召しませ | ナノ

recipe1

「て、転校?」

そうよ。お父さんの転勤。私が作った夕飯を食べながらお母さんは淡々と言った。

「どこに……?」
「ええと、どこだったかしら」

兵庫だよ。先に夕飯を食べ終えてソファーで寛ぐお父さんの声がした。兵庫?兵庫ってどこなの。東京に近いの。大きなホテルや有名な料亭はあるの。質問攻めにすると「お母さん分からないわよ」と眉を下げられてしまった。当たり前だ。お母さんは神奈川生まれ神奈川育ち、結婚して東京出身のお父さんと一緒になってからはずっと都内で暮らしている。私は東京で生まれ育った。大都市の中で、やりたい事があって、目指したい理想がある。「八千代はすごいね」と友達から言われるので、私に夢があるというのは多分幸福なことなんだろう。尊敬してやまない人の顔が頭をよぎる。

「来月には転校よ」
「待って、私は東京に残りたい」
「ええ?」
「もう高校二年だよ、一人暮らししてる子だっているもん」
「何言ってるの。大変なことよ」
「でも!私は今の料理教室辞めたくない!いつも言ってるでしょ!教室の先生のようになりたいって!」

私が珍しく大声を上げたからか、お母さんは言葉を詰まらせてしまった。わがままなんかじゃないでしょ。お母さんだって私の夢を応援してくれてたでしょ。すると、お父さんが歩いてきて、穏やかな顔で言った。『置かれた場所で咲きなさい』。お父さんが好きな言葉だ。私はそれ以上何も言えなかった。その晩、部屋で一人静かに泣いた。家族のことは好きだし、転勤が決まったお父さんを恨んだりもしない。だけど、突然のことで気持ちを整理しきれなかった。

□□□

「え、八千代ちゃん引っ越すの?」
「父の転勤が決まったので」
「どこに行くの?」
「確か、兵庫って言ってました」
「関西かあ。そこそこ遠いね」

けど、老舗の料亭が沢山あるね。栗田先生が微笑んだ。栗田先生は私が通う料理教室の講師で、都内でも有名なレストランのオーナーシェフを長年続けている。中年よりも少し歳を召した、いわゆるダンディな人。共働きの両親の代わりに料理という家事を引き受けていただけだった私に、美味しいものを生み出すことの感動と、それを誰かに提供したいという夢を与えてくれた。

「私、ここ辞めたくなかったです」
「ははは。ありがとう。僕も、料理に対して熱い魂を持った八千代ちゃんが居なくなるの残念だな」

その言葉は嬉しかったけれど、私は俯いてしまった。栗田先生は私を調理台から少し離れたところにある、実食用の椅子に座らせた。

「それじゃあ、今日は八千代ちゃんの新たな船出をお祝いして僕が何か振舞っちゃおう」
「え?!そんな、先生はただでさえお忙しいのに悪いですよ!」
「八千代ちゃん。僕は今の八千代ちゃんみたいに悲しい顔をした人を笑顔にしたくて料理を作るんだよ」
「あ……」
「美味しいご馳走は人を笑顔にするよね」
「はい……」

どこに居たって変わらないよ。料理はどこでも作れる。誰もが求めてる。いつでも満たしてくれる。

先生が作ってくれたのは兵庫の郷土料理だった。優しくて、どこか懐かしい。私は気付けば笑顔になっていた。ああ、私も誰かを満たせる人になりたい。私が作った料理を食べて「美味しい」って笑ってくれる素敵な人は、きっと兵庫にもいる。

引越し当日、私は誇らしい気持ちで東京に別れを告げる。目指していたホテルや料亭を新幹線の中から眺めながら誓う。いつかきっと戻ります。


■■■


転校して初日のお昼休み。ぽつんと一人で席に座る私はお弁当を机に広げて少し憂鬱な気分になる。いつもの癖でお弁当を作り過ぎてしまったのだ。転校する前は、友達がみんなおかずを欲しがってくれてたから、お弁当は三人前分位の目安で作るのが日課だった。

今まだ友達も居なくて、これから先も出来るか分からない私にはもう、このお弁当箱は大きすぎるかな。兵庫に来てから初めて、少しだけ、心に寂しい風が吹いてしまった。できれば東京にずっと居たかったなあ。そしたら、料理教室もやめなくて済んだし、高校を卒業したら老舗料亭かホテルの有名な厨房に弟子入りできたのに。

ぱか、と開けた自信作のお弁当を見て「八千代のお弁当今日も最高!」と褒めてくれる人はもう居ない。虚しさに沈みそうになった時、ぐうううううと盛大にお腹の鳴る音がした。隣の人だ。ちらり、そちらを見ると、隣の席の男の子と目が合った。口の端からちょっと涎が垂れているような。

「すんげー弁当」
「えっ」

銀髪で、重めな瞼の奥で黒目がくりっとしていて、特徴的な眉毛の男の子。宮くんだ。申し訳ないけど下の名前はまだ覚えていない。きっと、彼は私の苗字も覚えていないと思う。だけどお弁当に興味を持ってくれたことが私はとても嬉しい。

