空を仰ぐと心が晴れ晴れするって誰かが言っていたっけ。心が洗われるのだと、綺麗に微笑んでくれた記憶が朧気だがある。やっぱりね……わたしとあの子とは感性までも相容れない関係にあるらしい。羨ましいなぁ。纏っている雰囲気、単なる頭の良さとは別種の機転の利き安さ、気立ての良い人柄。多分これらは生まれてから身につけた後天的なものではなく、生まれつき備わっている先天的なもの。それはわたしが幾ら足掻こうとも決して成し得ることの出来ない、ある種の限界を意味していた。わたしの身体を構成している遺伝子が初めから全てあの子と同じだったなら、わたしもあの子みたいになれていたのかな?到底無理な話で、現実味なんてないあくまで仮定。そういう空想の自分を想い描いては、理想とは遥かにかけ離れた実際の《わたし》を慰める。本当につくづく面倒な人間だわたしは。いい加減、厭気がさす。諦念するわけでもなく、ずるずるあり得もしない可能性に縋る。なんて惨めなやつなの。


「おい。お前授業はどうした?学生の義務は勉強なんだろ」
『あ……お久しぶりですね、日番谷さん』


この人はいつも突然わたしの前へ現れる。頭から降ってくる美声に顔を上げた。多分ねこの人もわたしの分別するところの《あちら側》の人間。身なりはわたしと殆ど変わりはしないというのに、大勢の部下を従えているらしい。さぞかし優秀な人間なのだろう。毎回こっちに来るときは仕事の用があるときで、現代人とは思えないような黒い装束と白い羽織りを着衣している。曰く《死神》というのが彼の本業らしい。詳しくは知らない多分聞いても分からないと思うから。日番谷死神って感じで、職業名を後ろに付けてしばらくの間は呼んでいたのだけど、本人がなんとなく居心地悪そうにするものだから、いつのまにか日番谷さんになっていた。時には白い上着を羽織っていなかったり、着流しになっていたりとスタイルが若干崩れていることはあったのだけど……今日みたいに現代風の服装をしているのは初めてだ。


今日は久しぶりに任務ではなく明確な用のないまま現世に降り立った。といっても、俺の場合これといった知り合いが現世にいるわけでもなく、他の死神たちのように買い物をする趣味もない。仕方なく少しばかり周辺をふらりと散策していたところ、これでは任務で徘徊しているのと同じだと気付いた。所在なくその場で佇んでいると、ここからある人物の家まではそう遠くないということが判明した。無意識のうちに来てしまっていたらしい。そもそも俺は目的がないと言ったにも関わらず、現世に向かおうと気になった、その時点で意識下のなかでは既に会うことを決めていたのだろう。結局は数年前に初めて会話を交わしたとある少女の元へと足を運ぶこととなった。

(お久しぶりですね)

またか……と、こいつの隣に立って思う。家にいるかと予想したのだがどうやら学校に、それも教室のベランダにいるようだった。制服を着て、髪を靡かせて、いつものように冷めた瞳で。ただ今日は……来る前に松本に無理やり手渡された服を来る前に着たためか、半年ぶりに会ったあいつは物珍しげな表情をしていた。初めて出会ったときのようで、懐かしい。


『残念でーした。わたしもう卒業しちゃったから授業ないの。というか実は此処にわたしの居場所はないのです』
「ん?あぁなんか大きなテストがあるとか言ってたっけか」
『大学受験ね。一応受かりましたよ、わたしの欠陥頭でも』
「最後の一言は要らないだろ。素直に喜べよ」
『いやだってねぇー受験なんて一発勝負でしょ。わたし頭悪いけど、昔から運は良かったみたいですからね。まぐれです』


淡々と当たり前のように告げる。年相応の言動とはかけ離れていた。しかし、俺は嫌いではなかった。そうやって自分を含む何事をも客観視して、多角的な見方が出来る。それをこいつは短所だと思い込んでいるようだったが、捉え方によっては充分長所に成りうると思う。でないとあの日、前例にない現象で戸惑う俺を前にしても冷静に対応するなんて芸等、不可能だろうから。


