これ食って体力つけろ。と隊長に差し出されたのはあたしの大好物のカレーライスだった。現世では家庭料理らしいこの料理は、100年ほど前に黒崎一護という死神代行様が広めたらしい。輸入されたからもう随分と立つが、未だに瀞霊廷では値が張る高級品だ。ジャガイモとニンジンとタマネギなどの野菜や牛肉を炒めて専用のルーを入れるという、すごく単純な料理法なのだが。


「わざわざ作ってきてやったんだ、残すなよ」
「これ、隊長の手作りなんですか?!」
「まぁな。卯ノ花には許可もらってるから、存分に食え」
「許可?」
「空っぽの胃の中に、いきなりこんな刺激の強いもんいれても大丈夫だと思うか?」
「あぁ……なるほど」


ご飯とルーの入ったタッパを開けて、隊長はお皿に盛ってくれた。簡易デスクを取り付けて、スプーンを受け取ってから、いざカレーを口に運んでみる。うん、おいしい!隊長の「うまいか?」という問いに満面の笑みで答えた。辛すぎず、甘すぎず、適度な辛さのカレーライス。隊長みたいになんでも額面どおりにこなせちゃう人なんて、そうはいない。隊長もお昼がまだだったらしく、自分の分も装ってベットの端に腰掛けた。んん……?お皿とスプーンがもうワンセット残っている。ここに用事のある人なんていないし、第一今勤務時間だし。隊長が初めから無駄になるようなことする人じゃないし。じゃあこれはいったい誰の分?もしかして……渡嘉敷?


「ん?あぁこれか……渡嘉敷も居るって分かってたからついでに持ってきたんだ」
「隊長って、渡嘉敷と前から知り合いなんですか?」
「いや。昨日初めて会って、初めて喋った。しかもめちゃくちゃ不機嫌で睨みつけてくるから正直ビビった」
「あぁ確かに。機嫌悪いとき無愛想ですもんね、渡嘉敷。でも朝方はもっと不機嫌なんですよ」


初めて渡嘉敷と演習のペアを組んだときのことを思い出した。その日、あたしたち特進クラスだけ、普通クラスよりも演習の時間が早くて……確か四時起きしなきゃならなかったはずだ。二人一組でペアを組む演習でいつもなら好きな子同士で組むところなんだけど、大宇奈原先生の気まぐれで、その日は特別成績順で組むことになった。主席のあたしはその当時、次席だった渡嘉敷と組むことになる。一応挨拶しておこうと本人のところに寄っていったら、何があったの!?って疑っちゃうほど、仏頂面の女の子がそこにはいた。入学時に喋ったことはあったけど、その時はこんな感じじゃなかった、とあたしは驚いていた。

(えっと宮内さんだよね。まず、ごめん。あたし低血圧だからかなんか知らないけど、朝はすこぶる機嫌が悪いの。あっでも八つ当たりだけはしないから。でもなんか迷惑かけそうだから謝っとく)

それから何度かの朝の渡嘉敷の様子を眺めていたら、無性に友達になりたくなって……気づいたら自分からベラベラ喋りかけてたんだよね。消極的な性格のあたしにとっては珍しい行為で、すごく緊張したのを覚えている。


「渡嘉敷はあたしのこと天才だとか、才能がありすぎ、とか言ってますけど。それ全部勘違いなんですよ」


ボク宮内が親友だってことが一番の誇りだよ。よく霊術院時代に聞かされた言葉。言われて気分の悪くなる言葉ではなかったけど、心のどこかで何か噛み合ってない居心地の悪い感覚がしていた。あたしなんかより渡嘉敷の方が何でも出来るのに。器用に、正確に、素早く。あたしはいつも朝は修行の時間って決めて、剣を奮っていたけれど、みたところ渡嘉敷は自主練習というものを行ったことがなさそうだった。試験前のたった数時間勉強しただけで、必死で何日も前から勉強してきた同級生達の成績を、あざ笑うかのような結果を叩き出した。入学したときの席次よりは順位を落としているものの、常にトップ10をキープしている。あたしよりか、渡嘉敷の方が断然賢いって。それでも本人はその凄さに気づいていないらしく、いつも「んなわけないじゃん!買い被りすぎだって」とあたしの賛美を決して受け付けようとしなかった。本気なのに。決して過大評価とか、そんなんじゃなくって真面目にあたしは渡嘉敷の方が天才肌だと思う。


「渡嘉敷が本気出したら、あたしなんかすぐ負けちゃう」
「……」
「自覚がないんです。自分を卑下してることにも多分、渡嘉敷は気づいてない」
「だろうな。話してみて何となく分かった」
「やっぱり」
「俺が霊術院時代から、目星をつけてたつっても、頭ごなしに否定された」
「え……?」


宮内がうちを志願したとき、俺は渡嘉敷も一緒になってくると思っていたんだがな。お前らが親友だってことを大宇奈原から聞いてたからよ。これで有望株、二つとも十番隊だってにやけたところに、京楽のオッサンからの一言だぜ?

