▼ 49 本当の故郷
初めて訪れたはずの土地。見慣れた物も、見知った人もあるはずがない。それなのにどこか懐かしく感じるのは───
「ここが、ファルガバード…」
土の牙が眠る暗黒の洞窟に蔓延る魔物は、通常の武器で攻撃すると分裂してしまうという話を聞いた。
それは博識なアルクゥがいつか読んだ本で得た知識で、またそれをしっかりと覚えていたのだ。知らずにあのまま足を踏み入れていたならば、おそらく引き下がるほか無かったと思う。
暗黒剣、それは門外不出の製法で作られた妖刀。それがあれば分裂させずに斬り付ける事が出来るはずだ。どういった原理なのかまでは分からないが、特殊な力を纏う妖刀を手に入れるべく一行が向かったのは、いくつもの山を越えた先にある隠れ里だった。暗黒剣技を極めようとする者達が集まる村…ファルガバード。
インビンシブルから降り立ち辺りを見渡したイングズは、不思議な感覚に襲われた。自分の中にある記憶の一番古いものでは既に物心がついていて、サスーン城の兵士候補として日々の訓練を受けていた。
孤児だった自分を受け入れてくれたサスーン王。何かと気に掛けてくれた、年齢の近い姫。幼き日の記憶は浮遊大陸にある、サスーン城でのものばかりのはずなのに。
それなのにこの感覚は、なんだ。吹き抜ける風が運ぶ香り、それがひどく懐かしい。
「イングズ?」
思わず立ち止まってしまったイングズの様子に気付き、ルーネスが声を掛ける。イングズは瞳に若干の戸惑いを含んでいる事を隠そうともせずルーネスの方を向くと、ほんの少し思案した後、口を開いた。
「この村の景色…見覚えがある…正確には記憶にあるわけではないのだが…」
「サスーン王に連れて来られた事があるとか?」
「それはないだろう。この世界は長らく封印されていた。飛空艇を持たないサスーン城では…無理だろうな」
「そうか…オレ達はみんな孤児だから、どこかにそういう場所があってもおかしくないよな。本当の故郷、みたいな…」
「故郷…」
ルーネスの言う通り、皆が元々浮遊大陸に生まれ育ったという訳でもないのだろう。シドは下の世界が封印される前に、この世界から飛空艇を飛ばしていたとしたら。
十数年前、大きな事故に遭ったと言っていた。ここにいる五人は、その時たまたま乗り合わせていたのだと。ならば我々はどこから乗船し、浮遊大陸に辿り着いたのだろうか。
出身地かどうかなんて、全て憶測でしかない。しかしこのどこか懐かしい香りと、肌を撫でる風の暖かさ。それはとても心地好く、同時に言葉では表せられない感覚を伴った。
村の人々も山々に囲まれた自然の要塞への来訪者に驚きはしたものの快く迎え入れてくれ、しかしイングズに対して特別な反応を見せる者はいなかった。
金色の髪に、青い瞳。珍しい容姿ではないだろう。もし何らかの特徴があれば、こちらからは分からずとも相手方に気付いてもらえる可能性はあっただろうに。
…もしもこのファルガバードが、自分の誕生した土地だったらの話だ。無意識に浮遊大陸で感じた事のある香り、それと同等のものが流れていただけの可能性も否定出来ない。
「今まで漠然としか考えた事がなかったけど、オレ達にも本当の故郷があるんだよなぁ…」
「…あまり、深く考える事でもないか」
「知りたいと思うのは自然だと思う。シドなら何か知ってるかもしれないし、今度会ったら聞いてみるか」
「…ルーネスは、」
怖くないのか、と。問い掛けようとして、口を噤んだ。
自分を産んでくれた母はおそらく───もう、この世にいないだろう。父も、きっと。もしかしたら兄弟が居たかもしれない。助かったのは我々五人とシド、そしてほんの数人の大人達だったと聞いた。
ルーネス、アルクゥ、ユウリはウル。レフィアはカズス。イングズはサスーン。それぞれ育ての親が凱旋を待ってくれている場所がある。しかし本来の生家、本当の家族には…もう、会う事は叶わない。
顔も、声も分からない両親。しかしそこには確かな温もりと愛情が存在していた。
───だからと言って、今更それに触れる事など、もう出来はしないのだ。不確かで、無いものをねだっても与えられる事はないのだから。
「…考えていたって始まらないな。進もう。魔剣士の武具を集めなくては」
「…イングズ、あのさ」
「なんだ」
「本当の故郷が分からなくても、オレ達には帰る場所がちゃんとあるし、迎えてくれる“家族”がいる。だから、えーっと…なんて言えば良いんだ…」
「…ふ、」
「なんで笑うんだよ…」
「いや、折角良い事を言っているのに締まらないなと思ってな。…ルーネス、」
ありがとう。微笑と共に添えられた言葉に、ルーネスも笑みを零した。今はまだ、不確かなままで良い。もしも本当の故郷を探し当ててしまったら、そして可能性は低いにしろそこに血を分けた家族が存在していたとしたら。必ず戻ると誓った“故郷”サスーンに対しての忠誠心が揺らいでしまうかもしれない。
…いつか。そう、いつか。この旅が終わり、自分にとっての“今の故郷”に帰還し。そして…全てが落ち着いてから“出生の地”を探してみても、面白いかもしれない。それからでも遅くはない。そうするだけの時間は、たっぷりとあるはずなのだから。
「世界に平和をもたらした後で良い。この村にはまた…いずれ、ゆっくりと訪れたいと思っている」
「その時はオレも付き合うよ」
「操縦を私に任せておまえは観光か?」
「はは、それも良いな」
「まったく調子が良いやつだ…艇に酔ったりするなよ?」
「…善処してみる」
穏やかな空気の中、情報収集のため別行動を取っていた皆の姿が確認出来た。どうやら村の奥にある洞窟の入口を見付けたようだ。しかもどこで調達して来たのか、魔剣士専用の刀まで数本手に持っている。が、どちらにしろ入手する予定だったのでむしろ手回しの良さに感心した。
中にはこれから向かう暗黒の洞窟の情報と同じく、通常の武器では分裂する魔物が蔓延っていた。だが先程の刀と、クリスタルから魔剣士の力を借りればどうという事は無い。通常の武器で斬り付けなければ良いだけなので魔法での攻撃も有効だ。
土の牙を手に入れるための良い予行演習になる。幸いファルガバード北の洞窟内に納められていた暗黒剣士に扱える武具は、そこまでたどり着きし者ならば好きにして良いと村人からの許しを得ていたので有難く頂戴する事にし、次に向かうは暗黒の洞窟。
暗く、迷路のように長い湿った洞窟。次々と襲いかかる魔物達を屠りながら進み、ようやく辿り着いた最深部に祀られていたのは求めていた土の牙。長らく封印に守られていたそれを手にするには巨人の守護神・ヘカトンケイルを打ち負かし認めさせる必要があったが、なんとか勝利を収める事が出来た。
これで四本の牙が揃った。あとはダルグ大陸の館で待つドーガとウネに会いに行き、その後は…
「この旅もいよいよ大詰め、か…」
インビンシブルを操縦しながら小さく零した言葉。ふ、と空を仰ぎ見ると、そこにはどこまでも…故郷に、広がる無限の青があった。
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