01



「行きたいところがある」と
控えめな声色でそう話しかけられ、思わず目を丸くさせた。
天使さまの口からそんなことを言われたのは、…初めてのことで。
その珍しさにちょっと驚いてしまった。
「その…明日、ミズホに行きたいのだ。…良いだろうか?」
申し訳ないとでも言いたそうな表情を浮かべ、ふいっと視線を外す。
そんな天使さまの仕草が可愛らしくて笑みを零した。
駄目…だなんて言うはずないのに。その律儀さと生真面目さには感心すらする。
まあ、そんな所も本当にかわいいからいいけれど。
「いいよ。何時に、とか決まってる?」
心配そうな顔でこちらを窺っている彼にそっと笑いかけ、そのまま問いかける。
少しばかり重苦しかったように思えた天使さまの表情が、ふっと柔らかくなったような気がした。
こくりと小さく頷いた彼は、ほんの暫くの間、何かを思い出すような仕草をしてから
「夕方…だそうだ。暗くなる少し前に、ミズホで…と」
真っ直ぐに俺を見て、相変わらずの小さな声でそう返答してきてくれた。


そうして辿り付いたミズホの里は―――何やら、慌しかった。
あれの準備はこれの準備はと何処かへ駆けて行っては、急いで戻ってくる。
村の奥にまで続く道の脇には、何か…人一人分の小さな…店? のようなものが一定の間隔でずらりと並んでおり、
けれども、それのどれもが「準備中」と書かれた看板をぶら下げて巨大な布で隠されてしまっている。
俺さま自身、あんまりこの村に足を踏み入れる機会はないのだが、…それでもこの光景は流石に異様だと感じた。
別に今になって始まった話でもないのだが、やっぱりミズホの民というやつらの考えてることはよく分からない。
「父さんー!」
「ッ!?」
――なんてことを、呑気に考えているから悪かった。
突然聞こえた久しぶりの声と、驚愕に染まった天使さまの吐息に目を見開く。
慌てて隣の方へ視線を向けてみると、其処には、地面の上に尻餅をついている天使さまと。
その天使さまにぎゅっと抱きついている、赤い服の―――ロイド君の姿だった。
「父さん、俺が居ない間大丈夫だったか? ゼロスにいじめられてたりとかしなかったか?」
人目も気にせず堂々と天使さまを腕の中に入れたロイド君は、そのままの状態で勝手に喋りだす。
身体の調子はどうだ、とか、なんか更に痩せてないか、とか、飯はちゃんと食ってるのか、とか。そんなことを延々と。
呆気に取られて固まっていた俺さまも、その声を聞いているうちに、…段々と我に返ってきて。
そうしたら今度はそんなことを平気で出来るロイド君がちょっと腹立たしくなった。
「おいおいおいロイド君。久しぶりのご対面を邪魔する気はねえけどさ、とりあえず天使さまから離れろよ」
言いながら、指でそいつの衣服の襟首を強く抓み、それをそのままぐいっと後ろに引く。
ぐえっと奇妙な声を上げて咽るそいつを尻目に、俺はすかさず座り込んでいる天使さまの腕を引き、立ち上がらせて抱き締めた。
「天使さまは俺さまの、なのよ。人のもんに勝手に抱きつかないでくれる?」
「げほッ…な んだよそれっ! クラトスは俺の父さんだ!」
「だからなんだってのよ。天使さまが俺のもんだっていうのには変わりねえぜ」
じとっと睨み上げてくるロイド君を負けじと睨み返し、ついでに見せ付けるつもりできつく天使さまの身体を抱き締める。
力を込めた腕の中で天使さまの呻き声が聞こえたような気がしたが、そこは敢えて知らないふりをした。
「とにかくっ…! お前も父さんから離れろよ!」
口篭りながらも声を荒げるそいつにふっと笑い声を零す。
こういう、すぐムキになる所は相変わらずのままらしい。
こんな子供が世界を救った英雄だなんて、きっと誰も信じないだろうな。
知ってる俺たちにしか分からないことだろう。多分。
「俺さまは別にいいの。天使さまは俺のなんだから」
「…お前、子供みたいだな」
呆れたような顔で言われ、少しだけむっとする。