(日番谷くんが気にかけていた渡嘉敷咲夏ちゃんだっけ?その子、うちを志願してきたよ。成績も申し分ないし、僕オーケーしちゃった)

俺が前々から狙ってたの知ってたくせによ。俺からも指名しときゃあ良かったって心底後悔した。あいつなら必ずうちを選択するって高をくくったのがまずかったんだけどな。あぁーくっそ。惜しいことした。痛恨の判断ミスだ。俺の手であいつの才能、開花させてやりたかった。……って今さらなんだけどな。


「あ、そういえば、来月八番隊との合同任務が入ってるんだが……それまでに身体戻りそうか?」
「え……はい、多分」
「そうか。じゃあ京楽に頼んで相手を渡嘉敷にしてもらうから、楽しみにしとけ」
「でも渡嘉敷はまだ、平隊員で」
「宮内。お前が一番よく分かってんだろ。あいつの力はそんなもんじゃねぇってことくらい」


戦いのサポートしてやってくれ、と去り際に隊長はあたしの肩を叩いた。初めて耳にする事実に、あたしは戸惑う。隊長が霊術院時代から渡嘉敷を評価していたなんて。あたしとの関係まで大宇奈原先生に尋ねてたって事は相当執着していたんだ。もしかしたら隊長はあたしじゃなくて渡嘉敷を一位指名するつもりだったのかもしれない。隊長の立つ瀬から、主席のあたしが志願した時点であたしを一位指名しないのは、他死神から非難されるかもしれない行為だ。世間のしがらみにとらわれ過ぎるのもよくないが、完璧に無視することは出来ない。人の上に立つ隊長ならなおさらだ。あたしは十番隊を志願しなかったら、隊長は迷わず渡嘉敷を選んでいたのかな……?

渡嘉敷は――隊長のことどう思ってるのかな?まさか好き、じゃないよね。だって渡嘉敷、男の人嫌いだし。勘がいいからあたしの気持ちもきっと知ってるし。好き、じゃないよね。

言い聞かせるように何度も何度も呟いたその言葉は渡嘉敷には届くはずがなかった。普段スポットライトに当たらない渡嘉敷を、しっかり捉えて評価してくれて、嬉しいはずなのに。あたしの心は灰色に染まっていた。




『みーやーうち!はよ!』


翌朝、渡嘉敷は入院塔が開門されると同時にやってきた。まさかの五時半だ。ありえない時間帯で目を丸くしたあたしに、朝の当番に当たって超めんどい、と渡嘉敷らしい説明をしてくれた。途中で買ってきたという朝食を口にしながら、渡嘉敷はあたしの布団に入り込んできた。あったかーい。といかにも眠そうな瞼をゆっくりと落とす。慣れない早起きするからだよと笑えば、今日は午後から現世の調査に駆り出されるから朝しか会えないとのこと。別に一日くらい構わないのに。猫のように目を擦り、無理をしている渡嘉敷とあたしは手を繋いだ。


『ボクが宮内に会いたかったの。気にしなくていいよ』
「……うん」
『手ぇ温かいねー』


六時に出勤しないといけないので、こうしていられるのもあと20分ほどだ。隊長がしんどくなければ進めておいてくれと置いていった上位席官用の書類を渡嘉敷はまじまじと見つめた。そして何を思ったか、懐から筆を取り出し、机の上で真剣に紙面の上の文字を読み出した。あっいけるかも。ニコリと笑ってこちらを確認する。どうぞお好きなように、と許可するといきなり下書きなしで書き始めた。ええ!?と迷わず筆を動かす渡嘉敷にはさすがに慌てた。隊長が持ってきたこの書類は構造は単純だけど、とても計算が多く、時間のかかるやつで、入院中で暇を持て余しているあたしにとっては持ってこいだった。先輩たちでさえも、この手の書類には予め下書きを用意し、出来上がったところで清書するという形をとっている。てっきり渡嘉敷も同じようにやるんだとばかり思っていた。というか本音を言えば渡嘉敷では無理だろうと踏んでいた。あたしは席官入りしたときに、こういう類の書類のやり方を教わったけれど渡嘉敷は平隊員だから、そんなこと教えてもらってない。だから実際やってもいいよ、と許可したものの、渡嘉敷にはちょっと知識が足りないよね、と軽くみていた。

