02



そうして、どれくらい経ったのだろう。
時折思い出したかのように絡んでくるロイド君を適当にあしらいながら、部屋の片隅の壁にかけられた時計に目を遣る。
そしてはあっと溜息を吐いた。
今、ここに天使さまの姿はない。
しいなに連れられて部屋から出て行ってしまった。
その時点であの時計は三十分丁度を指していたと記憶している。
もう一時間も二時間も経っているような気がするが、……実際の所はまだ十分程度でしかないらしい。
見間違えかもしれないという期待でもう一度それを見直してみるものの、それが示している時刻は先程と大して変わっていなかった。
「おせえなあ…」
溜息交じりにぼんやりと呟く。
そわそわしてしまってどうにも落ち着かない。
どうしてこういう時に限って時間の流れというものは遅く感じられるんだろう。
さっさと過ぎてしまえばいいのに。
「…ん? どうしたんだ、ゼロス」
向こうで何やら談笑していたらしいロイド君が、ふいに俺の元にまで歩み寄ってくる。
こてんと首を傾げるその様子を複雑な心境のままで眺めながら、忙しいやつだなあと内心だけで笑った。
こっちに来たと思ったら何時の間にかあっちに行っているし、かと思えばこんな風に唐突に戻ってくる。
あの天使さまの息子だとは思えないぐらいに落ち着きがない。
それはまあ、ずっと前から変わってないけれど。
「あー…いや。どうもしてねえけど…」
言いかけて口を閉ざす。訝しげな表情を見せるそいつを放ってひとり考えた。
そういえば、…こいつはどうなんだろう。何か知ってそうな気もする。
よくよく思い返せば天使さまを此処に誘ったのもこいつなんだ。
ロイドから手紙が来た、なんて嬉しそうに言っていた天使さまを思い出す。
「……しいながさあ。天使さま連れてどっかいっちゃったのよねえ」
少し悩んでみたりもしたけど、…結局、思い切って訊ねてみることにした。
ぽつぽつと話し始める俺を目に、そいつは尚も首を傾ける。
正直に言えばあまり期待はしていない。さっきのしいなの様子から察するに秘密事のようだし。
ただこいつがそのことを知っているのか、それとも俺と同じように知らないでいるのか、それを一番に確かめたくて。
「何しに行ったか、ロイド君知らない?」
訝しげなままのその表情を窺うようにして問う。
あの落ち着きがないロイド君のことだ、心当たりがあるなら顔に出るだろう。
何も、知ってることを咎めようなんて思っているわけじゃない。ただの好奇心からだ。
知ってそうで、けれども知らないと嘘をつくようなら深入りはしない。そう考えていた。
「………」
息を潜め、向こうの返答をじっと待つ。
正直に言えばまあ、あのロイド君が無言になってる時点で確定なんだけど。
知ってるんだなあと思うのと同時に、いちいちそうやって問いかけなおすのも何だか面倒臭く感じた。
口を開いてものを言う、という行為自体が億劫で仕方ない。
自分の機嫌が瞬く間に悪くなっていくのを、何処か別の場所で冷静に感じ取っていた。
はあ、と、重々しい溜息が聞こえる。
僅かに降下していたらしい視線を上げると、何とも言えない微妙な表情をしたそいつとふいに目が合った。
観念したような様子で口を開くロイド君をぼんやりと眺める。
「そんな怖い顔しなくてもいいだろ。あれは、」
呆れ声交じりのその言葉は、唐突な―――何の前触れも無い物音によって、遮られた。
尋常でないそれに思わず表情を硬くし、睨むようにしてそちらへ視線を向ける。
それは、…戸を開ける音だった。横に動かして開ける珍しい形のあれを、力任せに開く音。
耳障りと言うほどではないが、正直びっくりした。
「ったく…なんだよしいな。もうちょい静かに……」
呆然とした空気の中、開かれた戸の前で仁王立ちしているそいつに真っ先に突っ掛かる。
けれどもその、文句を乗っけた言葉は、不意に――視線の中に入って来たもののせいで、ぴたりと途切れた。
白く細い腕に絡みつく藍の色。
数枚の花びらが描かれた振袖が、微かな風にひらりと揺れて。
きれいに纏められた赤い髪には蒼色の簪が挿されていた。
その全部が見事にひとつに纏まっていて、なんとも言えないぐらいにきれいだ。
―――触れたい、と。素直に思う。
「どうだい? 似合うだろ」
やけに勇ましい仁王立ちの姿のままで、しいなが笑う。
その誇らしげな物言いはまるで自分のことを言っているかのようで、少しだけおかしかった。
静まり返っていた周囲が唐突に騒がしくなる。
きれい、とか、似合っている、とか、今正に俺が思ったことが他人の口からも出てくる。
「…クラトス…?」
確かめるようにその名を呼び、もっと間近で見たくて近付く。
恥じらって顔を赤らめる仕草がひどく幼く見えてかわいらしい。
目前にまで近寄り、恐る恐る腕を伸ばしてその頬に触れてみる。
びくりと小さく身体を震わせる様子が、…ほんとにもう、勘弁してほしいぐらいに魅惑的で―――
「はいはい、そこまでにしな!」
ばしっと背中を強く叩かれ、見っとも無い呻き声を上げる。
突然の衝撃に驚いて咳き込むと、案じてくれたらしい天使さまが慌てて殴られた背をさすってくれた。
周りから呆れたような笑い声が聞こえる気がするが、そんなことは正直どうでもいい。
本当に、吃驚するぐらいにきれいだと思う。あまり見慣れない姿だから余計にそう思えるのかもしれない。
けれども天使さまのその姿は、本当に……口では言い表せないぐらいによく似合っていて、だからこそ少し心配にもなる格好だった。
…これは絶対に人の目を奪うだろう。異性も同姓もおかまいなしに。
ついさっき偶然耳にしてしまった会話から察するに、これから少し外に出るようだけど……こんな姿のままで大丈夫なんだろうか。
変な虫が近寄ってきそうで、心配で仕方がない。普段の格好ですら買い物の最中とかに言い寄られている時があるのに。
ああもういっそのこと二人だけで屋敷に帰ってしまおうか。そうすれば鬱陶しい虫も近寄ってこない。
なんて、結構本気でそんなことを考えたりもしたけれど。
「ゼロス」
「…ん? なに?」
「…その……これから、屋台、というものが外に並ぶらしいのだ。珍しいものも沢山あると言うし、……行ってもいい…だろうか?」
申し訳なさそうな声色。恐る恐ると窺い見てくる眼。
その何処か弱々しいような仕草にどきりと鼓動が高鳴る。
反則だと、そう思った。これが全て天然からの行動なんだろうから余計に性質が悪い。
危ないから外に出すべきではないと、…分かっているのに。
「……いいよ。一緒に行こっか」
可愛い天使さまの折角の頼みを、断れるわけもなく。
せめて一瞬たりとも傍から離れないようにしようと、溜息ばかりの胸の内で密かに誓った。


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