Vリーグのチームに加入してから、あっという間に二年が過ぎた。今日の長野県は晴天。絶好のピクニック日和だとお天気お姉さんは言っていた。まあ俺はオフじゃねえし、そもそもピクニックとか好きじゃねえし。関係ないと言えばない。お姉さんが可愛いから見ただけ。
今日はEJP RIZINファンに向けた感謝イベントを開催する日らしい。他人事のように言うけど、全然他人事ではない。面倒くさい。とはいえ、巷では“ファン感ゲーム”と呼ばれるエキシビションマッチに駆り出されるのは、プロ三年目である俺や古森の運命だ。もう少し大御所になればその日の気分で拒否権が行使できるんだろう。疲れるから運命には基本的に抗わない主義だけど、時には駄々も捏ねてみたくなる。
「ええー......握手会?」
「角名!ええって言わない!」
ビシッ!と古森が俺に人差し指を向ける。指さすな。不機嫌な声に聞こえたのか、古森は「ごめん!」と軽々しく謝ってから肩を組んできた。古森ってパーソナルスペースが異常に狭くて、とにかく距離近いんだよなあ。嫌がるほど俺は潔癖じゃないから何も言わないけど。
「古森は握手会好きなの?」
「嫌いじゃないよ!ファンの人が直接声掛けてくれるの嬉しい」
「へえ」
「角名だって初めての握手会の時、めちゃくちゃ慣れた感じで捌いてたじゃんか」
「あれはその場のノリ」
「今回もそれでいいって。角名選手、結構モテモテだしさあ」
「ガチ告白されたのは古森のほうでしょ」
「うわっあれ見てたの?!」
なんでもない会話。古森と俺はいつもこんな感じだ。だけど、握手会はなんでもなくない。できれば欠席したい。人が嫌いとかじゃなく、気ぃ遣うじゃん。「ありがとお」って言ってあげるのはいいけど、次の握手会で彼女気取りで「倫くんお待たせ!」って話しかけてくる奴が二、三人必ず居る。いや別に待ってねえ……って顔に出すわけにもいかないし、まして口に出すなんて出来ない。
だからそんな言葉に対してもついうっかり“待ちくたびれたよ。寂しかった”なんて言ってしまう。サービスっつうより、口から零れるってレベル。俺、博愛主義だから。愛してくれるならそっちのほうが憎まれるより断然いいし。そのせいで、俺には変な厨が一番多くついているとVリーグ界隈で話題になっている。古森へのガチ惚れ女子は大概本気だから、それはそれで面倒くさいだろうけど。
「まあ、今回は一日だけだしさ!次は早くても半年後くらいだろ。頑張ろうぜ!」
「あー……」
「角名なんだから余裕だって!」
「い゙っ!」
バァン!と背中を叩いてくる古森の手は元々OHなだけあって破壊力がある。リベロに転向したせいで力加減が狂ってるにしても、遠慮して欲しい。お互い大事なプレイヤーなんだしさ。
なんだかんだ、俺はEJP RIZINのチームが気に入っている。稲荷崎も確かに居心地は良かった。けど、高校生とそれ以上とじゃ付随してくる自由度が全然違うから。こっちの大学通いながら成人して、酒が飲めるようになって、ふらりと飲み会に出掛けられる毎日が俺は楽しい。好きな時に地元に戻ったり、たまに東京出てみたり。稲荷崎に帰って、飯屋の開業に躍起になる治の腕前を披露してもらうだとか、あの北さん手製の米と野菜を振舞ってもらうだとか。大人はとにかく自分がやりたいことをやれるから楽しい。だから、目の前まで差し迫る『やりたくない事』を避けたくなる心理は、至極自然だと俺は思うわけ。握手会の時間だけ、俺UFOに攫われたりしねえかな。そんで終わったら何事もなく帰される的な、ご都合展開期待してんだけどな。
*・*・*
期待したようなミラクルは、当然起きるはずもなく。エキシビションマッチを終えた俺達は横一線に並ばされて、EJPファン達はずらりと前方に列を生した。「有難いよな」と鷲尾さんは言うけど、それ本気で思ってんすか。鷲尾さんはいいよ。コワモテ且つ実直キャラ(キャラではなく本当に真面目だけども)だからふざけたことを言ってくるファンがほぼ居ない。ちょっとくらい弄られればいいのに。そう、例えば『鷲尾さんってお笑い好きですか?ちょっと一発ギャグするんで感想もらってもいいですか?』とか言われればいい。日頃から練習内のゲームでブロックかまされてる鬱憤もあるし、たまには焦ってほしい。ってこれじゃただの私怨だわ。