(あいつの力はそんなもんじゃねぇ)

そうだよね、隊長の目に狂いがあるはずない。渡嘉敷は……あたしよりも才能あるもん。あれを渡嘉敷は苦もなく一瞬でやってのけるんだもん。長年一緒にいるから、ところどころで垣間見える渡嘉敷の才能に気づかないわけない。


「渡嘉敷は……日番谷隊長のこと、どう思ってる?」


口にしてから酷く失礼な質問だと思った。この状況に、この言葉。頭の回転の速い渡嘉敷はものの数秒で、あたしが嫉妬していることに気づくだろう。隊長との関係を親友に疑われる。気分が悪いに違いない。それでもあたしは、ごめん、とは謝れなかった。


『なにー?宮内、日番谷隊長にあのこと聞いたの?』
「うん」
『はぁ……あんなとって付けたような設定鵜呑みにしないでよ。からかってるだけだって。本気で言ってないよ』
「でも、渡嘉敷のこと」
『怠惰な隊員をどこの隊長が欲しがるのよ。よほどの物好きでしょ、その人。だいたい、いくら日番谷隊長だからってボク嫌いだし』
「ほんとに?」
『まぁ大嫌いかっていわれると違うかもしれないけど、好きじゃないことは確か。だって《男》だよ?ボクが今まで男を良く思ったことあった?』
「ない、ね」
『でしょ?だから宮内が心配しているようなこと、絶対にない』


最後の一行を書き終えた渡嘉敷はバタンと後ろに倒れこんだ。ベットのスプリングが揺れる。うーんと、彼女が欠伸をしたころにはすっかりお日様が顔を出していた。時刻は5時55分。そろそろ行くね、と渡嘉敷が立ち上がったとき低い聞き慣れた声があたしの鼓膜を震わせた。振り向いた渡嘉敷の瞳には驚愕の色。全く霊圧が感じられなかったから、無理もない。あたしもビックリしてる。

ただ、なんとなく、そんな予感はしていた。


『おはよう、ございます……日番谷隊長』
「あぁいつも俺の霊圧を感じた途端窓から逃げ出す渡嘉敷咲夏か」
「おはようございます隊長」
『そんなことありませんけど。偶然じゃないですか?』
「ほう……今日はたまたま俺は霊圧を消していたんだが、お前はいつもなら窓から逃走しているところを、たまたま気が向いたかなんかでドアから出ようとして、たまたま来た俺と出くわしたと。今まで毎日のように宮内の見舞いに行ってたが一度も会わなかったのにな。へー、すっげぇ偶然」
『ほんとすっごい偶然ですね』


わざと愛想笑いだと感じるように、渡嘉敷は口角を上げた。もっと上手く笑えるのに、そうしないのは、やはり渡嘉敷にとって隊長は他の男性死神と違う存在だということだろうか。では、あたしはこれで。と隊長の真正面から廊下にでようとした渡嘉敷を、隊長がこれまた真正面からさえぎった。誰にでもわかるように口を尖らせた。渡嘉敷が男の人の前でこんな不快感を露にしたのを、あたしは初めて見る。

隊長は気にする素振りも見せず、懐からとりだした用紙をふくれっつらの渡嘉敷に渡した。


『なんですかこれ』
「見りゃ分かるだろ。うちと八番隊の合同任務許可証だ」
『あたしが持ってても意味ありませんよ』
「京楽にお前と宮内とに任せたいと言ったら、本人に直接了承を得ろだと」
『……いいんですか、こんな貴重な任務、宮内はともかくあたしに任せて』


有為な人材を発掘するという名目が起源とされ、年に数回行われる他隊との合同任務。それは普段は疎遠である他死神との連携を計る以外に、現在の隊の力量を示すという裏の目的があった。こぞって上司達は自慢の優秀な部下を送り込み、見せ付ける。うちの隊にはこんな秀でた人材がいますよ。といった風に。だから毎回合同任務には各隊のエース候補が選出される。次期副隊長候補といった、隊を代表する死神が集まる任務で、平隊員が抜擢されたという例は今まで耳にしたことがない。

