始めは期待よりも数段不安が勝っていた。言葉は一生懸命勉強していたけれどやっぱり拙いものだった。今思えば、私は世界を甘く見過ぎていたんだ。国が違えば言葉も食べ物も、考え方も違う。先生達や同級生の子達の言葉は殆ど理解出来ず泣いてばかりいた。

同室の子に話しかける勇気すらない。そんな私に声をかけてくれたのがリリーだった。まだ英語に不安があって、早くしゃべられると分からないと伝えた時に「授業で困ったことがあったら言って」とゆっくり大きな口で話して笑ってくれた。彼女がいなかったら、私は一年目で家に逃げ帰っていただろう。学年が上がるにつれて言葉にも不自由しなくなって、夏休みに帰った家でもホグワーツが楽しいと言えるようになった。

彼を初めて見たのはこの学校の扉をくぐってから。組み分け帽子にグリフィンドールに行くよう言われた後、帽子を脱いで茫然としていたのが先生に肩を叩かれた瞬間満面の笑みに変わったのが何より印象的で。今更ながらに思えば、あれは一目ぼれだったのだろう。
リリーを介して知り合った彼と彼の友人達は私の生活に、今までに想像しなかった楽しい日々を与えてくれた。

彼の傍で、彼の恋を沢山見た。私は私でそれなりに恋をして、散ったり捨てたり消え去ったりしたものを飲みこんで過ごしてきた。昔よりも一回りは心も体も成長して、やっと自分の心の奥底に居る人を見つけた時、唐突に彼に告白された。まさか、彼も私を選んでくれるとは思っても見なくて。嬉しいのと驚いたのとでずっと泣き続けてしまって、あの時は皆に迷惑かけたなぁ。

毎朝、私を起こしてくれる親友がいて。談話室に行けば毎朝「おはよう」を言ってくれる友人達がいて。いつも朝食へ行くのに私達を待ってくれている仲間がいて。まだ寝ぼけている私の額にキスをして目を覚ましてくれる彼がいて。
そんな日々も、今日で終わりだ。


思い返せば短い年月だった。入学した時はまだ7年もある、なんて泣きたくなった日々がこんなにも愛しく温かい。後で短かったな、なんて寂しくなるものよって言っていたお母さんは正しかった。振り返ると、もう部屋は荷物を全て運び出されてすっからかんになっている。がらんとした部屋の中いたるところに小さな思い出が隠されていた。

ベッドの柱にはアリスがお気に入りのクィディッチチームのポスターを貼っていた画鋲がそのまま残っているし、部屋のカーテン止めはリリーが気に入って買った人形つきの物に交換されている。そこだけ色が違う壁紙の向こうには、私が初めてシリウスとケンカしたとき、八つ当たりした傷があるはずだ。

そういえば何で喧嘩したんだか。くだらなくって、どうでもいいことだった気がする。それでもあの時の私にはとても大事なことだった。


「何してるの?もう時間よ!」
「分かってるよ、リリー!今行く!」


階下からの声に思い切り叫び返すと、私は窓の外を見た。グリフィンドールの寮は4階にあり、ここからの見晴らしは最高だった。階段を上るのは大変だったけど、地下のスリザリンだったらこんな景色を拝むことは出来なかった。今さらだが、はるか下に見える校庭は学校の庭と言い切るには壮大すぎると思う。

この部屋をもう訪れることが無いなんて想像も出来ない。一度家に帰って、また夏休みが終わったらこの部屋へ戻ってリリーと一緒に勉強して…。そんな毎日がまだ頭の中で続いているのに。何年かしたら、私はこの学校に通っていた日々を思い出として語る日が来るのだろうか。

あの日は楽しかったねと、リリーやジェームズ、ピーター、リーマス、そしてシリウスと一緒に笑って。いつか子供が出来たら「私が子供のころはこんなことをしたのよ」なんて教えたりするのだろうか。ホグワーツへ行く子供たちの背中を見て昔はああだったのね、とか言ったりして。結婚とか子供とか、なんて現実味のない想像だろう。でもそんな毎日はきっと幸せなんだろうな。例え闇の時代だろうと私達はそうやって生きていくんだと妙な確信があった。


「時間だって言ってるでしょう!」
「はーいっ!」


階下のリリーがとうとう大声を上げたので、慌てて部屋を飛び出した。君は卒業当日までリリーに怒鳴られていたね、ってのちのちジェームズ達に笑い話にされてしまいそうだ。大慌てで部屋を飛び出すと、談話室でリリーが腕組みをして待っていた。気持ちは分かるけど、と呟くと感慨深そうに談話室を見回していた。


「遅いぞ!」
「待ってよシリウス!」


玄関ホールから外に出る。もう他の皆は行ってしまったようで、いつもの友人達だけが私を待っていた。空から遠慮なく降り注ぐ日差しから逃れようと目の上に手で小さな日陰を作る。リリーは待っていたジェームズと一緒に手を繋いで歩き出した。
私とシリウスもそれを見てにっこり笑って、お互いに手を差し出した。先を行くリーマスやピーター達を追いかけようとシリウスは少し早足だ。暫く歩いてからふと後ろを振り返った。

私はここで7年間を過ごした。そして今日、ここを卒業する。

足を止めた私にシリウスは一瞬眉を寄せたけれど、視線の先を辿って同じように城を見上げた。眩しさをこらえ目を細めながら城を見上げる。こちらを見ることも無く口を開いた。


「俺、ホグワーツに来てよかった。ここでジェームズ達と知り合って、お前と知り合って、一緒に居られて。」


私もシリウスと同じだ。ホグワーツに来て良かった。泣いた日もあった。傷ついた日もあった。それ以上にここでたくさんのことを学び、得た。それは今もこの手の中にある。

手を握ったまま、顔を上げ空を仰いた。ふっと息を吐けば吹き飛んでしまいそうな薄い雲が真っ青な空をさらに明るく見せていた。今が闇の時代だと騒がれているなんて嘘みたい。だって、こんなに世界は輝いている。ぎらぎらと陽射しが強く照らす中ホグワーツ城は一層美しく見えた。


「これからも、一緒に居ようね。」


私より一回り大きな手のひらが、きつく私の手を握り締めた。


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