あの日は確か満開までもう少しという七部咲きの桜を学校から眺めていた。周りには誰もいない。みんな中三の先輩が卒業式するからと、グラウンドでそれを心待ちにしていた。エスカレーター式で高校へ上がるのだから、一つ違いの先輩たちなんて会おうと思えばいくらでも容易に会うことが出来る。とりあえずの形だけの卒業式なんて面白くもないし、せっかくの休みを在校生代表とか言うくだらない名目で潰されて、わたしはあまり機嫌がよくなかった。ただ人前でおおっぴらにそれを態度に現すなんて場違いな真似はしない。子供じみた行動で他人を不快にさせるなんて、愚の骨頂だということくらい理解している。独りはとても楽だ。人目を気にしなくていいし、自分さえ気をつけていれば面倒事に巻き込まれずに済む。だけどわたしもやっぱり人間だから寂しさを感じてしまう。独りじゃないから独りに憧れるのだけれど、きっと本当に独りになれば寂しくて堪らなくなるんだろうな。そんな風にいつものようにつまらない思いを馳せていると、向かい側の校舎に黒い物体が見えた。わたしは一応目だけは悪くするなと散々小さい頃から教育されたものだから、視力は両目とも2.0はある。じっと目を凝らす。あれはなに?動いているよね。動いている、ってことは生きているってことで……もしかして人間、とか。まさかね。でも着物っぽい服装しているしなぁ。どこぞのコスプレイヤーがうちの学校の屋上にいるのよね。

(わたし目まで変になったのかも)

額に手をあてて、熱がないかどうかひとまず確かめてみる。分かりきっていたけれど、体温は平熱。最近わたし睡眠不足だったからかな。変なことを考えて堂々巡りして結論は出なくて不毛な夢を願って――眠れなかったから。不眠症なんて大袈裟なものではないけれど、体調が万全ではないのは確か。きっと疲れが溜まっていたんだ。今日は早く帰って寝た方が良さそう。そう結論を出したわたしは廊下に出て階段を降りようとした。だけど待ち受けていたのは見慣れた運動場ではなく、あの黒い服を着た変な男。性別は遠目では分からなかったのだけど、これだけ近くだと骨格や筋肉のつき方から判断できた。


『あなた……学校関係者ではないですよね』
「!?」
『そんな目立つ恰好でうろうろしていると、警察に通報されますよ。忍び込むならもっと普通の服装しなきゃ』


わたしなんで不審者に普通に話しかけてるんだろう、といった疑問は解消されることは結局のところなかった。銃刀法違反で逮捕されそうなくらい柄の長い刀担いでるし、下手したら殺されるかもしれないのに。でも悲しいことにこれといった未練あまりもないのよねぇここには。自分からあちらへ行きたいとか、真面目に考えたことはなかったけれど、他人が手伝ってくれるのなら、それはそれでいいのかな……。でもせっかく苦労して生んで貰った命だから粗末には出来ないのよね。


「お前、なんで俺の姿が見えるんだ?」


俺たち死神は魂のバランサー。それ故に現世にいる人間は俺たちを認識することは出来ない。それは古からの絶対事項だったし、それが覆ることはほとんどない。あるのは一部の霊圧の高い特殊な能力をもった奴だけ。そして目の前にいる、さっきまで不貞腐れていたような表情で俺を見据えてくる女に、その力があるとは思えなかった。どうなってやがる?次々と浮かぶ疑問に俺は軽く混乱していた。現世の普通の人間が俺たちを視ることが出来る理由なんて、どれだけ考えても分かるまい。しかし放っておくことも到底出来ない。とりあえず記憶置換装置でこの女の意識から俺を消すか。


『あのー物騒な形をしているあなたには今更だと思うんですけど、その刀は本当にしまった方が良いですよ』
「お前……」
『みんな黒い男の人が空を飛んでいたって、騒いでますし。というか透明人間にでもならない限り、その恰好は目立つので止めておくのが無難だと』