もしも渡嘉敷が今回の任務に選ばれたとすれば、おそらくは……いや、100%の確率で、次の日から護廷隊内の噂は渡嘉敷の話で持ちきりだろう。


「構わん。お前の実力は重々承知している」
『あたし最近ようやく斬魂刀の声が微かに聞こえるようになったんですよ?つまりはまだ浅打を使ってまして……』
「平隊員なのに瞬歩しながら霊圧消せるような器用なやつなら、すぐにでも扱えるようになる」
「渡嘉敷、いつのまにそんなこと……だってあたし、瞬歩しながら、霊圧固めるとか、無理だよ」
『お酒の席で絡んでくるウザイ先輩から逃げるのに、ちょうど良かったから覚えただけだって』


本来瞬歩は大量に霊圧を消耗するため、席官以外ではあまり使われない。というより使えない。素早く移動できてもそれで霊圧を消費してしまえば、戦闘で必要な分の霊圧を確保できないからだ。瞬歩中は自分の半径1m近くにまで、密度の高い霊圧が纏わりつくため潜入任務では好まれない。そんな大きな霊圧を固めるなんて……あたしなら無理だ。しかも、渡嘉敷はそれを戦闘に使わないで、先輩から逃げるために使っていると言う。勿体無さ過ぎる。というか、それを独学でやってのける渡嘉敷は、やっぱり――。


「一緒にしようよ。京楽隊長の許可も出てるんだし。ねっ合同任務、一緒にしよ?」
『ちょっ宮内勝手になに言って……』
「渡嘉敷、もういい加減自分の能力の高さ、自覚してよ。渡嘉敷はあたしばっかり凄い凄いって褒めてたけど、あたしに言わせりゃ渡嘉敷の方がすごいんだからね」
『だからそれは宮内の勘違いで』
「勘違いなんかじゃない!」


思えばあたしはこんなに誰かのために声を張り上げたのは初めてだったのかもしれない。それでもあたしは伝えたかった。渡嘉敷も充分凄い存在なんだって。知って欲しいこと、分かって欲しいこと、自覚して欲しいこと、今まで溜めてきたさまざまな思いを、あたしは拙い言葉で伝えた。あたしは確かに伝えた。それでも渡嘉敷は最後まで不服な顔をやめようとはしなかった。

そして渡嘉敷は頻りに、喋っているあたしじゃなくて隊長のほうをを睨みつけていた。


『朝の当番あるから、行くね……』


すっかり太陽が昇りきった七時。朝の当番なんてすっかり終わっているだろう時刻に、渡嘉敷は今にも泣きそうな顔をして、病室を出て行った。言い過ぎたかな……?だんだんと不安になってくる。無理やり誘わないでいた方が、渡嘉敷は良かったのかな。あたし余計なことしちゃったのかな。隊長はそんなあたしを察してくれたらしく「お前は悪くねぇよ」と、慰め顔で声をかけてくれた。どうかどうか、渡嘉敷があたしの気持ちを受けれいれてくれますように。そんな思いを抱きながら、それでもやっぱり起きる気にはなれなく……あたしはもう一度、布団を被りなおした。

だからこの時、実は隊長がひそかに微笑んでいたことを、当然ながらあたしは知らなかった。




隊舎裏についた途端溢れ出てきた涙を止めるのに、ボクは必死だった。あいつの前ではなくもんか、と耐えに耐えた結果だった。泣き腫らした瞳で出勤するのはどうしても嫌だった。何があったのかと質問されるのが分かりきっていたし、実際どうしてこんなにも涙が溢れくるのかがボクにも分からなかった。次々と涙腺が崩壊したように流れ出る涙に、為す術はない。歯を食いしばったって、楽しい事を考えたって、止まらなかった。この前泣いてからまだ1ヶ月も経ってないのに。いつから涙脆くなったんだよ。ポタポタと染みを作る液体は、ボクの心に深く滲みわたった。宮内とあんな大声で言い争ったのは、初めてだ。いつだってキレだすのはボクで、諫めるのは宮内だった。

(勘違いなんかじゃない!)

勘違いに決まってるじゃん。宮内は誤解しまくってるよ。ボクを美化し過ぎだ。宮内は結局ボクに何を伝えたかったんだろう。大声を出してまで何を聞いて欲しかったんだろう。自覚しろ――と言っていた。それだったらきちんと自覚してるよ、自分の限界を。計り知れない技量をこれから習得していく宮内と、ボクは違う世界にいることくらい自覚してるもん。


『もう……なんだっていうの、宮内』


まるで分からなかった。出会ってから今まで、これほど宮内と意志疎通がうまくいかないことなど、これまでなかった。膝に顔を埋めて、宮内がどこか遠くにいってしまった感覚を、ボクは必死で拭う。途中でかすかに漏れた霊圧を辿ってきた部隊隊長に見つかったけれと、正直職務なんて宮内のことに比べればどうでも良かった。なんでこうなっちゃったんだろ。ボクは宮内のこと、何にも分かってなかったのかな?ムリヤリ先輩にお願いして非番を貰ったボクはそれから日が暮れるまで一日中、宮内のことを考えていた。

結局ボクが布団から出たのは、京楽隊長からの呼び出しがあってからだった。自分の隊長だけれど、ボクは役職に就いていないため、遠目でしか見たことがない。目立った功績も失敗も残していないボクは隊長直々で連絡を受けたことなどなかった。思い当たる節もない。まさか、もしかして、アレのこと?

