01



今更、今更になって後悔する。
それはただただ遅く、思い返せば返すほどに、腹立たしい。
とある商人の護衛の依頼を引き受けたのだと言い、船を下りたクラトスは、一週間が経った今でもなお帰って来ず、音沙汰すらもない。
"僕も行く"と一度は言ったのに、"すぐに帰って来るから"というその人の言葉を受けて、今にして思えば自分でも単純過ぎるほど呆気なく引き下がってしまったのだ。
普段なら、意地でもついていこうとする癖に。
こんな時だけ、……何故なのか。

遅くとも三日には完遂できると言っていた筈だ。街から街への距離はそれほど遠いものではなく、ただ、念には念をということだそうだ、と。クラトスはそう言っていたのに。
単身、街の中でその人の姿を探し、商人の名とその存在を他人に問う。自らの立場と所属しているギルドの名まで挙げて、"調査をしている"と言い訳を述べたが、実際のところは自分自身が居ても立ってもいられずに船から飛び出しただけだった。
どうにも落ち着かない。胸の奥がざわめいて、気持ち悪い。捜し求める姿が何時までも見当たらないこと、そして、わざわざクラトスを指名して護衛に就かせた商人の話を聞いているうちに、内心は騒々しさを増していく。
それは、あくまでも噂話であり、それを口にする誰もが最後に"確証はないのだ"と付け足した。男は、誰もが必要とするような日用品を何処よりも安く売る、愛想の良い人望家であり―――その一方で、非道なまでの奴隷売買をしている。そんな噂話が、この街の一部に広がっているのだと。
あれほどに腕の立つ人だ。巻き込まれる前に叩き潰してしまうだろうと、自分を誤魔化すようにしながらも
不安は、拭えずに。


ただの噂話でしかなかったはずのそれが、少しずつ確信へと変わりつつあることを、どうしても認めきれずにいた。下らない。仮にそうだとしても、関係などないだろうと。そう一蹴してしまいたい一心で路地裏へと入り込む。日が暮れ、街灯が仄かに照らし出すだけの此処は気味が悪いほどに薄暗く、入り組んでいた。
一見、平穏を保っているように見える城下町の裏。―――その先に、捜している商人が使用していた小屋があるという、これまた信憑性のない話。一応、確認をしてみるだけだ。言い訳を並びたてながら、この件が間違いであることを期待しもした。人づてに渡り歩いた言葉など信じるに値しない。商人の噂話というのも、それと同じようなものに決まってる。
……そう決め付けられたなら、良かった。そうであれば良かった。
人の気配などまるでしない外れに、耳にした小屋のようなものがある。そのドアをノックし、いつまで待っても返答さえ無いのに焦れて、鍵のかかっているらしいそれを随分と強引にこじ開けた。要するに壊してしまった訳だが、まあ、問題になってから考える。どうにかはなるだろう。
真っ暗な部屋の、その奥の方から、かすかに声がしたような気がした。

「―――…っ!」
手探りのまま其処へと向かい、…ただ、……絶句する。
奥へ続く扉を開けた瞬間、その場はほんのりとした橙色の灯に照らされていた。目に見える範囲でも分かるほどに中は殺風景で、妙に肌寒い。
その、片隅―――。
「クラトス…!」
ベッドらしきものの上に横たわる人影。視界に入り込んでくる鳶色に、間違えようもないと悟る。慌てて駆け寄り、長い前髪を掻き分けると、その人は苦しげに息を零した。
音すらない呼吸は荒く、額に汗が滲んでいる。熱でもあるのかと其処に触れると、目を閉じたままのクラトスが嫌がるように身じろいだ。
僅かながらに触れることの出来た肌からの熱が、離れてもなお指先に残っている。その熱さに思わず舌打ちをした。両手足を拘束しているロープを、暗がりの中、クラトスだけは傷つけてしまわないようにと慎重に切る。意識の居所が曖昧なのだろうか、何度呼びかけてみても、クラトスはそれに反応を示さない。
それでも、起こそうと肌に触れれば、顔を顰めてそれから逃れようとする―――。
落ち着くどころか一層ひどくなっていくその様子に、心当たりがないわけでもなく。
"奴隷を売り買いしている"―――何度も耳にした言葉を、思い出していた。


嫌がるクラトスを半ば強引に立たせ、その左腕を自分の肩へと回させる。一歩進むたび、息を呑み込むその人を宥めながら、とりあえずと小屋を出た。人目がないことの確認を繰り返しながら、暗い路地裏を行く。兎に角、安全でいれる場所が必要だと思った。気を失いかけているらしいこの人に何があったのかも分からない現状で、闇雲に動き回るのは良くない。
何処か良いところは―――と考えた時、真っ先に浮かんだのは。この街の中、幼い頃に住んでいた、あの屋敷。遠くはあるが、行けぬ距離ではない。
「……もう少し我慢してくれ」
焦燥感を抑えつけた。
耳元で囁きかけながら、其処へと向かう。

不審な気配、人目の有無を幾度も確認して、やがて辿りついた屋敷にそっと入り込む。
どうしても引きずりがちになってしまうクラトスの足元に申し訳なさを感じつつ、二階へ上がり、片隅の部屋に入ったところで鍵をかけた。
薄暗いせいなのか、放置していたわりにきれいでいるようにも見えるベッドを、それでも軽くはたいてやってから、その上にクラトスを横たわらせた。
その人は未だに瞼を開かず、荒い呼吸をひたすらに繰り返している。苦しげに寄せられた眉根と、時折上がる、呻くような微かな声。呼びかけても、変わらず返答はない。
「―――っ…」
ぎり、と、思わず奥歯を噛みしめる。僕が、"ついていく"と言って、引き下がりさえしなかったら。この人はこんな、見るからに辛そうな思いをすることなどなかったかもしれないのに。
後悔する。
でも、もう、遅い。
「……シャル」
心配そうな雰囲気を醸しながらも大人しくしてくれているそいつの名を呼ぶ。シャルはそれだけで僕の言いたいことを察してくれたのだろうか、分かりましたと言っただけで、その他には何もなく。徐々にその気配が消えていったのを感じ、鞘ごと最寄の壁に寄りかかってもらった。
「…う……」
クラトスがまたちいさな呻き声を上げる。きつく閉じられていた瞼がひどく緩慢な動きで開かれ、ゆるゆると僕のほうを見た。
影に隠れて良くは見えない瞳は、けれどそれでも分かってしまうほどに、生気がない。何処までもぼんやりしていて、何処を見ているのかも定かではなくて。
「クラトス―――」
呼びながら腕を伸ばせば、それには身を捩じらせる。逃げようとしているふうにも見えるそれに、ぎり、と再び歯が鳴った。
ひとの売り買い。その実態を、この国で仕事をしている最中、小耳に挟んだことはあった。商品なのだとして捕らえられた者は、先ず、抵抗を抑える為に自我を壊されていく。それに一番効果的なのが―――。
「…っ…!」
そっと頬に触れる。たったそれだけで怯えさえ見せるその人に、努力して笑みを向けた。
心配などいらない、そう語りかける。




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