▼ 52 もう誰も
その強大過ぎる力からエウレカに封印された武器。それらを手に入れるために必要な鍵。ウネが言っていたシルクスの塔…クリスタルタワーの中に、エウレカへの扉がある。そこへ向かうにはまず、古代の民が創り上げた迷宮を越えなければならない。長く、過酷な道中になりそうだ。
調べたところによると、この世界には召喚獣と呼ばれる、ある種の魔法が存在するらしい。簡単なものではチョコボを喚び出したり、高位なものでは竜王バハムート、聖蛇リバイアサン、剣神オーディンといった召喚獣を喚び出す事も出来るという。
ただし当然ながら簡単には力を貸してくれず、己が認めた者にしか召喚のオーブを授けてはくれない。それを知った五人は、少しでも勝機を見出すためにと一時進路を変更した。
オーディンは海中からしか入る事の出来ないサロニア城地下、リバイアサンは浮遊大陸にあるドール湖でそれぞれと間見え、そして。以前デッシュと出会った直後に襲ってきたドラゴン、その神獣こそがバハムートだったと知り驚愕と同時に納得した。あの時に感じた身を震わせるほどの、とてつもない力。それを味方に出来るのなら非常に心強い。
絶大な力に圧倒されかけたが、なんとかそれぞれの召喚獣に光を示し、その力と契約出来た時。本当に、強くなったのだと実感した。特にバハムートは初めて遭遇した時、戦っても勝ち目は全く無いと思った相手だ。あの時に挑んでいたら、確実にこちらがやられていただろう。もしもまたデッシュと再会出来たのなら、あの時のドラゴンを倒して召喚契約したと自慢してやりたいと思う。
そして。侵入者を拒むように並び立つ古代の像を四本の牙で一つずつ破壊した先にあったのは、古代の民が造ったとされる迷宮。その中心には四方を迷宮に囲われるように聳え立つ美しき塔、クリスタルタワー。急いては事を仕損じると、今日は休息を取る事に決定しインビンシブルへ戻ったその夜、ユウリはキャミソールワンピース型の寝間着に身を包み、ルーネスの部屋を訪れた。インビンシブルの内部はとても広い作りで、ここでも一人にひとつ部屋を割り当てられたのだ。
どういった仕組みなのかは理解出来ないが、アイテムや魔法の販売機も備わっている上に所持品を預かってくれるデブチョコボまで喚び出せるのだから、昼間の侵入者を感知して攻撃する像といいこの戦艦の設備といい浮遊大陸の原理といい、古代人の技術と発想は本当に凄いの一言に尽きる。
「ルーネス、起きてる?」
「起きてるよ。今開ける」
控えめなノックと共に掛けた言葉に、すぐ応答があった。開かれた扉の向こうに見えたルーネスはいつもと変わらず中に入るよう促すが、無駄な肉が付いていない引き締まった上半身があらわになった姿に思わず目を逸らした。
「なんで裸なの…!」
「あ、ごめん。風呂上がったばかりで暑かったから…って下は履いてるし、何回も見てるだろ?」
「そ、そうだけど!そうじゃなくてね!?もしここに居るのが私じゃなくてレフィアだったら怒られていたと思うよ…!」
「あー…確かにそうだな、殴られてたかも。気を付けるよ」
ルーネスは苦笑を浮かべながらユウリが部屋に入った事を確認すると、扉を閉めベッドに腰掛けた。それにユウリも続き、隣へ腰を下ろす。
「で、どうした?」
いつものように髪を撫でられ、心地好さに目を細め…ふと、彼の脇腹に視線が行った。治癒したとはいえ、ドーガの強力な魔法を受けてしまったのだ。咄嗟に身を捩ったお陰か真っ向からの直撃は免れたのにも関わらずあの衝撃と出血。一体どれほどの痛みだったのだろうか。
伸ばした指先でそこに触れてみれば、なんだよ、と擽ったそうにやんわりと手を掴まれる。
「…あの時、」
「うん?」
「すごく、怖かった…私を庇ってくれたルーネスが怪我をして、血が沢山出て…立っていられなくなるくらい、痛かったでしょう?」
「っ、…」
伏せられた視線の先、傷跡も残っていないそこを見ながら零された、震える声。なんてことは無い、と笑って答えようとしたルーネスはそれに気付き、思わず言葉を詰まらせた。