(くッそ……あいつ)

アレというのは、間違いなくアレのことで。それしか用件が思いつかなかった。喜ばしいことなどではない。激しく憂鬱なことだ。行きたくない。だけど、逆らえない。くっそ。これもあれもみんな、全部、日番谷のせいだ。あんなヤツさえ居なけりゃボクが宮内と喧嘩することもなかったし、こうやって合同任務のことで京楽隊長に呼び出されることもなかった。隊首室までの道のりのなかで、ボクは元凶のあの男を罵りまくった。



『八番隊第十五班所属渡嘉敷です。京楽隊長はいらっしゃるでしょうか』
「あぁ〜咲夏ちゃんねぇ。まぁそう硬くならずにおいで」
『あの、隊長……合同任務の件ですが、お断りさせていただきます』
「……先に言われちゃあしょうがないね。簡潔いうと、僕が君を呼んだ理由はそこにあるんだけど。どうしてそこまで渋るか、理由を教えてくれないかなぁ。日番谷くんがあんなに執着しているし、僕だって咲夏ちゃんの実力は平では勿体無いと思ってるんだよ」


飄々とした態度のまま、隊長は今までボクが行ってきた任務の報告書を机に置いた。10年ちょっとの間に現世へ行った回数はわずか43回。年に4回程度だ。現世に行けば危険手当として給料は少し上がるけれど、大してお金に困ってなかったボクは面倒な現世任務に当たらないようことごとく逃げてきた。しかし……たまに回避できなかった運の悪いときには、潔く万全の準備を整えて赴いた。作戦を練りに練って失敗が起こらないように、負傷者が出ないように。責任感は一応ボクにもあるのだ。そのためボクは現世任務で失敗したためしがない。それでも小さな小さな任務のため、誰かに気づかれたり、目立つことはなかった。でもわざわざこのタイミングで初期の報告書を出してきた、ということは隊長は気づいたに違いない。もうっ次から次へと、いったい何なのよ。


「君は入隊してから今までミスというミスをしたことがないね」
『今日無断欠勤して部隊隊長に怒られましたけど』
「うーん、まぁそれを抜きにしたって咲夏ちゃんの能力は頭一つ分抜けてるんだよねぇ。どうかな?今度の任務。これで結果を残せば……」
『あたしは、名誉とかそういうののために、死神になったわけじゃありませんから』


ただ大切な人のそばにボクがずっといられるように。いてもらえるように。宮内がずっと、ボクの親友でいてくれるように。席官になりたいだの、尊敬されたいだの、誰かの役に立ちたいだのといった、一般的な向上心はとうに捨てた。ボクは可及的静かに、死神生活を送りたい。宮内や両親ならまだしも赤の他人に命を賭けて殉職とかはまっぴらゴメンだ。ボクの人生は平穏さえあればそれで充分なのだ。

それからくだらない押し問答が延々と続いた。ボクはやらないと、言ったら絶対にやらない。例え組む相手が宮内だとしても、だ。一度決めたことを曲げるつもりもないし、隊長といえどこればかりは一任では決定できない。本人の了解が、この合同任務には必要不可欠だ。それほど、この任務の重要度は高い。二つ返事で快諾できるわけないじゃないか。
にべなく返事をするボクに、漸く隊長が折れたのは、夜の12時を少しまわったところだった。隊長はそこまで拒否するのなら、もう無理強いはしないと。しかし日番谷隊長には自分の口から断ってくれという条件付だった。冗談じゃない。あんな男になんか二度と顔を合わせたくない。意図的でないにしろ、宮内とボクの仲を拗らせるような言動をするあいつには関わりたくない。当分は宮内に何かない限り、会いたくない。