「それでは〜!本日はいつも応援してくださるファンの皆様に感謝の気持ちを込めまして〜!ただいまより、EJP RIZINの選手達との握手会を始めさせていただきたいと思います〜!」
ハツラツとしたアナウンスが鳴り響いた。ファンの人達の拍手で会場の雰囲気が一気に高まる。うわあ、始まる。この瞬間好きじゃねえわ。面倒だけど適当にこなすしかない。少し離れた右隣に居る古森をちらりと見やる。めちゃめちゃ楽しそうにしてんじゃん。
「すっ角名選手!今日もスパイクかっこよかったです!」
早くも俺の前に中学生くらいの女の子が来ていた。随分緊張している様子だ。初めて参加するのか、握手会だというのにその手は差し出されない。褒められて、反射的にお礼の言葉を告げる。
「……っああ、ありがとお」
「次も絶対また見に来るんで、頑張ってください!そ、それじゃ」
「ねえ。待って」
「ひえっ」
「握手会だよ。ちゃんと握手して帰りなよ。次の選手達とも」
手を出してあげると、女の子は控えめに、それでも嬉しそうにきゅっと手を握ってくれた。その手はすぐに離れて、ぺこりと頭を下げられた。ああいう子はいじらしくて可愛いと思う。
「倫く〜ん!やあっと握手会の季節だねえ!すっごい楽しみにしてた〜!」
「……ああ、ありがと」
「あたしだよ!えっもしかして忘れたあ?!」
出た。さっきの控えめな女の子との落差が激しすぎて思わず顔がひくついてしまう。けどこの子は確か面倒くさいタイプの女子だった。出待ちとかされたことあるわ。プロ1年目でロックオンされてから、地元の子じゃないらしいのに、大学から近いコンビニに居た時は背筋がゾワッとしたっけ。それでも、この場はやり過ごすべきだから。なんとかして名前を思い出す。
「……メグちゃん、だっけ?」
「や〜〜ん嬉しい〜〜!!ちゃんと覚えてくれんの倫くんだけなんだけど〜〜!!」
えっまじかよ。必死こいて記憶を掘り起こした俺ってめちゃくちゃサービス精神旺盛だった?古森だってちゃんと名前覚えてんじゃん。ぎゅうぎゅうと握られる手に長いつけ爪が刺さって痛てえ。ネイルは可愛いかもしんないけど、やり過ぎだろ。なんでも程々が一番可愛いって言ってやりたい。言わないけど。
それからは、なんとなく自分が頑張り過ぎていたのかと気が抜けたから少しギアを落とした。何人もの握手は記憶に残らないくらいの対応をした。けど、不思議と罪悪感は生まれなかった。相手が全員嬉しそうに帰っていくから。ギアを落としても、俺やEJPメンバーのことを好きで握手しに来てくれてるんだから、何かしらのエフェクトでもかかっているんだろう。なんだ。少し肩肘張ってたのがアホらしいかも。
次の女の子が目の前に来たものの、俺は顔を見ているふりをしてまるで見ていない。適当に手を出してお礼を言おうとすると、ガッと粗雑に手を掴まれた。
「す〜な選手!今日も随分塩顔やなあ!」
「は?」
一朝一夕で人の顔は変わんないだろ。えらく失礼な関西女が来たもんだ、と何人かぶりに相手の顔に焦点を合わせる。そいつは、なんとなく見覚えのある顔で。「ひっさしぶりやねぇ。倫太郎」とニカッと笑われると、彼女が稲荷崎時代のマネージャーだという記憶の蓋が勢いよく開いた。
「名前?」
「そうやあ。親友の顔忘れたとは言わせへんよ」
「親友って誰のことだか分かんないけど、うわ。まじか、卒業以来じゃん。来てんなら連絡しろよ」
「吃驚させたかったもん!」
カラカラと笑う彼女は、バレー部のメンバーとしてだいぶ仲良くしてきた人間のひとりだ。懐かしさ故なのか、我ながらテンションが上がるのを実感した。
「どや?吃驚した?」
「したした」
「表情変わんなすぎてつまらんわあ!」
「名前は随分派手なメイク覚えたね。正直誰だか分かんなかった」
