シンパシー | ナノ

TWO

梟谷学園のOBやOGが多いせいか、俺はひっきりなしに声をかけられた。正直に言うと、全部無視したい。もう一度雀田先輩のところへ行って『蒼』と話がしてみたい。なかなかタイミングが掴めず、視線だけで彼女を追った。表情はぎりぎり見えるくらいの距離に陣取って、何か機会が無いかと内心ソワソワとする。

すると、ほとんど動きを見せなかった彼女が、おもむろに席を立った。飲み物でも取りに行くんだろう。シャキシャキと歩く姿は見ていて清々しい。女の子らしい歩き方をしようと内股を極めた元カノとは比べ物にならないほどに凛としている。純粋に可愛いと思った。揺れるポニーテールとか、真っ直ぐ伸びた背筋とか、誰かとぶつかって頭から水をかけられても嫌な顔ひとつせずフォローするところとか……

「っ、!」

彼女はピッチャーに汲まれた水を浴びて、びしょ濡れになっていた。思わず手に持っていた紙コップを落としそうになる。浴びせた奴は、他の大学の男のようで俺は名前を知らない。けれど大声で「ごめん倉嶋ちゃん!」と呼んでいる。こんな時にジェラシーが胸の内で滾った。俺はまだ彼女の名前を一度も呼んでないのに。ほぼ無意識に俺は『蒼』の元へ向かった。誰の声も今ばかりは無視した。

彼女に近付くにつれ、とんでもない事が起きているのに気が付いた。白いTシャツから下着が透けている。黒いレース。ありがたい。じゃなくて、目の前に立って謝り続けている男は絶対気付いているだろ。敢えてずっとその場から離れないんだろお前。どうしようもないな、男子学生の煩悩ってのは。少し頭に血が上ってしまった。

「……っ、わ?!」

彼女の吃驚した声が耳に届く。俺はやっぱり無意識に彼女の腕を掴んでいた。こんな衝動的な行動はしたことがない。ただ見られたくなかった。彼女が恥ずかしがる顔とか、黒レースとか、水に濡れた体とか。だって無条件でいやらしいじゃないか。不特定多数の男が見ていいもんじゃないだろ。

一切の迷いなく、俺は木葉さんが適当に休憩所として使えると言っていたコテージを目指した。他の女がこんな目に遭っていたら俺は同じ行動を取るだろうか。分からない。けど、今は他の女とか本当にどうでもいい。この子が色んな男の目に晒されるのが嫌だった。コテージの扉を開ける最中、彼女は少し離れたところで立っていた。俺の行動に驚くのも当然だ。その顔には不安の色が見える。

「来て」

そう言って手招きをすると『蒼』は素直にコテージの中へ来てくれた。彼女が入ってくると、風に乗ってふわりと甘い柔軟剤の匂いがした。水に濡れて匂いが強く出たんだろうか。甘ったるい匂いは元カノのせいで大嫌いになった。なのに、彼女が纏う匂いはどこか癖になるような甘さだった。香水ではない、柔らかいそれに少しクラっとした。俺、実は結構重症なのかもしれない。彼女は怪訝そうな顔をして口を開いた。この様子だと下着が透けていることにまるで気付いていないようだ。

「赤葦くん、なに、どうしたの」
「説明しなくて悪かった。その……シャツ、濡れて下着透けてるから」
「えっ嘘!?」

彼女は顔を真っ赤にして自分の姿を見る。しかし「そんなにやばい?」と透けているシャツが自覚できないらしい。やばい。主に黒レースってところがやばい。こんなに爽やかな雰囲気なのに下着は黒なんだとかいう邪な感情が押し寄せてくる。多分童貞なら真っ直ぐ歩けないとは思う。俺は歩くけど。

彼女にインナーを着ないのか尋ねると「暑くて脱いできた」と言った。なんか妙なエロさを感じてしまう。初めて会ったばかりなのに、これだけ感情掻き乱されてしまうってどういう事だ。危機感すら覚えてしまう。彼女は眉を下げながら、控えめに口を開いた。

「わざわざごめんね赤葦くん。社会的に色々助かった。私着替えとか持ってきて無いから、かおりさんには悪いけどこのまま帰るね」

は?勘弁して欲しい。今帰られたら俺はこの先どうすればいいわけ。まだ連絡先も聞いてないし名前すら呼んでない。こんなにも女子に焦がれたことは未だかつて経験したことがない。俺はこの間0コンマ数秒で、彼女を引き止める最善策を打ち出した。

「俺のでよければ上着貸すけど」
「……えっ」

珍しく羽織物を着てきた自分を褒め讃えたいと思った。彼女は分かりやすく動揺している。もはや思考に逃がしてなるものかという捕縛精神が生じて、それは俺にパーカーのジッパーを下ろさせた。彼女の目が見開かれる。本当に分かりやすい表情をする子だ。きっと裏表がほとんど無いんだろう。好きだ。