『どうして……あたしが日番谷隊長の元へ断りに行かなければならないんですか?隊長が直接お話してくだされば』
「それがねぇ咲夏ちゃんがうちに入隊希望を出す前に、実は日番谷くんが君を気に入ってるって話を聞いてたんだよ。それにも関わらず、まぁちょっと意地悪して咲夏ちゃんにOKだしちゃったでしょ」
『はぁ』
「それを知らせたときの日番谷くんの顔が怖くてさぁ……それ以来すっかり苦手になっちゃっててね。今ではもうボクよりも強いから余計になんだよ。100年ほど前なら少しは違ってたかもしれないけどねぇ」


なおも食い下がるボクに隊長はすまないねぇと心にもない言葉をくれた。ようはまだボクを合同任務に参加させることを諦めてないわけだ。二人の隊長に熱心に勧誘されればおちるとでも思っているのか。だけど――隊長が自分よりもあいつの方が上だと示唆する発言をするのは興味深かった。100年前の天才児は無事に才能が開花されましたとさ。ってなやつか。

チッ

本日何度目か分からない舌打ちをして、ボクは八番隊舎を離れた。行く先はあいつの隊。霊圧を探れば、まだ舎内に残っているようだった。こんな時間までお仕事なんて、お偉いですこと。皮肉の一発でもかましてやろうか。来たときと同じように、辛辣な言葉を並べては、喧嘩の原因を作ったあいつを呪った。


『渡嘉敷咲夏です。合同任務の件で日番谷隊長にお話がありまして……』
「おぉやっと来たか。待ってたぜ」


霊圧を消したまま瞬歩で十番隊へ向かい、そのまま隊首室の戸を叩く。ボクを目にしても日番谷は全く驚かなかった。その余裕っぷりがまたむかつく。傍から見れば爽やかスマイルなのかもしれないが、ボクには嘲笑としか受け取れない。こんな笑顔大嫌い。男の癖に気安く笑うな。それと……気安く身体に触るな!伸ばされた腕をバシっと払った。竹添七席にしたときとは違う悪意をこめた瞳でそちらを見ると、あいつは少し笑っていた。あの時は大丈夫で、今は無理なのかよ?挑発するようなその発言にボクはじっと堪える。頭を触られた事実はいつのまにか、憎悪に変わっていた。

ふざけんなふざけんな。あの時は宮内のことで頭が一杯だったから平気だっただけだ。あんたなんか、男なんか、大ッ嫌いだ。


「随分な嫌われようだな。俺何か気に障ることしたか?」
『あなたが宮内や京楽隊長に変なこと吹き込んだせいで、凄く厄介なことに巻き込まれてるんですよ』


宮内とよく分からないことで喧嘩したし、部隊隊長にはしこたま怒られたし、挙句の果てにみな注目が一番集まる合同任務に選ばれようとしてるし。最悪だ。人生で最悪の厄日だといってもいい。それくらい今日という日はボクにとって災難だったし、その原因を作ったあんたをボクは一生忘れないだろう。


「その上俺との仲まで親友に疑われてるしな。そりゃまあ、お気の毒」
『あんた……まさかわざと!!』


掴みかかったボクの腕を逆に押さえて、悪びれる様子もなく、目の前にいるこの男はあらぬ事を述べだした。気づいてなかったのかよ?一言耳元で厭わしく囁かれた言葉に、二の句をつなげない。まさか……と思った。信じられなかった。今までのことを全て意図的に、計算して行ってきた?ははははっ。なにそれ。ボクはあんたの手の中で躍らされてたってことかよ。ふざけんな!!冗談じゃない!どういうつもりだ!?自分と接点もなんにもない他隊の平隊士を、無意味にかき回して何が面白い?あんた、そこまで最低なヤツだとはさすがに思ってなかったよ。
手を掴まれた勢いのまま、日番谷はボクの身体を押し倒した。床にぶつかったのと、ソファーで眠っている宮内を視界の端でとらえたのはほぼ同時だった。どうして宮内がここに?これも全部日番谷が仕込んだってことなの!?

この場に居るはずのない宮内に、焦りが生じた。この場を見られてはせっかく日番谷とは何にもないと説明した言葉を、宮内は信じてくれなくなる。


「意外とお前もお人好しなんだな。てっきり宮内以外はみんな悪人的な考えしてるんだとばかり思ってたぜ」
『ふっざけんな!離せ!宮内になにをした!?』
「そう怒るなって。あいつが起きてこの状況見たら、困るのはお前だぜ?確信するだろうな。俺とお前の仲を」


覆いかぶさってきたこいつの腹辺りを思い蹴り上げた。しかし、やはり隊長と平の差は歴然で、ぶつかる寸前でさえぎられる。が、元々これが利くとは思っていない。その次の攻撃をするまでの間合いを取る為の誘導だ。蹴りを防ぐために空いた左手へ、ボクは霊圧を集中させる。そしてそのままこいつの右肩に当てようとしたところ……何の前触れもなく激痛が走った。