もし仮に、万一にも、この女に、俺には感じられない特殊な能力があるとして……それは俺を認識できる理由になるだろう。しかし、こいつは《みんな》と複数の人物が俺を見えると忠告してきた。つまりそれは、この中に何人もの人間が特殊能力を、しかも俺が判断しかねる能力を持っているということを意味する。そして向こうから聞こえていくざわめきには、明らかに俺を指している語句が含まれていた。そんな異常事態ともいうべき状況が実際にありえるのか?悪い夢をみているようだ。瀞霊廷に報告するか。でもなんて報告すればいいのだろう。それよりも此処から早く離れたほうがいいのか。火急の事態の対処法に戸惑う俺に、女は低い声で論じ出した。

(発想の転換ですよ)

あなたはわたしがあなたを見えることが異常で、原因はわたしにあると考えているみたいですけど、一概には決めつけられないでしょう。あなたを認識できるのはわたしだけではないし、現に周りにいる殆どの人間があなたの恰好を見て大騒ぎしています。この状況ならば、原因はわたしにあるのではなく《あなた》にあると考えるのが普通だと思いますよ。


日番谷さんはわたしたちとは違う次元に住む人らしい。仕事でこっちに来るというくらいだから立派な社会人なのだろう。わたしも大学を出る頃にはきちんと就職先を決めて働かないといけないんだよねぇ。うわぁ遠い未来とか侮っていたらあっという間に呑まれちゃう。きっと大学に進学したって社会に出たって、今までと同じように優劣がつけられていくんだよね。その成績で人生が左右されていって、息つく隙もないほど忙しい日々を送る。そんな未来しか待ってないよ。それさえも当たり前になって鈍くなって、またつまんない事に考えを巡らせて……そうやってわたしは老いていく。人生がリセット出来ればいいのに。生まれたときから今まで全てゼロにして、やり直すの。きっと今よりは幾分かましになるでしょう?でも哀しきかな、人は生まれた時から既に平等ではないのよね。生まれた年代とか生まれた国の情勢とか、細かくみれば両親の経済力とかそんな些細なところまでひっくるめて、どうして不平等じゃないなんて言えるのか。天は二物も三物も与えるし、天は人の上にも下にも人をつくる。残念だけど、多分これはわたしの思う現実だ。子どもは親を選んで生まれてくるっていうくらいだから、生む母親にも生まれてくる子どもにも何の罪もない。でもそんなの慰めに過ぎないよね。生をなした時から洩れなくついてくるのよ不平等って。でも平等の基準なんてどの物差しで測ればいいのか分からない。それを個性だと捉えられない理由も分からない。だからわたしがあの子を羨ましく感じて妬むのも劣等感に苛まれるのも、特別ではなくごく普通のこと。ただ、大人の世界に足を踏み入れようとしている歳になってまでも、この不毛な思考から抜け出せないわたしが愚かで幼いだけのこと。いっそのこと、究極のバカか究極の天才か……そのどっちかで生まれたかったな。こんな面倒な感情を抱かないくらい低脳だと、悩まなくて済むでしょう。他人と比較しても自分に誇りがあって、劣らない点が一つでもあれば、劣等感なんてないでしょう。でも絶対的なナンバーワンっていうのは、分野別にしても、それぞれ世の中で一人ずつにしか与えられない権利なの。ほんの一部の天に愛でられた人たちだけ。だから中途半端なやつにしかきっとこのキモチは分からない。でもこの世はきっと、わたしみたいに中途半端な人で溢れている。


あの日、俺は瀞霊廷に戻ってすぐさま事の次第を報告した。技術開発局や隠密機動など調査を踏まえた結果を後日知らされたのだが、それはあまりにも突然で俺たちを驚愕させるには充分過ぎるくらいのものであった。何らかの理由で現世の人間が魂魄を認識できるように、俺たち側の構造が緩やかだが、確実に変化しているとのこと。その現象はいつから進行しだしたのか、要因はどこにあるのか。詳しいことはまだ解明されていない。しかし、この事実から俺たちの常識はあっけなく崩れ、新しいスタイルを模索する機会となった。身体の造りはいずれ今までとは別物の構造になってしまうだろうし、それが遠い未来でないことも否定できない。というのがありのままの現状。とにもかくにも、あいつの言ったとおり原因はむこうではなく俺たちにあったのだ。発想の転換か……確かに。俺ひとりでは間違いなくそんな考え浮かばなかっただろう。