経験した事のない灼けるような痛みを感じたのは事実。どくどくと血が流れ出て、意識が薄らぎそうになったのも事実。なんてことは無い、わけがなかった。心配させないようにと、そう答えようとしただけだ。
「守ろうとしてくれる事は嬉しいの。でもそうした事でルーネスが私の分まで傷付いて、もしも…もしもだよ?そのせいで、っ…いなく、なっちゃったりしたら…」
水の洞窟での出来事が思い出される。呪いの矢からユウリを庇い、命を落としたエリア。大切な人を守り、身代わりのように散ってしまった儚い水の巫女の姿は、今でも鮮明な記憶として時に大きく心を揺さぶる。
「今度こそ私は…耐えられない…」
「…ユウリの言いたいことは分かるよ。でも、ごめん。それでもオレは…」
君を守りたい。ユウリが傷付く姿を見たくない、だなんて。彼女の言い分も考えず、感情の押し付けにも思える上に、これは単なる我儘だ。相手に辛い思いをさせたくないのは…同じなのに。
同じ、だからこそ。どちらかが受け入れるしかない。相手が、傷を負う事を。それならば体力のある男であり、守る立場である自分が痛い思いをすれば良い。そう思うのは間違っているだろうか。
…問うても、それに正解なんて無いのだろうか。
ルーネスも、ユウリも。仲間を思う心が強いからこそ、自己を犠牲にする事を厭わない。おそらくは他の皆もそうだ。対象が誰であれ、例えば死角から銃弾が飛んできたとしたら、咄嗟に仲間を庇おうとしてしまうだろう。
かつてエリアがそうだったように。考える暇もなく、身体が勝手に動く。仲間を、大切な人を…愛しい人を、護るために。
けれど───目の前で、泣くまいと必死に涙を堪えるユウリの様子を見て、思う。この子と一緒に、平和になった世界を生きていきたい。そのためにはどちらが欠けてもだめだ。反対に、ユウリが自分を庇っていなくなってしまったとしたら…彼女と同じく、耐えられるはずがない。
それならばどちらも悲しまずに済む方法はひとつ。どちらかが傷付いてしまっても、助け合って苦難を一緒に乗り越え、共に夜明けを見る以外無いではないか。自分自身を守れてこそ、本当の意味で守るという事になるのではないか。
「…そう、だよな。ユウリがオレの事を思って言ってくれているのが分かったから…自分が傷付けば良いという考えは改める」
「私はね、アルクゥもレフィアもイングズも、皆の事はすごく大切に思ってる。でも、こんな事を言ったら怒られちゃうかもしれないけど…ルーネスがいなくなるのが、一番怖いから…」
「ああ…不安にさせてごめんな?」
「うん…私の方こそ我儘でごめんなさい。あ、でもね、ルーネスが守ってくれている事はすごく、すっごく嬉しいんだよ。それは本当だからね?」
「ん、分かってる」
掴んでいた手を引き、抱きしめた柔らかい身体。こちらの背に回された腕に小さく力が入り、寄り添うように、縋り付くように身を預けてくるユウリから感じる熱。
あなたに信頼と、想いを。全身から伝わってくるようなそれに、口元に浮かんでしまう微笑みを隠すことなく。
「…あのさ」
「うん?」
「今日、自分の部屋に戻らないで、ここに…オレの傍に、居てくれるか?」
一晩中、感じていたい。ユウリが隣にいる幸せを。腕の中の心地好い温もりを、香りを、柔らかさを。
「…うん」
最初からそのつもり、と。相槌に照れと嬉しそうな色を滲ませた、心から守りたいと…愛おしいと想う、存在を。
「ユウリ」
好きだよ。いつものように心の中で呟いて、優しい口付けをひとつ落とした。もう何度も交わしているのに、いつまで経っても慣れない彼女の反応が可愛くて。つい笑みを零してしまう。
「はぁ…すごくどきどきする…」
「うん、伝わってる」
「やー…恥ずかしい…」
「はは、」
「呆れてる?」
「そんなことないよ」
「笑ってるもん」
「…可愛いな、って思ってる」
柔らかい声、ふわりと頭を撫でる手。二人でベッドへ沈み、優しく細められた瞳でそんな事を言われてしまったら。
どくん、と。またひとつ、大きく高鳴る鼓動。頬どころか、全身が熱を持った。ユウリはそれを感じ、更に熱くなる身体を冷まそうとして離れようとするが、腰に回されている手がそれを許してくれない。