(なに、これ……)

隊首室に入ってから今まで何かを嗅いで毒にあたった覚えはない。身体を触られたのはさっきの一度きり。それなのに、まるで霊圧が使えない。むしろ、使おうと思えば思うほど、体の奥が焼けるように痛い。


「やめとけ。無理に霊圧を込めると、自分自身の霊圧でやられちまうぞ」
『なにを……した』
「両手首にある霊圧の排出口を塞いだ」
『そんなこと、出来るはず』
「少しそっち系の知識がありゃあ出来る。つっても100年前にある人物から習ったものだがな」


じゃあそろそろ本題へ入らせてもらうぜ?今までに見たこともないような笑みを浮かべて、こいつはボクの顎をすくい上げた。近づいてくる顔になにをされるか瞬時に悟った。イヤだ……止めろっ……ボクの身体に触れるな!!しかし霊圧が使えない今のボクでは只の女。勝ち目なぞ初めからなかった。そのまま唇が重なるのを、ボクは受け入れるしかない。舌が侵入してきた瞬間、目を瞑った。もうこの状況に吐き気がしてしかたがなかった。噛み切ってやろうと思った舌もすっかりあいつは愉しむように絡めてくる状況に、ボクは涙するしかなかった。


「キスくらいで泣くとはこっちも予想外だ。へぇなんだかんだ言ってもお前、女だな」
『黙……れっ』
「抵抗するなよ。暴れればそれだけ宮内に見つかる可能性が高くなるぞ。自分の乱れる姿を親友に見られたくないだろ」
『黙れ、黙れ黙れ黙れ!』
「まぁここまで来りゃあ、言い訳できないだろ。しっかり写真にも収めさせてもらったしな」


頭上でチラつく写真から目を逸らした。見なくとも分かる。そこにはさっきの現場がしっかり押さえてあるに違いない。この人に限って失敗はないのだ。まるで俎上の魚だ。圧倒的な、しかも男女の差で、こいつはボクの上に乗っている。ボクが男を忌み嫌っていることを知っているからか、さっきから全く霊圧を使用しようとしない。それが堪らなく悔しい。なんで……!穢れた男に身体を許さなければならない。

宮内を任務に連れて行ったのも、怪我させたのも、あそこでボクとあったのも、好い人面したのも、宮内の不安を煽るようなことしたのも、全部全部このためだったっていうのか。


「言ったろ。ずっと見てきたって」


一年の頃からずっと。鬼道の言霊を覚えるのが面倒だと言って初めから詠唱破棄で打っていたことも、それを誰にも言わずに隠してきたことも。宮内を妬んで暴言をはいた上級生を殴って、それが大宇奈原にばれて謹慎処分になったことも。強制参加の朝錬がだるくって三日に一遍は担当の教師の目をかいくぐってサボっていたことも。もちろん、お前の一人称があたしじゃなくって、本当はボクだってことも。何から何まで全部な。

口を動かし続けるが、こいつは手を止めようとしない。きつく結んである腰紐はもうすでに解かれてあり、死覇装も半開きになっている。


『あんたの目的はなんだ。ボクにこんなことして、何が面白い』「そうだな……あえて言うなら俺に反抗してくるヤツが見つかって嬉しかったのかもな」


何でも素直に従順な部下達はたしかに扱いやすい。だがそれも長年付き合っていると、つまらなくなる。おそらく今の十番隊で俺に意見できるやつなんて松本以外誰もいない。おかしなほど俺の指示を守り、俺が一番正しいと信じきってやがる。――欲しかったんだよ。俺にさえも反抗してくるようなやつが。お前は態度からして俺のことを嫌ってるのがよく分かったからな。こいつなら、俺が望んでるようなつんけんとした態度を平気でしてくれるんじゃねぇかって。どうだ?これで充分か?ほんの少しだけ間をあけて、こいつは喋りだした。その際に見せた切なげな眼差しさえも、芝居だと思うと、もう何事も馬鹿らしく思える。そんなくだらない理由で、宮内を危険な目に遭わせていいはずない。悲しませていいはずない。


「だが俺がこんな事をしてると知ったら隊長としての威厳は損なわれるだろ。ここ100年間耐え続けて確立した地位を失うのは惜しい」
『あんたっ』
「だから交換条件として宮内をここに呼んだんだ。お前は宮内が傷つくのを極端に嫌がる。だからこのことを絶対に誰にも言わない。だろ?」
『最っ低ね、あんた。人でなし』
「何とでも言え。これはもう決まったことだし、引き返せないことくらいお前もわかっている筈だ」