『その服、時々連れてくるあのグラマーなお姉さんが選んでくれたんでーすかぁ』
「頼んでもねぇのにな」
『日番谷さん頑固そうだから、偶にはそういうラフな格好してもいいんじゃないですか』
「それ全然関係ないだろ」


こいつはいつも遠くを眺める。何を考えているのか、口には出さないが楽しいことではなさそうだ。俺が傍にいるときでさえ、周りの景色を見つめ、感慨に耽る。そして必ずと言っていいほどこいつの瞳は、投げやりで失望したような、それでいて、諦めきれないような……そんな複雑な色が見え隠れする。つまらないことばかり考えるんです、口癖のように繰り返す。こいつにとって考えること有益なものではなく無意味なものらしい。取り留めのない、当たり障りのない発言をするわりには、肯定的な言葉を口にしない。見掛けは普通の女なのに、思考が大人びているというか、活気に欠ける。受け身のような振る舞い。ただそれは普通に接する分には特に気にならない。


『ねぇ日番谷さん、日番谷さんって空を見ると清々しい気分になったりします?』


だから初めて質問らしい質問を投げかけられたとき、少なからず驚いた。


わたしは青い空を見ても、蒼い空を見ても、碧い空を見ても、思うことはただ一つ。《虚しい》その一言に尽きる。わたしの曇ったココロは救われない。すっきり爽やかな気分にはならない。そしてその分、また虚しさが足されていく。重なって重なって耐え切れなくなるまで、ずっと息苦しい状態が続く。空を見るのは止めよう、って傷つきたくないから止めよう、って最後には思うくせに……純粋で穢れのないまっさらなそれにわたしは焦がれてしまう。だから病められない。手に入らない。満たされない。わたしは本当はなにが欲しいの。


「俺は……別に清々しくなったりはしねぇな」
『じゃあどう思うんですか』
「なんかずっと見てると憎たらしくねぇか。どこまで行っても綺麗で純粋で」
『まぁ確かに』
「でも安らぐっていうのか?なんていうか……心が静まっていくというか穏やかにはなるな」
『そう、ですか』


思えばこうやって無意味に時間を過ごせる環境にいられることも、きっと恵まれていることなんだろうな。世の中にはその日を生きるので精一杯で、今にも死にそうになっている人が絶対にいる。そういう中でわたしがつまらない事ばかりを考えても呼吸できるってことは、かなり良い待遇を受けているって証拠。すべて不平等からそれはくるのかな。それともそんな単純なことではないのかな。何が原因なのかな。何も悪くないのかな。わからないね。いつになったらわかるのかな。それもわからないね。
もう一度期待もせずに空を仰いでみた。結果は以前と欠片も変わらず。やっぱり無駄なんだよねぇと自嘲していると、目の前が真っ暗になった。何かがわたしの視界を遮った。それが日番谷さんの手だと気づくのには、それほど時間を要しなかった。


「我慢してまで見ることないだろうが。疲れすぎてんだお前は。今は無理にそういうこと考えなくていいんだよ」


慰めてくれているのか励ましてくれているのか、日番谷さんはどういうつもりで言葉をかけてくれたのかよくわからなかった。でも、わたしは――その眼差しと優しい口調から、赦してくれているような気がした。








空しさを抱え昊を拝むと
そこには包み込むような
優しさの貴方がいました








*あとがき*
なんだか最近本当によくわからない話ばかりですね、すみません。でも私こういうジャンル不明のやつ好きなんです(笑)病み気味な女の子?って書いてて一番しっくりくる。そういえば『鬱蒼』の本来の意味とは全然関係ないですよ。字面が好きなのでタイトルにしてみただけです。あっそういえばこの鬱蒼の文字は自分で作ってみました。友達に頼まれた文字素材を最近作っているので、ついでにみたいな感じです。下手だなー(汗)




2011/02/22