インターハイの悔しさはひとしおで、それまで懸命にボールを追いかけていた彼らにますます熱気を与えた。マネージャーである私だって、一応チームだと自覚しているから、その気持ちは痛いくらいに分かる。力になりたいし、お荷物になりたくない。こんなにも頑張っている彼らを支えてあげたい。ひとつでも多く勝って、笑ってほしい。
だからこそ、余計なことに時間を割いている暇なんかなくて。コートメンバーを筆頭に、全員が期末テストをパスして(中には強制的にみっちりしごかれた人も居る)、夏休み目前まで、走り込みによる体力づくり、自分達の弱みを分析、強化。駆け抜けるように、夏本番が到来する。それでも私たちはお構いなし。雨の日も、風の日も、うだるような暑さの夏合宿も。その熱は、とどまることを知らない。
梟谷グループ合同合宿、三日目。起床から、点呼、各々使用箇所の掃除と、これまで通りのルーティンをこなす朝。女子の宿泊階は男子とは別で、自分のところの部員とは昨夜のミーティング以来、顔を合わせていない。会うとすれば、朝食会場である食堂に向かう為の、この時間だろうけど。
「お、苗字。と、宮ノ下さん」
「ああ、夜久くんと海くん。おはよう」
「おはよ!」
「おはよう」
「はよ。二人は今から朝飯?」
「そうだよ。そっちはもう食べた?」
「おう。早めに食って、何人かで朝ランしてくる」
「えっ?!連日ゲームしてるのに、疲れてない?あんまり無理するとオーバーワーク……」
「心配ないよ。ジョギングみたいなもの。朝のうちは日差しも優しいし」
「ていうか、ほぼ一年の眠気覚ましだけどな」
「はあ、音駒は練習熱心だね。うちも見習わないと!」
英里が隣で腕組みをしながら、うんうんと頷く。確かに熱心かもしれないけど、私は正直心配になる。みんながどれほどの思いを持っているのか分かるからこそ、限界はきちんと見越してほしい。音駒には後先考えず突っ走るようなタイプは少ないから安心していたけど、春高までの残り時間、そんなことは言ってられないのかもしれない。
というのも、ここ最近は保護者役である三年が、とにかく燃えているのだ。側で見ている人間の意見としては、ハラハラしてしまうくらいに熱狂的。「苗字は今日も無理せず、よろしくな」と海くんに声をかけられ、頷けずにいると、夜久くんが「お前、今朝の顔色よくないからまじで無理すんな。疲れたら休んどけ」と念を押してくる。そんなの言われても、闘志に満ち満ちた君らを見てると、こっちだって頑張らないわけにはいかないのに。
じゃあ、と離れていった二人を見送りながら、食堂へまた歩みを進める。途中、英里がぽつり「名前の顔色分かる夜久くんって、ほんと音駒のお母さん」と言って笑った。お母さん、か。だよね、そういう意味で捉えたほうが自然だよね。私のことを見ていてくれているから、ではないんだよね。分かってる。それを少し、残念に思ってしまうのは、私のエゴだ。
「あらら。名前、不満げだねえ」
「えっ」
「夜久くん、お母さんじゃあダメ?ん?」
「な、何が言いたいのさ」
「名前は、ほんと分かりやすいなあ〜!」
「なにそれ?!そのにやけ顔、やめてくれる?」
「マネのみんな、名前の気持ちに気付いてるよん」
「……?!」
英里は、私の気持ちを知らないはずなのに、いたいところを突いてくる。マネージャーの枠を超えて抱えた想いは、誰にも言ったことないのに。
「せっかくの合宿だし、告白したらいいじゃん?みんなお似合いって言ってるよ。夜久くんの士気が爆上がりするかもだしさ!」
「なに言ってんの?!そんなのしない!ていうか噂しないでよ、恥ずかしいな!」
「やっぱり夜久くんが好きなんだね?!」
「ゆ、誘導尋問だあ……!もう……夜久くんには黙っててね?」
「それは勿論!マネ間の守秘義務、重大機密ね」
「そんな仰々しいものではないけども……」
そんなふうに話しているうち、食堂へと辿り着いて、朝食準備当番のマネちゃん達と顔を合わせ、挨拶を交わす。片付け当番である私たちに「よろしくね」と声をかけてきた潔子ちゃんに返事をする。横から英里がさっきの件について、ぐふふとやらしい笑いをこぼしながら告げ口しようとするので、その首根っこを掴んだ。守秘義務はどうしたの、重大機密。「マネ間の情報共有、大事〜!」と喚くので、その口に配膳係から受け取ったばかりのミニトマトを入れてあげた。彼女を沈黙させ、潔子ちゃんの訝しみつつ興味ありげな顔を躱して。私はお皿達の乗ったトレーを持ち、英里を連れてテーブル席についた。