くすくすと含んだ微笑いが零されるのが聞こえ、それならばいっそと諦めてルーネスの胸元へ頬を寄せると。いつも服越しにしているのとは全く違う、直接触れる素肌の感覚。
「生肌…気持ち良い…しかも良い匂いする…」
「ナマハダって…その言い方、なんかやらしいな」
「直接触れている面積が広いとやっぱり違うね」
「まあそれは、確かに」
吸い付くような肌の質感。ルーネスもユウリの触れた肩からむき出しの二の腕へと指を滑らせれば、ふわっとした感触に意識が持って行かれた。
むにむにと揉んでみる。気持ち良い。そういえば女性の二の腕と胸の柔らかさは似ていると聞いた事がある。当然だが確かめた事は無いので想像の範疇でしかないが、きっと同じようにふわふわとしているのだろう。
うーん、気になる。触ったら怒られるだろうか、って当たり前だろ。何を考えているのだ自分は。けれど悲しいかな、興味を持ってしまうのは、男の性というもの。
「………」
ぶんぶんと顔を横に振り思わず抱き寄せていた身体を離すと、突然の行動に目を丸くした彼女が顔を上げ問い掛けた。
「どうしたの?」
「ごめん、少し離れてた方が良いかも…」
「えっ…」
寂しそうに表情を曇らせるユウリを見て、これはきっと勘違いさせてしまったに違いないと思った。彼女から離れたいのではない。邪念が行動に移ってしまうのを防ぐためである。
「嫌だった…?」
「違う、そんなわけないだろ。ただちょっと、なんて言うか…邪念が…」
「じゃねん?」
「…邪な気持ち」
「よこしま…」
いまいち意味を理解出来ていないであろうユウリが首を傾げているのを見て、この子は本当に純粋だなと今更ながら再認識した。というよりむしろ、危機感が欠落しているのだろうか…。
「…って、なあに?」
「…オレも男だから」
「うん?」
「そうやって油断してると、こういう事。されるかもしれないぞ?」
上半身を起こし組み敷くように被さり、つい、と首筋から鎖骨を通ってゆっくりと下降させる、指先。胸元の布地をくいと引き、膨らみが少し覗いた所で、止める。正確には、固まる。
予想外すぎた。まさか下着を付けていなかったなんて。いや、たまたま洗濯した後だとか、寝る時には邪魔だから外しているだとか、何かしらの理由があったのかもしれないが、それにしても袖無しの服でこれは些か無防備すぎやしないだろうか。
もしかして今まで夜を共にした時も、ずっと…?服越しだったから気付かなかっただけで、ひょっとしたらいつもこの状態だったのかもしれない、そう考えるとなんだか、とても。
…勿体ない事を、したような。ああ、また邪念が。煩悩が。ユウリを大切にしたいのに、信用してくれているのに。そんな事ばかり考えていたら申し訳なく思ってしまう。
「…いいよ?」
「え、…」
「ルーネスに、だったら…あの…っ、…」
思わず言葉に詰まりユウリの表情を伺うと、頬を染めシーツをきゅっと握り、泳ぐ視線。心の底から恥ずかしいと思っているのが分かる。
意味を、分かって言っているのだろうか。今ルーネスがしようとした事は、ユウリを女性として求める行為だというのに。
「…そんな事言われたら、我慢出来なくなるだろ」
高まる欲を無理矢理抑え、少し困ったように微笑いながら。ルーネスは手を掛けていた服から指を離し、ぽんぽんと彼女の頭を数度撫でた。
デッシュと話をしていた時、そういう事に興味がないわけではないと、確かにそう言ったし、思っているのだが。恋人関係ではないのに手は出せないと、そう言ったのも事実。
愛おしい彼女をふわりと抱き寄せ、柔らかな髪に唇を寄せる。
「…オレはこうしているだけでも幸せだし、満たされてるよ」
今はまだ。傍に居て、抱きしめ、口付けて。温もりを感じているだけで。
「…私も幸せだよ。でも…」
そう、思っているのに。
「もっと、ルーネスを感じたい」
ここにきて、瞳を潤ませたユウリからとてつもない発言が落とされた。
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