たまに大胆



※少年なクラトス。そして若干のそれらしい空気に注意。

 あまりに唐突な事だった。前日に特別な何かがあった覚えもなければ、近頃になって快調であることが多くなった容態がひどくなったというわけでもない。
 ただ、いつも通りに過ごし、いつもの通りに眠った。それだけ、だったはずなのだが。
「………?」
 目を覚ますと同時の違和感。経験したこともない類のそれに首を傾げる。
 体調に変化があるようには感じられない。…とにもかくにも、このままここでじっとしているだけではどうしようもないと、寝台から立ち上がった。――その時、ストン、と、何かの落ちる感覚が伝わってくる。随分と突然な肌寒さに目を丸くした。
 理解すら追いつけぬまま、何気なく、自らの両手と、それに続く腕を目にする。それらをじっと眺め、やがて気付いた。

 彼の――クラトス・アウリオンのその身は、何故か、いつも通りのそれではなく――例えるならばまるで少年のようなものに変化していたのだ。

 何故こうなってしまったのか、確かなものは未だに分かってはいない。クラトスの外見が十五、六ほどの子どものそれになって早三日。目ぼしい進展はないままに、時間だけが刻々と進んでいく。
 豪邸の一室。寝台に座し、ぼんやりと窓の外を見つめるクラトスは、ゼロスがとりあえずと用意してくれた衣服を大人しくその身に纏っている。元々の身体と比べて明らかに小さい衣服と、自ら。それに憂鬱げなため息を零すのも、もう何度目になるのか。
 初めのうちは一刻でも早く元に戻らぬものかと焦れていたが、最早そんな気力さえ無い。諦めにも似た思いを抱え、まあいづれは戻るだろう、などと不確かな気休めを自分に言い聞かせていた。

 世界統合が果たされた後、テセアラの、恐らくは最後となるであろう神子の日々は急激に忙しくなってしまった。彼は、片付けても片付けても減っていかない書類にげんなりとして今や寝台に沈み込んでいる。そんなゼロスの様子を見に来たクラトスが、うー、と呻く彼のすぐ傍にちょこんと腰を下ろしていた。
 かける言葉すら見当たらぬまま、ただただ黙ってその頭を撫でる。それに幾らか気を良くしたらしいゼロスが、珍しくも素直に礼を口にして微笑むものだから、クラトスの胸の内は苦しいほどに痛むのだ。
「……もしかして、気にしてる?」
 ゼロスは普段から、クラトスのあまり目立たない表情の変化を見逃す事はない。今だってそうなのだ。ほんの少しその表情を曇らせた彼にしっかりと気付き、的を得た、というかクラトスにとっては正に図星であることをきっぱりと訊ねて来る。そしてクラトスが何も言わずに目を逸らすと、それを肯定と見なしてため息まじりな笑み声を零すのだ。
「少なくとも俺様はこれがアンタのせいだなんて思ってないけど。天使サマはホント、何処までもネガティヴだよねえ。かわいーくらい」
 そうしてクラトスへと腕を伸ばしたゼロスは、ふいに何やらを思い出したかのような表情を見せ、その後に何事もなかったかのようにクラトスの頭を優しく撫ぜた。やんわりとしたあたたかい手の平は、あっという間に離れていってしまう。
 たったそれだけのことをやけに寂しく感じてしまったクラトスは、そういえば、と思考をめぐらせた。そういえば、自らが小さくなってしまってから今の今まで、ゼロスは全くといっていいほどに自分に手を出して来ない。抱きしめてくれることも無く、よくよく考えてみれば触れることすらおっかなびっくりのようで。
 ああ、気を遣ってくれているのか。―――そう知って。同時にそれを不満に感じた。
 普段ならば、もっと。
 もっと多く触れてくるはずなのに。
「…ゼロス」
「んー?」
 今はこの身が小さいから。
「天使サマ…? どしたの?」
 片腕を伸ばす。そうして彼の頬に触れると、ゼロスはきょとんとした顔をした。それには何も答えようとしないクラトスが、静かにゼロスの顔を覗き込む。
「……抱きしめてもくれぬのだな」
「え、…!? ちょ、天使サマ!」
 何をそんなに驚くことがあるのか、声を上げて後ずさってしまったゼロスが驚愕の目でクラトスを見る。それにこてんと首を傾げたクラトスは、失礼な反応だな、とらしくもなくムッとした。
 二人の間に空いたわずかな隙間を埋めるようにゼロスへと近寄り、わたわたと慌てている様子の彼を真っ直ぐに見る。
 日頃から何かとゼロスにからかわれる事の多いクラトスは、今だけはその立場が逆転しているらしいことに気付いて、くすりと笑った。らしくもなく余裕なさげなゼロスのその様をとても可愛らしく思うのだ。
「てっ天使サマ、忘れてない? 今アンタ子どもでしょー?」
「外見だけだ。生憎、中身までは変わっていない」
「いやまあそりゃそーなんだけどねえ? 俺サマだって一応、イロイロと我慢してるっつーか…あんまりアンタに触ってると、我慢が利かなくなりそーで…」
「……そうか」
 ゼロスの言葉に適当な返答をし、彼へとずいと顔を近づける。さりげなく口付けを強請ってみれば、ゼロスはああもう、と声を零して。
「アンタ…自分がどんなことやってっか自覚あんの?」
「ある。……つもりだ」
「…あっそ」
 ため息を吐いたゼロスが、その両腕でクラトスをきつく抱きしめた。くるしい、と呟いたクラトスのその唇へ口付けを落とし、口内に差し入れた舌で蹂躙する。
 何もかもを奪い去るかのような、長い口付けのその後。ようやくそれから解放されたクラトスの瞳は、既に涙で潤んでいる。
「これでも気ィ遣って我慢してたんだけどねえ。まァ最初に言ってきたのはアンタのほうだし、俺サマもう知らないぜ?」
 手加減など出来ない、と暗に告げる、低い声。
「……構わぬ」
 若干の不安を抱きながらも、強気に応じた。
「おまえが触れて来ぬより…ずっとましだ」
 何時戻るのかも分からないこの身のままで。
 いつまでも気を遣わせるより、よっぽどいい。
「アンタはもー…いつもはそんなこと言ってくれないのに、たまに当たり前みたいに凄いこと言うよねえ。しかもその外見で」
 苦笑い気味に言うゼロスが、そうっとクラトスを寝台に横たわらせた。額にやんわりとした口付けを落とされ、触れて離れていくだけのそれに息を吐きながら、クラトスは小さく笑う。
「……そうだな」
 あまりにらしくないことをした。そして、らしくもなく、後悔などないのだ。
 迷いすらなく触れてくるゼロスのぬくもりに安堵して、委ねるように目を閉じた。




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