「冗談言わんといて〜どう見てもナチュラルメイクやんかあ!」
あー。なんか懐かしー。名前は昔からサバサバしてて付き合いやすかったけど、今でも変わりなくて少し時間が巻き戻った気分になる。てか、名前の私服って初めて見たかも。いつもジャージか制服だったし。休日に出掛けるような関係性ではなかったから。こいつ、こんな胸元開いた服着てんの。鎖骨エッロ……
「倫太郎?なにボーッとしとんの。そろそろ手ぇ離してよ」
「は、」
「ファンに私情でお触りするなんて不潔ゥ。角名選手の熱愛スキャンダルもそう遠くないうちに世間に出回ってまうな」
「クッソ煽りまくるじゃん。イベント終わったら覚えときなよ」
「私もう帰るけど」
「は?まじ?」
「まじ。倫太郎に会いに来ただけやもん。じゃあ、またどこかでね」
ぺり、と音を立てるように剥がれていった名前の感触がじんわりと手に残った。次に来てくれた幼女、その次のオヤジ、次の美人なお姉さん。大勢のファンと握手した後も、名前の熱だけが残っている気がして思わず頭をかいた。久しぶりに会ったせいなのか、郷愁に近い感情がゆらゆらと思考を霞ませる。
ボーッとしながらしばらく握手会を続けていたら、いつの間にかイベント終了のアナウンスが流れた。先輩達が先に退出して、ぞろぞろと後に続く。古森が肩を組んで「楽しかったな!」と言うから、思わずそうかもと言ってしまった。
「そういや苗字来てたな」
「ん?ああ、そうだね。古森知り合いだっけ」
「まあ仲良くしてもらってるみたいな感じ。この後飲みに行くんだよね」
「は」
「握手した時にさあ、佐久早と宮の話でだいぶ盛り上がってもうちょい話そうってなった」
いやいやいや。なんだそれ。なんで俺には「またどこかでね」だったのに、古森とは「もうちょい話そう」なんだよ。人のこと親友呼ばわりしといて、自分は他の男と待ち合わせですか。嫉妬?などというような分かりやすい感情ではない気がするけど部類としてはまあそうかもしれない。
「古森って名前に気があんの?」
「え?ないない!そういうんじゃない!あれ、もしかして角名……」
「ないない。そういうんじゃない」
「でもさあ、気にするってことはちょっとは」
「まあ、シンユウだからさ。俺とあいつ」
「そうなの?初耳〜」
古森がケラケラと笑う。それから「なら角名も行こうよ。三人で飲も」と誘ってきた。まあ古森の性格ならそう言うだろうとは思っていた。別にこれを求めたわけじゃあない。特別、名前に会いたいって程でもないけど、俺は行くと答えた。俺に残っていたのは名前の手の温度と、エロい鎖骨の残像だったから。ただの友達もとい親友とはいえ、また拝みたくなったんだと思う。
*・*・*
「あれ?倫太郎やん」
「またどこかで出会ったね、名前」
「なんやあ。せっかく古森くんと二人きりやと思ったのに」
「苗字そういうのやめて〜!俺が角名に酷い目に遭わされる〜!」
「別に何もしないし」
「そうやあ。倫太郎と私は親友やもんなあ」
「……はは」
「乾いた笑いやめてえや!」
「ぷっ!まじで二人って仲良いのな!」
日が暮れた街を三人で騒ぎながら並んで歩いて、適当な個室居酒屋に入る。全員ビールで乾杯すると、小ぢんまりとした同級会が始まった。アルコールが入った状態で高校生のノリを彷彿とさせるネタが次々と飛び出す。終始笑いを絶やさない二人につられて、自分もなんとなく笑ってしまった。
「角名、今日めっちゃ笑うじゃん」
「なにそれ。俺いつもにこやかでしょ」
「倫太郎は塩やん」
「おい」
「可愛い苗字が隣に居るからテンション上がってんだろ!」
「やだも〜!古森くんてば上手やねえ!」
「本当に天然タラシってやつだよね、古森」
「倫太郎も人のこと言えんやろ」
「そうだそうだ〜!」
「人のこと塩って言ったくせになんだよ」
「それは顔の味の話」
「顔に味ってあんの?」
「古森くんは醤油か砂糖やと思う〜砂糖醤油?」
「あまじょっぱい!」
「甘塩っぱい」