引き返せない。この状況はどう足掻いても打開できない。分かってる。痛いほど分かっている。男女の差がこんなに大きいものだと身に染みて感じさせられた。今更抵抗したって無駄だ。ボクが表の日番谷隊長を信じきっていたこと自体が迂闊だったって言うのか。まさかこんなことになるなんて、思っても見なかった。宮内の気持ちを利用してまでも目的を達成させようとする、こいつは人でなしだ。そしてその目的も心底くだらない。……だけど受け入れるしかない。いよいよ逃げることも助けを求めることも不可能だと理解したボクは決断せざるを得なかった。でも只では済ませない。あんたがそこまでボクを脅すのなら、ボクだって条件を提示したって構わないはずだ。

現実主義の一面がここにきて出てきた瞬間だった。


『ボクにも条件があります』
「お前自分の立場がわかってんのか」
『ええ。でもここまで虚仮にされるのはプライドが許さないので。こうなったら完全な唇歯輔車の関係になりましょう?』
「……」
『ボクの望むことは一つ。今後一切、宮内に手を出さないこと』


こんな人でなしが宮内に触れるのを想像するだけで、置かれている状況以上の虫唾が走る。こんなクズ野郎にあの子を近づけてなるものか。宮内は純粋に敬愛しているのだ。あんたの本性がこれだって知れば、そんな感情なくなるに決まっている。だけどボクは敢えて言わない。あの子が悲しむことは絶対にしない。だからあんたもボクに協力しろ。演じ続けろ。宮内の前では《みんなが尊敬する日番谷隊長》でいろ。もしも宮内にボクにしたことをバラせば、その時は躊躇うことなく、ボクはあんたの本性をさらけ出してやる。

そのためには、そうだな……少なくとも隊長格の絶対的な信頼が必要か。今のままでは訴えたって、こいつの権力でもみ消されるに決まってる。だからこいつと同等に渡り合えるくらいの権力を確保しなければ。


「もう泣くのはやめたのかよ」
『泣いたって何も変わらないでしょ。あんたが喜ぶだけ』
「そうか、賢明な判断だな。利口な女は嫌いじゃないぜ」


首筋に舌が這う。気持ち悪い。気持ち悪い。やっぱり男なんて最低な生き物だ。そして、こいつはそれ以上に最低な人でなしだ。念押しのためもう一度「あの子に手を出すな」ときつく言えば、こいつは表の日番谷隊長のように「約束は守る」とあの時のように頭を撫でた。その手が……他よりも優しかったのは、気まぐれだろうか。それとも飴と鞭を使い分けただけなのだろうか。それともこれも全て計算で、その先に更なる何かが待っているのだろうか。

(最初からお前にしか興味ねぇよ)

でもまぁいい。これからボクがやるべきことは一つだ。この男を、日番谷冬獅郎を、いつの日か、地獄に落してやる。復讐してやる。宮内に無駄な怪我をさせたこと、気持ちを弄んだこと、すべて後悔させてやる。




底なしの悪夢に沈む 
馬乗りになって体を弄る男を見上げながら、ボクは胸に誓った。


お題サイト様→Rose tea







*あとがき*
後味悪くてごめんなさい(><)実はこれかなり前からずっと書きたかったネタなのです。なんかもう夢小説とは思えない不気味さだったので、アップするのに躊躇っていたのです。ですが移転してからの第一段ですし、渡嘉敷自身も一年前とは思考などが結構変化していまして、偶にはこういう類のものもいいかと。甘さがなくてすみませんね。補足ですが、ヒロインちゃんと宮内さんの力関係はほぼ同じ設定にしているつもりです。ただ、捉え方が異なるのです。簡単にいうと「まだ」「しか」の違いです。まだ自分には自分が活かしきれていない未知の力がきっとある、が宮内さん。自分には所詮この程度の力しかない、自分の限界はここだ、がヒロインちゃん。渡嘉敷は完全に限界を勝手に決めて自暴自棄に陥るタイプなのでとても書きやすかったです。そしてこの後の二人の話はだいたい出来ています。というか本当はそこまで書こうと思っていたのですが、肝心のラストが決まらないので中途半端ですがここで終わりにしました。なんかテキトーでごめんなさい。でもあまり読んでも幸せになれない話って需要低そうだし、それに時間をさくなら甘い話を書く方がいいかなぁと(笑)


2010/12/26