つまらない午後



重たい剣を握り、それを振るう男のものにしては随分と線の細い、しなやかな指先だと思った。陽に焼けていない不健康そうなそれが分厚い本の頁をめくる。わけもなくその様をじっと眺めていた。
ぐるぐると脳裏をめぐる思考に目眩を覚える。柄にも無く迷い、戸惑って、考え込んでもなお一向に答えは出てこない。もどかしくて仕方がなかった。
「…天使さま」
呼べば、当然のように顔を上げる。当然のように俺を見る。それに違和感を覚えたのは最近のことだ。…気づかなければよかったとも思った。すべて遅い。
「あー…何言おうとしたっけかな。忘れちまった」
なんとも苦しい誤魔化し方をして、ふいと顔を背けた。後ろから感じる視線がやけに痛い。突き刺さってくるようだ。よくわからない、とそいつは思っただろう。当然のことだ、俺さま自身でさえよくわからない。
常に開け放されたままのベランダから風が入り込んできて、それが遠くからの声をそっと運んでくる。聞き慣れた、幼いような男らしいような…その中間の、声。ああそういえばここはロイド君のお家だったんだっけなあ…などとふと思い出す。
無言のままに過ぎていく、つまらない午後だ。

俺にとってそいつは憎んで然るべき存在で、それ以下はあっても以上はなかった。どんな時でも澄ました顔で決して感情を露にしないそいつを、心の底から嫌悪していた。天使、とは名ばかりの、程遠い何か。人間にも天使にもなりきれない中途半端な存在。なにもかもが気に入らなく、顔を合わせるそのたびに突っかかっていたような気がする。
いけ好かないやつだとばかり考えていた。こいつのことだけは理解できないしするつもりもないと。
そう思っていた自分自身は一体、――何処へ行ったのか。
「………っ」
けほ、と、押し殺した音が沈黙を裂く。口元を手のひらで押さえつけ、苦しげに肩を跳ね上がらせるそいつに、思わず手を伸ばしてしまいたくなる。
実の息子との一騎討ち。体内のマナを犠牲にすることによる、精霊の解放。あの日、崩れ落ちるその体に手を差し伸べたのは俺じゃなく、その命を救ったのも俺ではない。正直なところ躊躇ってしまったのだ。
愛したそのひとは俺が一番に憎んだ存在で、死を以って償うべき罪があるはずだと。
(死んでしまえばいいと)
一瞬だったのかもしれない。それでも確かにそう思ってしまった。

「―――ゼロス」
ふいに呼びかけられ、はっと我に返った。どくどくと鼓動がうるさい。そのわけまではよく分からなかった。冷静を装いつつ顔を上げて、そいつへと視線を向ける。…ベッドの上。しいなから貰ったという質素な寝巻きをまとうその身体は以前よりも随分とちいさくなったように思う。シーツを乗せた脚の上でそうっと組まれた腕がやけに白く、細かった。
未だにひとりで歩くことすら覚束なく、一日の大半をベッドの上で過ごしているのだと聞いた。そして時折、ひどく咳き込む。これでも徐々に良くなっているのだと、当の本人はすまし顔で言うけれど。
「なに? …天使さま」
首を傾げれば、無表情な顔をほんの少しだけ顰ませて、どうかしたのか、と訊ねてくる。なんで? と問い返すと、暫く間をおいてから「思い悩んでいるように見えた」と答えてきた。
そうだともそんなことないとも言えずに、ただただ黙り込む。きっとそいつはそれを肯定と受け取って、ひかえめに困ったような顔をするんだろう。その優しさにいつしか気づいてしまっていた。何をするにも不器用なそいつを、愛おしいと。
「悩んでたわけじゃない」
その言葉は、もしかしたら嘘なのかもしれない。けれど俺はそう答えて、また考え出す。
憎むべき存在だ。それはこの先も変わりようがないだろう。俺は、このひとを憎みながら、…それ以上に愛することができるだろうか?
「体調の悪いアンタには突っかかれないからつまんねえのよ」
「…そうか」
減らず口の悪態をくすりと笑って受け止めるそいつが、安堵したように息をつく。自己嫌悪に陥りそうなのに、同じくらいうれしく感じるのはどうしてなんだろうか。
ため息をつきながら立ち上がり、そいつへと近寄る。ふかふかのベッドの上にどさりと勢いよく座り込んで、そいつの腕を握り、そのまま背を向ける。
触れたそれは驚くほどに冷たい。その指先を手のひらで包み込みながら、ぼんやりと考える。……クラトス。口にしたことすらないその名を、なぞるように思い浮かばせて。
遠くから聞こえるロイド君たちの声が徐々に近づき大きくなってくる。あいつらが帰ってきたら、俺さまもまた帰らなきゃいけない。
名残惜しいと思った。
「さっさと良くなってさあ…たまにはアンタのほうから会いに来てくんない? 行ったり来たりすんの、結構大変なのよ」
その頃にはきっと、天使さま、などではなく―――その名を、大切な人の名として呼べるだろうと。





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