子供に子供のようだと溜息を吐かれるのはなんだか面白くない。
咄嗟に言い返そうとして、寸前で押し黙った。
ここでムキになって否定するのは肯定しているのと同じような気がする。
…俺さまは大人だからな。目を瞑ってやればいい。
ロイド君みたいのとはまた格が違うのよねえ。俺さまは。
「……ゼロス。いい加減に離してくれ…」
人目に付く所で抱き締められているということにとうとう我慢できなくなったのか、天使さまがおずおずと口を挟んできた。
遠慮がちなか細い声に少しだけ申し訳ない気分になる。
言われた通りにその身体を解放してやろうとして、…少しだけ戸惑った。
「さっさと放してやれよ」と調子に乗って突っ掛かってきたそいつが、何処か勝ち誇ったような顔で俺を見ている。
勝ちも負けも在りはしないが、それが無性に腹立たしい。
そいつの目の前で易々とこの身体を離してしまうのは、正直言って嫌だった。
「ゼロス」
けれど、まあ。
そんなガキっぽいことを思っても仕方がない。
俺さまはロイド君より大人だからな、と内心だけで呟き、促すかのように呼びかけてくる天使さまにはいはいと返答した。
そうして、大人しく天使さまの身体を放してやる。
解放された天使さまは、ほんの少しだけ俺から遠ざかり、そして溜息にも似た吐息を吐く。
馬鹿にされたように感じて少しむっとしたが、……文句を言う気にはなれなかった。
俯きがちだった顔を上げた天使さまのその表情は、一見では分かり難いけれども、―――とても穏やかなもので。
それが、控えめに、…それでも確かに、俺を見て――微笑んだから。
先程までの怒りは何処へやら、俺だけに微笑みかけてくれたらしいことに気分が舞い上がる。
微笑んでもらっただけ。ただそれだけだけど、でも、それだけがひどく嬉しかった。
天使さまはやっぱり笑顔が一番に似合う。
「あ……そうだ、クラトス。今さ、頭領の家でみんな集まってるんだ。まだ少し時間あるし、先にそっち行こうぜ」
「……? ああ」
何の前触れもないそいつの言葉に首を傾げる。
そういや、俺たちなんで此処に来たんだろう。よくよく考えてみればその理由までは耳にしていない。
俺一人だけが分かっていないままなのかと思い、ふっと隣の天使さまへと視線を向けてみる。
けれどもその天使さまも、よく分からないと云った様子で小首を傾げていた。
……個人的には、あまり理解していない事柄に関して無闇に頷いて欲しくないんだけれど。
流石に無用心過ぎるだろうと、歩み始めたロイド君に続いてゆく天使さまを目にして思う。
相手がロイド君だからと言うこともあるのだろうけれど、それにしたって危なっかしい。
あのままだといつか誰かに騙されてしまいそうだ。
「…ゼロス?」
どうかしたのかと問われて言葉に詰まる。
見れば、天使さまが少し先で不思議そうな顔をして立っていた。
待たせてしまっているらしいことに気付き、慌ててそちらへと駆け寄る。
くすくすと前方から腹の立つ笑い声が聞こえてきたような気がするが、今突っ掛かっても怒られるだけだと思い立って口を噤んだ。


ロイド君に連れられて辿り付いた屋敷の、その内部。
無駄に広いような気がする其処には思い描いた通りの幾つかの人影があった。
ひどく懐かしくて、けれど何も変わっていない。
同じ場所に集って昔話に花を咲かせている様子は、二年前、一緒に旅をしていた時もよく見た光景だったように思う。
それを眺めていると、やっぱり、誰も彼も二年前とあまり変わっていないのだと知る。
まあそれは勿論俺さまにも言えることだけど。
「なあ、ゼロス。ちょっといいかい?」
そんなどうでもいいことをぼうっと考えていた俺の隣で、不意に懐かしい声がした。
数ヶ月ぶりに聞いたような気がするそれにふっと我に返る。
向こう側でさり気無く仲間達の輪に加わっている天使さまから視線を外し、それをそのまま声のした方へと移動させると
其処には予想していた通りの、何も変わっていないように見える友人の姿があった。