「あ、ありがとう」
「君はほっそい体やのに、そんなでかい弁当一人で食うんか」
「いや、ちょっと作り過ぎちゃって。よかったら何か食べますか?」
「ええの?!」

ガタン!と椅子が倒れそうになるほど大きな声で立ち上がった宮くんは嬉しそうな顔をした。ああ、そういう顔がこの学校でも見れた。良かった。引っ越してきてから初めての安堵が広がる。宮くんは私が良いと言った途端、ガタガタと椅子を移動させて私を正面にして座った。正確には、私のお弁当を正面にして。

「どれでも好きなだけ食べて」
「まじで?今日なんの日なん?」
「なんの日でもないよ。私前の学校でいつも友達におかずあげてたから、その癖でつい作り過ぎちゃった」

まだ友達居ないのにね。喉から出かけた言葉を、くっと引き留めた。転校初日から陰気なことを言っている奴と思われるのは嫌だったから。けれど宮くんは、大して気にしていない様子でとにかく目を輝かせながらおかずを吟味している。

「まじでどれでもええ?」
「いいよ」
「全部一個ずつ食ってもええ?」
「どうぞどうぞ」
「君は神様やんな」
「ち、違いますね」

よっぽどお腹が空いていたのか、宮くんは私に手を合わせてから(拝まれた)お弁当の前でも「いただきます」と呟いて、黒い箸でその口に卵焼きを運んだ。そしてそのまま固まった。

「っ、」
「どっどうしたの?味はそんな悪くないと思うんだけど……」
「……うンまぁ」
「え?」
「白浜さんのオカン、料理上手やね」

あ、名前覚えてくれてたんだ。宮くんは目を見開いてもごもごと卵焼きを咀嚼している。

「これお母さんじゃなくて私が作ったんだよ」
「うっそホンマに」
「うん。料理は自信あるんだ」
「ほーん。めちゃめちゃすごいやん」

すごい。美味い。めちゃめちゃ美味い。次々とおかずを口に運んで咀嚼を続ける彼はもうそれしか言わなくなってしまった。こんなに喜んでもらえると、本当に嬉しくなる。私は自分の人生をかけて、たくさんの人のこの顔を見ながら生きていきたいと思っているから、正直今とても泣きそう。

「毎日作っとるん?」
「そうだね」
「もしや弁当以外も作るん?」
「うん、作るよ。うちは両親共働きだし、私は料理好きだからほぼ毎日作るかな」
「すんげぇ」

気付けば、もりもりとおかずを食べ続ける宮くんの胃袋は、三人前ほどあったお弁当の半分を吸い込んでしまった。食べっぷりがいいのは見ているこちらも気持ちよくなる。思わず笑みが込上げる。

「すまん、箸が止まらん」
「いいよいいよ。嬉しいから」
「こんな美味い弁当やったら、俺毎日食いたいわ」

その言葉に、私の心臓はとくんと跳ねる。料理のプロを目指す身としては、この上ない褒め言葉だ。私は嬉しくて嬉しくて、有頂天になってしまいそうな頭のまま呟く。

「よかったらお弁当、明日からも食べていいよ」
「えっ」
「あっ、よかったら、だけど」
「ええの?俺こんだけ食うけど」

半分以上無くなったお弁当を指さしながら宮くんはもぐもぐと食べるのを止めない。もしかしたら、今ある分じゃ足りないんだろうか。だとしても、それはそれで作りがいがある。

「私ね、東京にいた時は週一で料理教室に通って色々勉強してたんだけど、引っ越してから料理する機会が減っちゃってどうしようか考えてたんだ」
「料理教室?白浜さん、すんげえな」
「そっそんなすごくないよ。プロになろうとしてる子は毎日教室行ったり料亭でバイトしたりしてるから」
「ほーん」
「私や家族のためのご飯とかお弁当ばっかりだと、味が偏っちゃうから宮くんがもし良かったら……」

かちゃり、箸を置いた宮くんは自分を指さしながら「俺治」と言った。苗字で呼ぶことに抵抗があるのかと慌てると、彼は箸を持ち直して、鳥の唐揚げをつまんで頬張りながら言った。

「俺双子やねん。同級生に宮もう一人居るから、みんなフルネームか名前で呼んどる」
「そ、そうなんだ」
「やから、治」
「分かった。よろしくね、治くん」
「おん。ほんで、きみは千代ちゃん」
「へ……」
「くん付けしてくれるんなら、俺もちゃん付けたらな」
「あ、そういう?うん、分かった」
「よろしくおねがいします。飯」
「こ!こちらこそ!」

治くんは、私の名前も覚えていてくれた。明日からも、お弁当の量を減らさなくて済む。嬉しくて、嬉しすぎて「ありがとう」と零すと宮くんは不思議そうな顔で「それ俺の台詞な」と言った。
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