった。私もそれに魅せられたごく普通の女の子。明確な《好き》ではなかったけれど、なんとなく《好き》ではあった気がする。まともに喋ったことのない私でさえもそうなのだから、きっと本気で日番谷くんに恋をしていた子は沢山いただろう。そこまでのめり込むことはなかったけれど、実習で同じ班になったり偶々隣の席になったりすると、ドキドキしたものだ。まっ……それも今は昔のこと、かな。私がちんたら勉強して護廷に入隊する頃には、日番谷くんはもうすっかり席を貰っていた。新品の死覇装を腕を通して私が浮かれている間に、彼は十番隊席官の紋章を腕に巻き付けていた。隊長に就任した頃に、院生のみんながお祝いにと集まりがあったけれど、私も私で末席とはいえど席官入りを果たして忙しい時期だったから、残念ながら出席できなかった。それ以来元々接点のなかった私と日番谷くんが会う機会なんてなくて、今の今まで声を聞いことも姿を見たこともなかった。卒業以来だから何十年ぶりになるのかな。相変わらず雛森先輩と仲が良いんだね。阿散井副隊長と雛森先輩は同期で比較的仲が良いみたいだから、ごく稀に彼女の話を聞く機会はあった。ああみえて融通がきかないとか頑固だと副隊長は言っていたけれど、周りから伝わってくる雛森先輩はお淑やかで優しいとのことだった。実際私も院生のとき目にした彼女はまさにその言葉通りだった。私のことなんかきっと覚えてないんだろうな……当たり前のことなのに悲しくなるのは、昔の乙女心がぶり返してきたからかな?隊長さんなんて自分の隊員の名前と顔を一致させるのでも大変だしね。たった数年同じ教室で学んだだけの薄い関係。大して目立った印象も功績も残していない私が日番谷くんの脳にインプットされている可能性は極めて低い。いや、ぶっちゃけ無いに等しい。


「おい雛森、んなもんどれでも変わんねーだろ。さっさと決めて隊舎戻るぞ」
「もう!日番谷くんはせっかちなんだから。帯くらいゆっくり見たっていいじゃない」


さっきまで雨の音しか聞こえなかったくせに、今はそんなに大きな声でもない二人の会話が耳に入ってくる。私ってすごく単純だ。さっさと家に戻ろうとして足早に二人のいる店の前を通り過ぎようとした。でも少し日番谷くんの姿を目にしたかったから、手元を上に傾けて覗き見してしまった。嬉しそうに笑う雛森先輩は一際輝いていて、何十年かぶりに見た日番谷くんはまんざらでもない様子で横にいた。目に焼き付いた。すごくお似合いだなぁ。本気でそう思った。明日友達にこの事自慢できそうだね。生でこの二人のツーショットって、私みたいな末席にとってはやはり珍しいことだ。

ポツポツと降っていた雨がやや大降りになってきた。滴り落ちる水の量が増した。なんとなく早く帰らないと、と急かされたような気がして、見惚れていた彼から視線を外して慌てて前を向く。またさっきと同じように傘を深く差して、水溜りに嵌まらないように気をつけながら通を歩いた。すると、タッタッタと後ろから誰かが走ってくる足音がした。それに合わせてびしゃりと雨の跳ねる音もする。


「渡嘉敷だよな、久しぶり」


差していた傘がとんとんと柔らかいなにかに押された。傘布に付着していた雨粒が弾いた。名前を呼ばれて振り返る。後ろにいたのは、さっきまで雛森先輩と買い物をしていた、あの日番谷くんだった。え?と驚いて立ち止まっていると、取りあえず歩こうぜと促されて、言われた通り足を動かす。後ろをちらちら気にした様子で、日番谷くんは私の横を歩く。うわあ。こんなに近くって初めてじゃない!?凄いよ!ナマ日番谷くん!書店で飾ってある写真集とは比にならない。本物はなんかオーラからして、違うよ。


「いきなり悪い驚かせたよな。あ、もしかして俺のこと、覚えてないのか?」
『いえいえ滅相もないです!覚えてますしっかりこの脳に焼き付いております!』
「ふっ、なら良かった」
『はぁ……』
「鯛焼き買ってるときにでも声掛けようかと思ってたんだが、雛森の奴が煩くてな。今、避難中なんだ」


それから数分歩いたところで、日番谷くんはあるお店の前で止まり、私を手招きする。いかにも高級そうな料亭だ。私の給料が一回の食事で吹っ飛んじゃないかってほどの。思わずポカンとして間抜けな顔をしていると、日番谷くんは構わず肩をおしてきた。それからあっという間に席に座らされて、今までの経緯を説明された。どうやら日番谷くんは朝からずっと雛森先輩の買い物につき合わされていたらしい。一日中色々な種類のお店を回っただけでなく、一々感想を求められたり、その感想が適当だと怒られたそうで、もう気力の限界だったらしい。ちょうどそこに見知った?私の姿が見えて、知り合いに会ってくるという名目で抜けてきたらしい。普通に知り合い扱いされててちょっと嬉しいんだけど、それって別に私じゃなくて他の子でも務まるじゃんと、少しブルー。いやいや贅沢いうな私。あの日番谷くんに、名前と顔……たぶん名前と霊圧を覚えて貰っていたんだから。それだけで十分名誉なことだよ。あ!ていうか鯛焼き買ってるとこ見られてたってことは私が覗き見したのももしかして分かってたかも?うわ恥ずかしい。