「おう、しいな。久しぶりだなあ」
元気にしてたかと適当な挨拶を口にしてみると、しいなは可笑しそうに笑い声を零した。
似合わない台詞だと指摘され、少しばかりむっとする。
ある程度自覚はしていたが、それでも他人にそう言われるのは面白いものではない。
ロイド君といい、こいつといい、全く遠慮のないやつらだ。
「ああ…それでさあ。ちょいとばかし協力してほしいことがあるんだよ」
ひとしきり笑ったその後で、しいながまた不意に言葉を発した。
それの真意がよく理解できずに小首を傾げる。
一応ね、と誰にともなく呟いたしいなは、ふいっと俺から視線を逸らして
屋敷の中心辺りで談笑している集団――達から、ほんの少しばかり離れた位置にいる人物をじっと見据えた。
「……?」
動かないしいなの視線のその先を、何度も何度も辿り直す。
自分が間違っているだけなのかもしれないと、そんなことを考えて。
けれど、何度やり直してみても結果は同じだった。
しいなはどうしてかクラトスを見ている。
少し、嫌な予感がした。
「あれをさあ、少しの間貸してもらいたいんだよ」
どうやら、……予感は大当たりだったようだ。
「天使さまを? …なんで?」
俺さま説明されてないんだけど、と不満を洩らせば、だから今声かけたじゃないかと言い返された。
それはまあそうだが、それにしても納得がいかない。
嫉妬とかそっちの方ではないけれど、単純に気に入らないのだ。天使さまが、俺さまの居ない所に行くのが。
「まあ、ほんのちょっとだけだよ。時間はかけないし、悪いようにもしない」
そう言って笑うしいなはやっぱり何処か楽しそうだ。
何を考えているのかは知らないが、よくよく考えてみるとそれも珍しい。
よく分からないけど時間はかけないと言っているし、……うん。気は進まないけど、まあ、いい…かなあ。
あまり気は進まないが、仕方ない。
「別にいーけど…早めに返してくれよ?」
念のために軽く釘をさしておく。
しいなが呆れたように溜息を吐いたが、それには敢えて触れないようにした。
折角、急いで仕事を片してきたのだ。今日くらい天使さまとゆっくりしたい。
住んでいる所は一緒だけれども、…最近は本当に忙しい。
共にゆっくり出来る時間は就寝前のほんのひと時だけ。それだって、どちらかが先に寝てしまう場合もある。
正直に言えば寂しいし、天使さまも同じような思いをしているとは思う。…多分だけど。
だから、長らくの貸し出しは嫌だ。長ければ長いほど時間がなくなる。
「分かってるよ。早めに済ませてやるから、少し待ってな」
子供みたいな俺の言葉に、しいなは再三の溜息を吐きながら頷く。
自覚がないわけではないけど、こうも露骨に呆れられるとなると流石にむっとくるものがある。
仕方ねえだろ、と思わず突っ掛かりそうになって、…けれども結局、やめた。
ムキになって言い返すという行動は子供がすることだ。
ロイド君やあの生意気ながきんちょみたいに。
俺さまは違う。
「…そういえば、なんで天使さまなんだ?」
ずっと感じていた疑問を、そのままの形で問いかけてみる。
そもそも俺は、こいつが何をするために天使さまを連れてこうとしてるのかすら分かっていない。
天使さま自身も特別何も言ってなかったはずだし。
そりゃ勿論恋人として男として、想い人が他の誰と何をするのか気にならないわけがない。
「んー…まあ、ちょいと待ってなよ。じきにわかるさ」
けれど、その問いかけは曖昧にはぐらかされるだけで終わった。
一体何なのだろうとますます疑念が深まる。
正直に言えば、気に入らない、けれど。
「んじゃちょいと借りてくよ」
そう言って天使さまの元へと歩んでゆくしいなは、どこか楽しげで。
そして、少しだけ、悪戯を思いついた子供のような顔つきをしていた。

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