ハッピーハロウィン ZK



手を伸ばし、触れれば、当然のように反応するものだから、時に忘れてしまうこともある。だがしかし、それは間違いなのだ。当然のことではない。
忘れちゃいけない。彼は自らの内心でそれを繰り返した。すべて特別なものだ。すべて。当たり前の事なんてない、それを忘れちゃあいけない。
それをふいに悟ると、胸のうちは空洞へと変化する。ぽっかりと空いた穴を、虚しさだけが幾度となく通り過ぎていく。
脳裏をめぐる拍子の速い鼓動。動き続けている、自らの心臓の音。それは片側から鳴るばかり。
そうだこうしよう。彼は自らの内心でそれを繰り返して、そうして手を伸ばすのだ。
薄暗い中でぬくもりに触れる。

―――ハッピー・ハロウィンを満喫する子ども達の輪に、半ば無理やりに引きずり込まれた。そんなゼロスは口を開けば文句ばかりで、そのわりに調子が良かった。
ミイラ男だの魔女娘だの狼少年だのと仮装している彼らが押し付けてきた衣服を身に纏い、ついでに髪も三つ編みに結った。そうして大人連中に大声で菓子をねだり回る彼らの最後尾でちゃっかりと笑っていたのだ。
「クーラートース!」
微妙に解けかかっている包帯を気にもせず、ミイラ男はその手を振る。森を抜けたその先――木造の、家。そこで療養中のはずのその人物は、庭奥の墓前に居た。普段着に、薄紫色のケープを肩に掛けている。常に持ち歩いているはずの剣も、この時ばかりは手にしていないようだった。
呼びかける声に振り向いた青年は、そうして微笑んだ。ゼロスの心中がどきりと鳴る。しかしそれは明らかに自分へ向けてのものではない。たった数歩前に居るだけの、子どもへのもの。
「……その格好はなんなのだ?」
「あー、そっか、アンタは知らないかもな。今日はハロウィンって祭りの日なんだぜ!」
「そうなのか」
「うん、そう。子どもが大人にお菓子を貰う日!」
貰った菓子で両手をいっぱいにしている子どもらへ、彼は近づいた。そうして我が子からの説明を聞き、はて、と首を傾げる。
「…子ども…?」
鳶色の瞳が真っ直ぐにゼロスを捉えた。それだけで胸を高鳴らせるゼロスは、それすら押し殺してへらりと笑う。なんか文句でもあんの、と不機嫌を演じた声色で訊ねると、すぐさまに彼は首を横へ振った。
「ところでさクラトス、アンタはお菓子持ってる? まあ、知らなかったんだし無くても仕方ないけどさ」
「………まあ、無いことは無いのだが」
そう言いながら困ったような顔をした。
「その…三つしかないのだ」
菓子をねだっているのは四人だ。だがしかし、数が足りない。一人分が無いことを知り、子ども達がそれぞれで自分は要らないからと言い出す始末となった。彼が困った顔でたどたどしく言ったのはこれが嫌だったからなのだろう。
くすりと、ゼロスは静かに笑う。
「いーじゃねーのよ、三人で貰えば。俺さまこれでも立派なオトナだからねえ、譲ってやるよ」
「…今までちゃっかりお菓子貰ってたクセに」
「向こうがくれるって言ったらそりゃ貰うだろ〜?」
ゼロスのその姿を横目に見ながら、クラトスは三人に菓子が家の中にあることを伝える。二階の机の上だと。"ならついでに親父にも何か貰おうぜ!"などと意気込み、まるで嵐のように立ち去っていく後ろ姿を、二人が無言のままで見届けていた。