相当くだらない話で何時間も盛り上がっている自覚がある。いい歳して、終電逃しながら何次会もハシゴする大人の気持ちが今なら分かる。何杯もアルコールを煽って、陽気な友達が会話を回して、隣にはエロい鎖骨を晒した元マネージャーの女子が居る。頬を赤らめて、とろんとした瞳でシャンディガフの入ったジョッキを両手で包んでいるその姿が妙にヤラシイ。友達でしかないはずなのに、なんとなく触りたくなる。これも、酔っているせいだろうか。
「倫太郎、さっきからジロジロ見てなぁに?」
「……別に?」
「苗字気をつけろよ〜。角名結構酔ってるし、さっきからお前の胸元ばっか見てんぞ」
「あー。倫太郎、私の成長にようやっと気付いたんやね!そうよ、私二つもカップ数上がってん!」
「オッホ、聞いちゃいねえ情報どうも」
「苗字もだいぶ酔ってんな〜。あんま無理すんなよ?何カップ?」
「古森もめちゃくちゃ酔ってんな」
「Eカップ!」
「まじ?!ごめん着痩せしてる全ッ然見えない」
「古森くんひどいわあ!触ってみる?」
「それはやばいだろ!角名、苗字のこと止めてあげて!」
「俺が確かめてあげる」
「角名ー!!」
「倫太郎にはあかん!」
「は?」
誰かに聞かれたら完全にアウトなネタを話している頃には、もう0時前になっていた。終電とかの話じゃない。ラストオーダーの声を掛けられてから、少しずつ落ち着き始めた俺達は、名前が今晩どうするのかという話になった。
古森と俺は寮に住んでいるから泊めてやろうにも難しい。すると、名前が一人でホテルを探すと言ったので俺達はそこまでついて行くことにして、居酒屋をそそくさと立ち去った。1軒目は駅前のチェーン系ホテル。金曜夜の今晩、予想はしていたが空きは無し。2軒目も同様で、3軒目は予算が高すぎて却下された。
「んー、どうする?このままオールする?」
「アスリートにそんな真似させられへんよ」
「誰だってたまにはオールナイトするでしょ。ねえ角名」
「古森はしょっちゅうするよな」
「そんな頻繁ではない!」
「ええわ。この際あのラブホにでも泊まる。ここまで送ってくれてありがとお」
へらりと笑った名前は、向こうに見えるネオン看板の付いた建物を指さした。古森と俺は顔を見合わせて、女ひとりじゃ危ないだろと引き留めたけど、じゃあ寝床はどうするんだという話に逆戻り。時間はどんどん更けていって、辺りは治安の悪さが目立つようになってきた。うるさいバイクやスポーツカーのエンジン音に、泥酔したおじさんや俺達のような若者の喧騒。こんな中で、酔っ払った名前をラブホテルに放り込める訳がなかった。
「分かった。俺、苗字と一緒にホテル泊まるわ」
「え?」
「何言っとんの!ええよ古森くん!そんなん、悪いわ……」
「元はと言えば俺が飲みに誘ったわけだし、危ない目に遭ったら申し訳ない」
古森の顔は真面目そのもので、下心があるようには見えない。本気で責任を感じているんだろう。名前は眉尻を下げて困った顔をした。古森のことは嫌いじゃないけど、一緒に夜を過ごすには緊張してしまう相手。そんな気持ちが込められた瞳を、ちらりと向けられた気がした。その目配せは狡いだろ。俺の口からは自然と言葉がこぼれた。
「いいよ古森。お前彼女居んじゃん」
「それは関係ないって。説明すれば分かってくれるし」
「俺が名前と泊まるから大丈夫」
「倫太郎……」
ほっとしたような声を出した名前は、多分心底俺のことを信頼しているんだろう。信頼っつうか、男として見てないのかもしんない。俺もそんなに意識したことないし、一晩一緒に過ごす相手としては丁度いいだろ。
俺の様子を見てから、古森はじゃあ頼んだと案外あっさりと身を引いた。本当は自分の彼女に悪いと思っていたんだろう。優しすぎんだよな、古森は。世話焼きというかお人好しというか。そういうところに、俺も助けられてるけど。
古森はホテルの前でタクシーを捕まえて、寮へと帰って行った。いや、もしかしたら彼女の元へ行ったのかもしんない。結構酔ってたし。
「倫太郎、ごめんなあ」
「別にいいよ。名前だし」
「どういう意味なん?」
「なんの間違いも起きないってこと」
「あっそ!」
