初対面の時の印象は、…私が言うのも何だとは思うが、決して良く思えるものではなかった気がする。
しきりに細められる瞼と、眼鏡レンズの向こう側の赤い瞳。爽やかに見える笑みが何処か意味ありげなものに見えてしまう。
胡散臭い人物だ。――そんな印象を抱いていた。

結論から言えば、それは正しかったと言えるだろう。
彼はどうやら人をからかうことが好きなようで、私自身、情けない話ではあるが、その対象になる事も…ある。
どれもこれも大事に至るような子供じみたものではないけれど、いや、だからこそと言うべきなのかもしれないが、
それらのどれもこれもが、随分と性質が悪い。

今日だってそうだ。
私は休日で、彼もまた同じだったらしい。
昼食後、暇を持て余して、せめて何か手伝えることはないだろうかと宛がわれている部屋を出た。
兎にも角にもホールへ行こうと考えていた。そうすれば何かしらやれる事はあるだろう、アンジェは依頼の分別をよく面倒くさがるし、ロックスはいつも後片付けやら何やらで忙しそうにしている。
せっかく貰った休暇とは言え、何もやることがないというのは苦痛なのだ。
目的の場へと上がる階段。それを目前にして―――。
「おやあ、こんな時間に珍しいですね」
朗らかな声。それに立ち止まり、思わず振り返る。今にして思えば、いっそ部屋で大人しくしていればよかったのだ。


時計の針が進む音だけがする。
アンジェから宛がわれた部屋の中、普段から自分が使っている寝台に座し、壁にもたれかかる形でひたすらにじっとしていた。
酷く気分が悪い。思い出したくなどなくても、ある意味熾烈であったそれは脳裏に焼け付いたまま離れていかない。
廊下で出会ったジェイドから、小さな皿ごと差し出された『あれ』。三枚ほどのクッキーを、ジェイドはロックスから貰ったと言ったのだ。
せっかくだからひとつどうかと言われ、微妙な気分のまま受け取った。ロックスが毎日、船内全員分の菓子を作ることは知っている。ただそれが、何時もよりも早いような気がした。何かの思い違いだろうかと思ってしまった自らが、何より憎い。
「ッ………」
今でも思い出せる。クッキーだと疑いもせずに口にしたそれの、香りと味。いやクッキーであることに間違いはないだろうが、それに入っていたのは。
―――コン、と音がする。やがてドアの向こう側に人の気配があることを知り、静寂を裂くような音が、応答を求めているということも知った。
応えなくては。そう思いながらも、上手く動くことが出来ないで居る。未だに鮮明なまでに思い出せる、…トマト、の、匂い。味。どうにも好きになれぬもの。それが、甘いクッキーの中に大いに盛り込まれていた。
「…入りますよー?」
静かにそう言った部屋の外の人物がドアを開ける。例の、…こう言ってはならないのかもしれぬが、この世のものとも思えぬような菓子を差し出してきた人物が姿を現す。
そのまま静かに近寄ってくる彼を、ひと睨みすることすら出来ずにいた。実際はそうでないものをロックスが作ったのだと偽り、これに関しては確かめようとしなかった私も悪いのかもしれないが、中身が何かを伝えることもしないで。
「あれだけ小さくしても、やっぱり駄目なんですねえ。…トマト」
私が、それが苦手なのだと解っていながら。
「…………」
「気を悪くしないでください。お詫びに、私の手の届く範囲でなら、何でもしますよ」
やんわりと笑んでいる。
それが、どうしても性質の悪い冗談の延長線のように思えてしまう。
私はまだからかわれているのだろうか。……というか、先ほどのあれもからかわれた、のだろうか。最早よく分からない。
唯、其処に怒りのような激しい感情は無く―――どちらかといえば、冷め切った思いを抱く。
「ジェイド、は……」
それが何なのか。それすら、分からない。
唯、ひどく―――。
「…私が嫌いなのか…?」
ひどく、空しい。

思わず呟いてしまったそれは、疑問形でありながらもひとり言のつもりだった。あまりに小さく、掠れて、聞こえすらしないだろうと思った。
それでも、私の目前に立つ彼は身動ぎひとつしなければ、何か声を発することもない。
沈黙が続くばかりで、さすがに不審だと顔を上げる。
「……っ…?」
そして、息を呑んだ。
「まあ…悪戯が過ぎたことには素直に謝ります」
普段のような感じではない。言葉も、声色も、纏う雰囲気も、その瞳も。
ジェイドはじっと私を見つめている。
笑みひとつ浮かんでいない眼が、あまりに真っ直ぐで――― 恐ろしい。怒らせてしまったと、焦った。
「ジェイド、あ、そ…の…」
情けない。情けなくたじろいでしまいながら、どうにかしてその名を口にする。向こうからの返答はない。
怒らせてしまった。怒らせてしまったのだろうが、いやしかし、これは私に非があるのか。いや、けれど、あまりに失礼なことを言ったやもしれぬ。
自らの心拍音が響く。それが、うるさい。逃げ出せるものならば逃げ出してしまいたかった。

「―――嫌いなわけないじゃないですか」

重過ぎる沈黙。その、末。
彼が…、ジェイドが、きっぱりとそう言い放つ。
冗談だ。…などと解釈出来る筈も無い、真剣そのものの、眼。
恐怖をも忘れて見つめる。
高鳴る自らの心音は、緊張のそれと明らかに違っていて。
「…そ……、そう…か…?」
大したことなど言えもせずに、呆然としてしまっていた。


「好奇心に負けてしまいまして…すみませんでした。はい、これお水です」
「あ、ああ…いや……。助かる」
そうっと差し出されたコップを受け取る。たどたどしく返答をしながら、先ほどの記憶を脳裏に浮かばせる。
始めて見る、そんな表情だった。思ったままに零してしまった私のあの言葉を、ジェイドは言葉だけでなく……目に見えるもの全てでも、否定してくれたのだ。
「………」
透明なコップに注ぎ込まれた水を飲み込みながら、隣に座ったジェイドへと視線を移動させる。
その顔に浮かんでいるやわらかな笑み。その静かに細められている赤眼が、何処かやさしいようにも見えるのは。
(…私は……現金な性格なのだな)
自嘲する。
しかし、それでもいっそ構わないような気がした。
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