さて、と。
そう呟いてゼロスはクラトスへと向き直る。
彼の姿形を舐めるように見続けると、やがて訝しげな表情を浮かばせたクラトスがそのままでこてんと首を傾げた。
"何だ"とでも問いたげな様子にゼロスは笑う。
「いや、そんな大したことじゃないんだけどねえ。ロイド君たちの前じゃああ言ったけど、アンタからなァんにも貰えないってーのはやっぱ寂しいと思って」
「……まるで子どもだな。菓子はもう十分に貰っているではないか」
「そんじゃ、このお菓子はロイド君たちにあげちゃおうかな。そしたら天使サマ、何かくれる?」
引き下がろうとしないゼロスにため息をついたクラトスが、"何故そこまで意地を張るのだ"とひとり言のように呟いた。
ああきっと一生解らないだろうね。だれの耳に届くこともない言葉を胸の内に零し、ゼロスはそうっと片腕を彼へと伸ばす。
「なんかちょーだいよ、天使サマ」
菓子は無い。それは先ほどの会話から知れている。それでも尚、早く、と要求してくるゼロスにクラトスは困惑した。
「………分かった。そこまで言うのなら、何か買ってきてやろう。だから、少し待て」
「んー…ヤだね。時間掛かる」
家屋の中から漏れて聞こえる、ロイドたちの笑い声。しんと静まり返った黄昏時、それはやけに不気味な音色を響かせている。
「別にお菓子じゃなくてもいいんじゃない? この際だからさあ、俺さまが欲しいと思ってたモンちょうだいよ」
「おまえの欲しいもの……?」
「そー。随分と前から欲しかったもの」
腕を伸ばしたまま、首を傾げてばかりいるクラトスに詰め寄る。
ゼロスは、自らの心中が高鳴るのを感じていた。
ようやく手に入れられるのか。欲しいと思ったもの。思っていたもの。切ないほどに求めたそれを、この今、やっと。
「いいでしょ?」
そうして鞘から抜き出した剣身に、驚愕したクラトスの表情が映る。


ゼロスが心から愛したその人は、"天使"とは名ばかりの、心の底から憎んでいた存在そのものだった。自らの人生を根元から狂わして行ったそれを、ゼロスは愛した。そして彼もまたゼロスのその想いを受け止めたのだ。
片恋でも良いとすらしていたそれだ。想い合ったままで傍に居れるのなら、それだけで確かな幸せを感じていた。
―――次第に欲は大きく脹れていく。
「天使サマー」
やがてゼロスは、当然のように続いている現在が"そうでない"ことを知った。
彼に触れることも、彼がそれを受け入れてくれることも、傍にいることも、共に生きていることさえ。
理解すればするほどに、胸の内の穴は広がっていく。
「ちょいと脅かしすぎちゃったかねえ。謝るからさー、出てきてよ」
木々の間をすり抜ける。天を覆う木の葉の隙間から、橙色の光が零れていた。
クラトスは、息子のその手で死ぬことを望み、叶わなかった。自らを死に損ないだと嘲笑した彼に叱咤する男の言葉を、背後でただ眺めていることしか出来なかったゼロスですら憶えている。
愛したその人はあの言葉だけを頼りに、永遠に命をつないで行くのだろう。
「でもさあ…逃げることないじゃない? 俺さまショックだぜー?」
どれほど共に居ても、寿命の存在するゼロスは、いづれ彼を置き去りにして死ぬ。
けれどもゼロスは天使になどなりたくもないしなれもしない。クラトスを生かし続けるのであろうロイドの言葉を覆せるとも思ってはいない。クラトスは、いづれゼロスが寿命を迎えたその後も、ひたすらに生き続けようとするだろう。
其れに気付いたその時、途端にすべてが特別なものだと悟った。ぽっかりと口を開ける虚しさと共に、愛しさを確かに感じた。
「あー…疲れた。やっぱ体力落ちてんなァ…」
ぐちぐちと零しながら闇の中へ腕を伸ばす。途端、不自然に激しさを増す風が、刃のような鋭さを纏って前方へと吹き抜けた。
風に揺れる葉擦れの音と、微かに上がった呻き声。療養中の弱った身体が逃れきれるわけもなく。
「やっと見つけたぜ。ちょーっと焦ったけどまあ…此処ならロイド君たちにも見つかんねえだろうし、結果オーライ?」
歩み寄りながら呑気に言葉を発するゼロスの視野の中で、立ち上がったクラトスは覚束ない足取りで最寄の樹木に寄りかかる。
「……ゼ、ロス……」
光すら、もう届いてはこない。
「俺さまの欲しいもの、ちょうだいよ。……いいでしょ? クラトス」
そう言って笑う男の名を呼びながら彼は、やがてすべて受け入れるかのように瞼を閉じた。

両の手のひらはひどくあたたかい。
暗がりの中で、ゼロスはおだやかに息を吐いた。
ぽっかりとした空洞がぬくもりに満たされていくのを知る。
たったひとつしかないはずの心臓が、両胸で鳴っているようにすら感じた。




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