彼を描く


「君のことが描きたい」

 突然な申し出を彼はどう思っただろうか。いつも眠たそうな表情は今も変わらず、ただじっとオレを見上げるだけだ。
 お互い目を逸らさず、静かに時間ばかりが過ぎていく。屋上でひとり、彼がお昼を食べていたところに突撃したから、日の光がオレの背中をじりじりと焼く。

「いいぜ」

 沈黙を破ったのは彼だった。飲みかけになっていた紙パックの牛乳をずるずるとすすって、ゴミがまとめられた袋を片手に、立ち上がると背伸びをする。
 そうしてひとり歩きだし、扉を潜る所で振り向いた。彼の答えが理解できず立ち尽くしていたオレは、はっと我に返る。

 まさか、彼が申し出を受けてくれるとは思ってもみなかった。こんなに簡単に了解してくれるのならば、もっと早くに頼んでみれば良かった。
 これまで彼を盗み見てはスケッチブックを埋めていたが、今のオレは正面切って描くことが出来るのだ。

 先に立って行ってしまおうとする彼に慌てて追い付き、美術室までの道を先導する。
 授業?そんなのどうでも良い。今のオレが何としても優先すべきなのは、彼を描くということだ。


 今日の午後はもう美術室を使用するクラスは無く、美術部もオレ以外は幽霊部員だが、一応内側から鍵をかけた。彼との時間を、誰にも邪魔されたくない。
 かちゃりという軽い音に息を吐き、後ろを振り返ったオレは、おもむろに服を脱ぎはじめていた彼に目玉が飛び出るかと思った。

「ちょ、なんで脱いでるの?!」
「モデルって脱ぐもんじゃねえの」
「いやっ大丈夫だから!君は、脱がないで」

 ふぅんとつまらなさそうに呟いた彼は、しかし制服を着直そうとはしなかった。元々そんなにちゃんと着ているわけではない服を肌蹴させて、丸椅子にドカリと座る。
 彼の気が変わらないうちに、急いで彼の出来るだけを画面のうちにおさめてしまいたい。そう思ってスケッチブックを広げ鉛筆を手に取り、彼の肢体を観察する。
 彼の美しさを残すために試行錯誤を繰り返しては手を動かし、ついでに尋ねてみようか、と思う。

「聞いても良いかな。どうして、描かせてくれるの?」
「さあ、なんでだろうな」

 彼は目を細めて、笑ってくれるのかと思ったら欠伸をひとつしただけだった。
 答えてくれなくても構わなかったけれど、やはりはぐらかされてしまうのか。もしも気が向いていたら、答えてくれたのだろうか。

 一匹狼と呼ばれる彼は、ひとり気まぐれに生きているように見えた。
 だから、出会いは絡まれているオレを彼が助けてくれたからだったけれど、彼には助けたなんて意識は微塵もなかったに違いない。オレのことなんて、記憶していないのだろう。

 ただ気まぐれに、なんとなく目に付いた不良たちを殴って、その結果として意図せず俺を助けることになった、多分それだけ。
 それだけだろうと、オレは彼に心底惚れてしまった。何の会話も無かったけれど、オレには一瞥もくれなかったけれど、彼の姿に心を奪われてしまった。

 オレと同じ、だけど随分と着崩した制服を身に纏って颯爽と現れた彼が、次々と不良たちを殴り飛ばしていく。一対多数だというのに、その手並みのなんと鮮やかなことか。
 抵抗して手を痛め、作品を仕上げられないよりはマシ。財布を献上することもやむなしと思い込んでいたオレは何が起こったのか、にわかには理解できずにいた。

 人が殴られるにぶい音や呻き声を背景に疑問符ばかりが頭を巡り、けれど彼の顔を見た時にすべての雑音が意識から消える。
 彼は笑っていた。人に暴力をふるうなんて忌むべき行為なのにとても楽しそうで、その凄絶な美しさに、オレは見惚れてしまったのだ。

 その後、気付いた時には彼も不良たちもどこかへ消えてしまっていたが、彼の着ていた制服がオレと同じものだという事だけはちゃんと覚えていた。
 翌日から、同じ学校に通っている彼を眺めその生き方を描きとめるのがオレの日課となり、それは今にも続いている。

 彼はいつもひとりだった。喧嘩を得意とすることは周知の事実で、一般生徒からは遠巻きにされている。けれどそれを気にする様子もなく、臆さず堂々と歩いていた。
 近付きがたいけれど、気高く凛々しい獣というのがその姿から受ける印象だった。そんな彼にあこがれる人間はどれほどいるのだろう。
 ……オレもきっと、そんな大勢のうちの一人に含まれている。彼にひたすら焦がれるただの一般人で、だから彼を描きたいと思ってしまう。

「おい」
「っえ、な、何かな?」

 呼びかけに、自分が筆を動かす手を止めていたことに気付いた。彼を見つめたまま、意識を飛ばしていたらしい。
 彼を前にしているのになんて馬鹿なことを、いや考えていたのは彼の事だけれど。慌てる俺を、彼は静かに眺めている。

 そうして椅子を離れた彼はゆっくりと歩いてきて、呆れられてしまったのだろうか。まだまだ、もっと彼を描きたいのに。
 目の前で立ち止まった彼はオレの手からスケッチブックと鉛筆を取り上げると、近くにあった机へ放り投げた。腰をかがめてオレと目を合わせる。綺麗な色だ。

「目がやらしいんだよ、お前。俺を見るとき」
「……え」
「俺のことどう思ってるかバレバレ」

 そう言って、彼は今度こそ笑った。喧嘩をしている時くらいしか笑う所を見たことがないのに、そんな彼が笑っている。思わずアホ面をさらしてしまい、そうしてその口元へ惹きつけられるように、唇を寄せる。
 オレがどんな目をしているか知らないが、彼の方がよっぽど、やらしい顔で笑うと思う。



おわり



《prev back next》


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -