三月二十六から四月二十一日までのお礼文(ゼロクラ)



「ねえ」
沈黙を不意の声が引き裂いた。なんとも不機嫌そうな声だ。
明るい窓の外を眺めるのを止め、声のした方へ視線を向ける。部屋の片隅に配置された、二つのシングルベッドの片方。その上。
うつ伏せになって両肘を立てているゼロスが、すらりと伸びたその足でぱたぱたとシーツを叩いている。
「…埃が舞う。止めろ」
「やだ。暇なの」
「そうしてばかりいると余計に治らないぞ」
「………暇」
けほけほ。と咳を繰り返すゼロスに思わず呆れてしまう。まだ軽めの症状しか現れていないのだから良いものの、重くなってしまったら駄目なのだ。
病は風邪から発展するものも多い。風邪は侮れるものではない。
普段よりも随分と長く眠っていた挙句、起きて早々に具合の悪そうな顔をして、それでも立ち上がろうとするゼロスを引き止めること三十分。
漸く大人しくなってくれたと思ったが……曰く、"暇"。
寝ていろと言うのに、何故か却下される。
「……何の意地を張っているのだ?」
「…何よ、意地って。なんのこと?」
元から"素直"とは言いがたい性格ではあるが、聞き分けが悪いわけではない。筈。
どうしても眠りたくない理由でもあるのだろうかと考え付いた。
問い掛けにギクリと表情を強張らせる様は、まあ、まだまだというか。なんというか。
私自身、特別嘘をつくのが上手いわけではないが……意外とゼロスも核心をつくと弱いのだな。
「…………だって、行くんでしょ?」
「……?」
ぽつりと呟かれた言葉が小さすぎて聞き取れなかった。思わず首を傾げてしまう私を、ゼロスの目が恨めしげに見上げている。
「俺さまが寝たら。彼女と一緒に」
"彼女"というのは恐らくディセンダーのことだろう。それは理解できた。
…… 一緒に行く、とは。仕事のことか。
「それが理由で眠らないのか?」
「…悪い?」
「いや…」
嫌味の詰まった返答に思わずたじろぐ。
まあ、ゼロスがどうにも眠りたがらない理由はよく分かった。きっとゼロスもディセンダーと共に出かけたかったのだろう。(※違います)
だが生憎今日ばかりはそれを叶えてやれそうにない。
此処は私と二人部屋だから良いが、風邪を引いたまま船内を歩き回れば誰にうつってしまうかも分からぬし……そして何より。
「残念だったな」
「あ?」
「今日は、休みを取らせて貰っている」
ゼロスが眠っている間に、既に。何となくとしか言えないが…ふと覗き見たゼロスの寝顔が、具合の悪そうなものに見えて。勿論そうとは言わず、用事があるかもしれぬから、と曖昧な理由を述べるに留めたが。
「お前に特に異常が見られないようなら、また理由をつけて休暇を止めにしてもらうつもりだったが…正解だったようだな」
「………」
ぽかんとしたゼロスの表情が何故か徐々に赤くなっていく。
慌てて近寄り、熱を測ろうとして―――しかしそれは、ふいとそっぽを向いてしまったゼロスによって叶わなかった。
頑なにこちらを見ないまま、もそもそとベッドの上を動くゼロスが、やがて自分の体の上にシーツをかけようとする。それにふと気付き、手助けを(…と言えるほどのものでもないが)した。
やっと眠る気になったということなんだろうか、これは。
「……風邪は人にうつすと治るって言うよな」
「…?」
擦れた声が呟かれるのと同時に、体調を崩しているとは思えないほど早く起き上がったゼロスが
その両腕で私を捉え、ぐいと引き寄せてくる。
真っ直ぐな視線と目が合ったと思えたその瞬間にはもう、口付けがそっと降りてきていて、予想外すぎるそれに声も出ずに。
暫くの間、無音のままに触れ続けてから、無音のままに離れていった。
「………うつったらどうする」
「大丈夫。俺さまが看病するから」
何が大丈夫なのか分からない。
「…はあ…分かった。もう寝ろ」
「えー…」
「何処にも行きはせぬ。お前が起きるまでここに居る」
ベッドの縁にそっと腰掛け、シーツから出ている片手をそっと握る。兎にも角にも、よく寝て…早く治してほしいのだ。そのためなら私にうつしてくれても構わない。
元気のないゼロスのその姿は見ているこちらまで気が滅入る。
………心配、なのだ。

「もし俺さまが寝てる隙にどっか行ったら……覚悟しといてね。怖いぜ」
「どう怖いのだ?」
「人前でキスする。強制的に」
真剣そのものの瞳に息が詰まる。
本当にやりかねんと思わざるを得なかった。
「……分かった。安心して眠っていろ」
確かに人前でのそれは恐ろしい。
想像しただけで恥ずかしくて仕方ないものを実行された日には堪ったものではない。
(というか、何処にも行かぬと言っているのに)


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