私は言わない。夜久くんが好きという感情は、この熱い熱い夏合宿には、お荷物でしかないと思っているから。彼がバレーに真摯であるうちは、言わない、いや、言えないだろうなって。折り合いをつけている。つもり。選手としてバレーをやっていた中学時代、彼はあんまりにもかっこよくて、ずっと想いを寄せていた。まさか高校でクラスメイトとして再会できるなんて思わなかったけど、嬉しかった。今も密やかに焦がれている。そんな私の気持ちは多分、今バレーでいっぱいな夜久くんには重すぎるから。
「でも、こんなにバレバレだと夜久くんも実は気が付いてるんじゃない?ハッ!だからあんな言葉かけたのかも!これはラブラブ一大事!」
「無い無い。夜久くん、激ニブだから」
「ええ〜そうなの?」
「そうそう。それより早く食べちゃお。片付け遅れると後々のスケジュール押しちゃう」
「はーい」
――――
「ぶえっくしゅ!」
「どうした夜久、風邪か?」
「おいおい大事な時期ダヨ?体調管理頼むよ夜久パイセン」
「バカは夏風邪引くって聞いたことあります!」
「うるっせえな!!リエーフてめえは今日居残りレシーブ練な」
「ほがあ!なんでぇ!」
「「(自業自得)」」
――――
*
「ラスト、一本!」
黒尾くんが、いつになく声を張る。普段、気迫の類を悟らせない彼だけど、この合宿は熱の入り方が違う。コートの外では「苗字はもうちょい適当にサボんなさいよ」なんて余裕綽々で笑っているのに、ボールを追う姿は鬼気迫る。中と外じゃまるで別人だ。海くんは、春高が最後ってことをきっちり理解しているようで、次代へ残そうとする意志が強く見える。コートの外に居ると、時折彼らの感情が透けて見える時がある。漲るオーラが熱くて、こちらまで感化される。やっぱり、みんな夏の日差しに当てられているところがあるのかも。そしてそれは当然、夜久くんも例外でない。さっきからボールを一度も落とすことなく、拾って、構えて、また拾う。かっこいいんだ。どうしようもなく、眩しい。頼もしい。
そんな彼、今日は一段と熱いのか、勇ましい姿が、蜃気楼のように揺らめく。しっかりこの目に焼き付けたいのに、勿体ない。
「おーい、苗字?」
「――んあ、はい。あれ、夜久くん、さっきまで試合……」
「俺ら休憩入ったろ。お前、いつもみたいにドリンク運んでこないから、みんな心配してる。バテたなら休めよ。ドリンクは俺が持ってくから」
まるい瞳が、ずいと覗き込んできて、私の状態を探ってくる。どき、と不覚にもときめいてしまうけれど、こんなところでラブロマンスしている場合じゃない。みんなあんなに頑張ってる。私だって、負けてられない。夜久くんが持ち上げてくれたホルダーをその手から奪って、明るく振る舞う。
「大丈夫。大丈夫、このくらい。ちょっとぼーっとしちゃっただけ。ごめんね」
「おい、苗字」
「私より夜久くんのほうがと水分とって、休憩して」
「けど」
「ありがとう!大丈夫だよ!今ドリンク運ぶから、」
「おい、やっぱりお前フラフラしてっから……!」
普段は、重さなんか感じないドリンクホルダー。それを持って、夜久くんと並んで音駒のみんなの元へ駆けていくビジョン。が、頭の中にはあったのに。
私の手からはホルダーが滑り落ちて、体育館に大きな音が響く。じわじわと、視界にモヤがかかって。ぐるぐる、してんのかな。わかんないや。けど、体だるい。喉こんなに渇いてたっけ。あたま、痛い。疲れなんか残しているつもりなかったのに。毎日ストレッチして、みんなが消灯して寝たのを確認して、ノートに音駒の対戦記録をまとめて。どうしたらみんなが強くなれるのかだけ、ひたすら考えて。ただそれだけなのに。私は彼らのように頑張ってないのに。体動かせなくなるのは、情けないよ。それでも指先、足先まで力は入らなくて。誰かに肩を抱かれて、静かに宙に浮く感覚。私のことを呼ぶ声と、駆けてくる足音。それから、覗き込んでくれる夜久くんが、見えた。
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