ぷう、と頬を膨らませた名前はラブホテルにさっさと足を進めてしまった。そんな堂々と入るような場所じゃねえだろ。自分のことを女としての魅力が無いと言われたと思ったらしく「どうせ色気無しは一生変わんないですう」と、舌を出して見せた。そんな事言ってない。鎖骨エロいと思ってたし。ふと、色気無しというのは高校時代に俺が名前に向かって言った台詞だったなと思い出した。よくもまあいつまでも根に持つ。女って怖ぇ。
空いていた部屋に入るなり、名前は有料ジュースのドアを開けて缶チューハイを取り出した。まだ飲む気か。と言いつつ、俺もアルコールを一本取り出して、結局また二人で乾杯した。よく飲むね、と冷やかし混じりに言えば名前は「だって」と、口を尖らせた。
「また倫太郎と飲めるとも限らんやんかあ」
「なんで?普通に誘えばいいじゃん」
「ええー?そんなん言うて倫太郎、ぽっと彼女作って妊娠さして結婚したりするやろ。簡単に誘えなくなってまうわ」
「相変わらず本当に失礼だな。どういうイメージ持ってるわけ。俺はちゃんと避妊するし」
「ほんまぁ?」
「なんだよその信用してない顔。なら試してみる?」
「え」
しん。と沈黙に包まれた部屋で、勢い任せに言いすぎてやらかしたと実感する。さすがに際どすぎた発言だったかもしんない。見ろよ、名前のこの表情。眉間に皺寄せちゃって。ちょっとは顔赤くするとか照れるとかしろよ。脈ナシ過ぎんじゃん。今の無し、とリカバリーを加える前に、名前がぼそりと呟いた。
「嫌やわ」
「……分かってるよ。冗談に決まってんじゃん」
「私、倫太郎とは真剣に付き合いたい」
は?
言葉に詰まりながら、頭ではハテナが幾つも浮かんだ。どういう意味。さっきまで全然なんとも思ってませんみたいな雰囲気だったくせに突然なんなの。柄にもなく心臓がバクバクと跳ねる。悟られたくない。必死に平静を装っていると、名前がごにょごにょと控えめに続ける。
「い、勢いで……えっ、 ちなことして、気まずくなるの嫌やもん。ちゃんと、デートしたり手ぇ繋いだりしてから、ひとつずつ経験したい」
「待って。それ、どういう意味か分かってんの?ていうか、そういう目で俺のこと見てたの。お前が?俺を?」
「正直、高校時代はそうでも無かったと思う。やけど今日久しぶりに会うて、倫太郎めっちゃかっこよくなったなあとか思っちゃって……」
「っ、」
「だっ、抱かれるのは別に構わんのやけど……!今ここでワンナイトラブにしてしまうのすごく嫌や。せっかく今まで頑張って良い関係築いてきたんやもん。勢いで壊したないよ」
真っ赤な顔をして、なんかものすごいことを口走っている元稲荷崎マネージャーはもう俺の知る少女ではなかった。彼女はもう仲の良い女友達じゃなく、俺に恋をするひとりの女性で、俺が惹かれる相手になってしまった。寂しいような、苦しいような。このもどかしさは、なんて言えばいいのか分かんねえ。
「名前って俺のこと好きなの?」
「えっ……」
ひどく意地の悪いことを言ってんなあ、と自分を傍観した。案の定、名前はとても焦った顔をしてしまった。ひとしきり目を泳がせた後に、俺を真っ直ぐ見つめて「好き、かも」と紡いだ。かもって。それを聞いて思わず笑ってしまった。
「ふは」
「わっ笑わんといて!」
「だってすごい告白された気がしたのに結局曖昧じゃん」
「っああ、好き!倫太郎が好きよ!」
「分かったってば。俺も多分すぐ好きになる。鎖骨エロいし」
「は?!なにそれ?!」
「まあいいじゃん。じゃあ名前の言う順序としては何すればいいの?昼間は握手したでしょ。キスはまだ?」
「まっまだやわ!!そうやな……は、ハグとかかな」
「中学生かよ」
「笑わんで!私達のペースがちゃんとあんねん!」
「ああ、はいはい。しばらくは順序通りにこなしてあげるよ」
“多分すぐ好きになる”。なんて、随分と嘘をついたもんだ。再会したあの瞬間に、もうとっくに好きになっていたのに。
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