「ほら」

余裕ぶって彼女に脱いだばかりのパーカーを渡す。これもある種の束縛行為に思えるが、まだ付き合ってないからセーフだ。マーキングくらいなら許されるだろう。今日のバーベキューで、彼女の評価が割と高いことを知った俺はどうにか彼女を手元に引き寄せておきたかった。他の女子への牽制にもなる。お前らには興味が無いと言葉を発することなく伝えることが出来よう。

だが、困ったことに『蒼』はなかなかパーカーを受け取らない。もしかして嫌がられているのだろうか。焦りすぎた行動だっただろうか。不安が訪れて、押し付けがましかったかと尋ねると彼女は激しく否定した。

「イケメンからパーカー借りるのに躊躇しただけです!有難く借ります!……あっ」

なんて?それはつまり彼女も俺の評価を"秀"にしたということだろうか。脈アリ、とみていいんだろうか。ありがとうと返事をしてみると彼女は顔を真っ赤にして「忘れて」と言った。だめだ、可愛い。これはもうあれだ。俺はこの子と恋をしよう。絶対落とす。俺のことを好きになってもらう。もう恋なんてしないなんて言ってる場合じゃない。気を抜くと顔が引き攣りそうだから、敢えて心を無にして彼女に最後の引き留めをして釘を刺す。まだ帰すわけにはいかない。

「雀田先輩と仲良いんだろ。帰らないであげて。あんた、下の名前蒼だったよね?前に梟谷で飲んだ時、蒼ちゃんのこと随分気に入ってるみたいだったから」

彼女は瞬きを繰り返した。俺が『蒼』と呼んだせいだろう。こっちも緊張したけど敢えてぶち込んだ。ツーアタックもたまには必要だ。ていうかその驚いた顔やめて欲しい。純朴すぎて可愛い。もう世界一可愛い女の子にしか見えなくなってきた。だめだ落ち着け。勝機を掴み取るまで気は抜けない。俺は一旦深呼吸をするべくタオルを探しに行くふりをして彼女から視線を外した。いやちゃんと探して取ってくるけど。

戻ってくる頃には気持ちを落ち着けて、余裕を持って彼女を見た。彼女は無意識なのか胸元に手を当てていた。それ黒レース強調されるからだめなやつ!俺はなんとか邪心を堪えてタオルを渡した。「ありがとう」と言われてしまって思わずにやけた。しばらくタオルで体を拭いていた彼女が俺のパーカーを羽織った。萌え袖。無事に被弾した。俺の洋服のサイズでもでかいんだな。付き合ったら彼シャツとかしてもらおう。彼女は少し間を置いてから、何か意を決したように言葉を紡いだ。

「あっあのさ、赤葦くんのこと、下の名前で呼んでもいい?」

なにそれ。いいに決まってる。俺を殺す気なのか。この数分の間にこの子は俺を何度苦しめるんだろう。つらい。好きになった子が純情過ぎてつらい。しかも特に可愛こぶるでもないのに可愛い。無添加の可愛さとでも言えばいいんだろうか。俺は上目遣いとかアヒル口とか好きじゃない。むしろ嫌いだ。だから一生懸命になって自分の意見を真っ直ぐ伝えてくる『蒼』が可愛くて仕方ない。しんどい。これはもう完全に脈アリだろ。期待していいよな。この悶えた感情を微塵も感じさせないように返答すれば「京治くんだったよね」と言われて、思い出したくない元カノの口調が頭をよぎった。

「……京治でいいよ。あんま名前で呼ばれないし、くん付けって得意じゃない」

本当に得意じゃないんだ。京治くん京治くんと喧しく呼んでくる元カノの顔がまだ記憶から消えないから、あんたには名前で呼んで欲しい。普段他の女子が誰も呼ばないような呼び方で俺を呼んで欲しい。

「俺も蒼って呼んだ方いい?蒼ちゃんのほうがいい?」
「そっそれは任せる、呼びたいように呼んで。呼び捨てでも全然いいし」
「じゃあ、蒼」

そう呼んだ時、彼女はときめきの色を瞳に浮かべた。死ぬ。可愛い。けれど彼女は俺がこんなふうに思っているのを絶対に気付いていないだろう。そこには自信がある。俺は感情を悟られないことが特技でもあるわけで。蒼が俺のことを好きだという確信が持てるまでは、こちらの好意はちらつかせる程度でいたい。傷つくのはいつになっても怖いから。

その後、俺はこれみよがしに蒼の側にべったりと居座って離れなかった。謎の会話が続くけど、これはこれで楽しい。蒼は思ったより気さくで冗談が多い。SNSのトップ記事と不満ばかりを話す女よりよっぽど面白い。蒼が俺のパーカーを着ながら俺を見上げて「京治」と呼ぶ。久々に味わう快感だった。女はどんな感性か知らないが、男なら自分の服を着せている時点で気が付くだろう。『倉嶋蒼と赤葦京治は、いつの間にやらよろしくやっている関係』。是非ともそういう風に噂されて欲しい

蒼が取ってくれた水を飲んで、蒼と同じ空間で物を食う。恐ろしくなるほどに、この子にハマっていく。絶対に逃がさない。こんなに他人の好意が欲しいと思ったのは、生まれて初めてかもしれない。
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