粗方の経緯を説明されたあとで、頼んでもいないのに、見たこともないような豪華な料理が運ばれてきた。馴染みのお店らしくって、日番谷くんがわざわざ注文しなくても、来ただけで何を頼むか分かって貰えるみたいだ。それにしても日番谷くんって毎日こんなおいしそうな物食べてるのか。流石は隊長さん。毎日激安鯛焼きを頬張るうちの副隊長とは格が違うね。というか私もつい流れでこんな場違いなとこに来ちゃってるけど大丈夫かな?さっきから有名な席官さんたちしかお目にかけないのですが。


「今、六番隊だっけか。時々阿散井のやつから話は聞いてる」
『あははは』
「鯛焼き仲間なんだってな。今日も買ってたやつ、あいつの分もだよな」


鯛焼き10個くらいペロっと食べちゃうんだけどな私。でも女の子がこんな大量に購入してたら誰かと分けて食べるのが普通か。日番谷くんが勘違いしてもおかしくない。色気よりも食い気が勝っている事実を知られるのはあんまり好ましくないから黙っておこう。それから料理が全て運びこまれるまで私たちの間に会話はなかった。彼にはどちらかというと沈黙が似合うし、元々喋ったこともなかったのだから日番谷くんの好きな話題なんて検討がつかない。知っていたってこの状況に置かれたら上手く口がまわるか微妙なところだ。しまったなぁ、完全に帰るタイミング失った。今更ここまで振る舞って貰っておいて《さよなら》は失礼かな。でも緊張しすぎて喉通らない気が……。それにしても雛森先輩から避難中だっていってたけど、それならもう充分まいてると思うんだけどな。こんなとこで暇つぶしてる時間あるのかな。でも偶には休憩してリラックスするのも必要なのかな。どっちにしたって私もう用なしだよね。


「なぁお前うちの隊で働く気ねぇか」
『はい?』
「来年の春に退職するやつが結構居てな。席が5つほど空くんだ。これを気に一度大規模な人事移動でもしようかと思ってな」
『え、え、あ……』
「嫌なら無理にとは言わん。時間はまだ半月以上あるしな。まぁ、頭の片隅にでも置いといてくれ」


突拍子のない提案をされた私の頭、元から誤作動を侵しかねない状態にあったわけだけど、今ので完全にフリーズした。頭が真っ白になるってこういうことなのね、あはは。ってかこれって俗に云う《引き抜き》なの!?うそん。先輩死神たちが年度末になるといそいそと噂しているアレですか。△番隊の○○さんは×番隊に誘われたらしいよ、っていうアレ!?しかも日番谷くんに!

それからも黙々と何事もなかったように時間が過ぎようとしていた。やっぱり美味しい筈の味がわかんないや。あっ日番谷くんお箸の持ち方きれいだな。品がある。


『あのー日番谷隊長、お代金の方は……』
「気にするな。俺が勝手に誘ったんだしな」
『いやでも面目ないです。あんなご馳走を食べさせて貰ったのに』
「本当か?」
『えっ』
「あんま美味しそうな顔しなかったから、てっきり口に合わないんだと思ってたんだがな」


いやいやいや日番谷くん、そんなことは断じてありません。私生まれて初めてあんなものを食べさせて頂きました。給料日の阿散井副隊長でもあんな料理をご馳走してくれることはありません。太っ腹です。流石は日番谷くんです。私も精神的なものが全快ならば女を捨ててバクバク食べたんだろうけど、貴方の前で本性をさらけ出す勇気はございません。誤解されない程度に訳を述べると「そんなことかよ」と笑われた。そんなことが、私にとっては結構重大だったりするのだけどな。入る前に預けていた傘を受け取って通りに出てみると、まだちらほらと雨が降っていた。今日はまた一段としつこい。お天道様は顔を出しそうにないね。雨上がりに時々出る七色の虹を日番谷くんと見れたらラッキーとか期待しちゃってたけど、そう何回も良いことが重なるわけがない。でも――今日は虹以上に貴重な体験が出来たから、充分満足だ。





鬱な雨期にて到来
また厄介な感情が芽生えてしまったかもしれないのは気のせいということで




*あとがき*
ギリギリ梅雨セーフと言いたい(笑)アウトですかね。もうあけそうですよね。明けちゃいましたかね。なんだか何時も季節外れな感じです。そういえば制靴に穴があきました。気づかず雨の中歩いたら靴下びしょ濡れでした。どうやったら靴に穴があくんでしょうか。不思議なもんです。しょうもないこと言ってすみません。


20110627