その日、私は都合よくも休日だった。夏も終盤を迎えているはずで、それでいてなお蒸し暑い、そんな昼時。
何か口にしなければさすがに駄目であろうかとソファから立ち上がった時、見計らったかのようにインターホンが鳴った。
誰が尋ねてくる予定もないはずなのだが、何なのだろう。珍しい。そんなことを考えていたような気がする。
不要なものを執拗に押し付ける、面倒くさいあれでないことを切に願いながら、扉を開けた。その先。
「こんちは。えーっと…最近この近所に引っ越して来たんで、…よろしく」
扉の前に立っていた見慣れない人物は、ひどく不慣れな様子…というか、…何ともたどたどしく言葉を紡いだ。
明らかにたった今、それらしい言葉を探し出しながら話をしている。そしてそれを包み隠そうともしていない。
第一に"暑そうだ"と思ってしまった目前の人物の長髪が、生温い風に吹かれて揺れる。
―――わたしとおまえは初対面だろうか、と、思わず問い掛けそうになるのを寸でのところで堪えた。
自らの記憶をたどる。このような青年と顔を合わせたことはない。…そう断言できるはずで、しかし何処かで…と思えてしまうのは何故か。
ひどく不可解な感覚を抱かされた。それがユーリとの出会いだった。

何処かで出会ったことなど、これまで一度も無い。はずだ。私はあまり他人を覚えるのが得意ではなく、それを他人に指摘されることもあるし、それなりの自覚もある。
故に、"絶対にない"と断言は出来ない。覚えていないだけだという可能性も十分にあるのだ。
しかし、…どうなのだろう。初めて顔を合わせたあの時、彼は私を見た途端にぴたりと硬直した。
ただそれはほんの一瞬で、本当に"私を見て固まった"のかも怪しい。その後の会話には特別、私を知っているというような様子はなかった。
近所に住んでいるのだから、顔を合わせることも多々にある。初めはたった一言二言の挨拶くらいしか交わしはしなかったが、そうしているうちにそれ以上を話す機会も増えてきて
……時折、互いの家に上がることがあるくらいの、仲…というのだろうか。には、なった。
「…………」
大雨。それにため息をつく。つい先ほどまで晴天であったはずで、それだからわざわざ此処まで歩いてきたというのに。
平日だからなのだろうか人もまばらな本屋の中であれば買いたいと思っていたものを探しているうちに、何時の間にやら青色だった空は曇ってしまっていた。
生憎、傘も何も持ってきては居ない。この近くにそれらしいものを売っている店はない。そう記憶している。少量ならば濡れるのを覚悟で帰れもするが、…さすがにこの激しさでは。
店の入り口から少しばかりずれた場所。出来うる限り迷惑のかからぬ場所を選んだつもりでいる。かろうじて雨を防いでくれている其処に立ち竦み、再びため息をついた。
雨が弱まる気配すら、今はない。

今では紛うこともなく"知り合い"と言える。最初のあの挨拶はユーリ曰く"友人にしつこくするように言われて渋々"だったらしいが、そうであれどもユーリは、その…とても良い男だ。
私は、どうにも人付き合いが苦手で…それでも彼と居るときは、苦手だということすら忘れかけてしまうことがある。彼といることに苦痛を感じない。だからこそ気になってしまったまま、それから抜け出せないでいる。
ユーリ・ローウェル。…私は…彼と、何処かで。
「よお」
「―――…?」
唐突の声。と、共に、頭上に何かが広がる。目線を上へと遣り、よくよく見てみると、それは傘のようだった。薄青色をした、傘。
噂をすれば影とはよく言ったものだが、この場合もそれに入るのだろうか。先ほどまで何となく脳裏を占めていた人物が、今正に目の前に居る。
「何でこんなとこでぼーっとしてんだ? 車は?」
「……徒歩で来たのだ。急な雨に足止めをされた」
「歩きでここまで? 結構遠いぜ?」
何処か呆れた様子で言うユーリのその背後には自転車。前方に取り付けられているグレーの籠の中には見慣れたスーパーの袋が入っている。買い物の帰りなのだろうか。
「傘は……。あったらとっくに歩いてるか。なあ、俺に提案があんだけど」
「…提案?」
「そ。…ハイこれ」
傘の柄をぐいと差し出され、困惑した。どうすれば良いのかを迷っている間にも、彼は私の片手を持ち上げ、手のひらの中に藍色のそれを押し付けてくる。半ば強引に傘を持たされてしまった。
「どうせ家も近いんだし、一緒に帰ろうぜ。俺、自転車。アンタは傘をさす。何か異論は?」
「………さすがに自転車には追いつけない」
「…なんつーか、アンタも変なトコでズレてるよなあ。俺は自転車引きながらフツーに歩くぜ、安心しろ」
随分と失礼なことを言われたような気がするが、……敢えて聞こえなかったことにしておこうと思う。先ほどよりはマシになっているかもしれないが、どのみち大雨であることに変わりはない。
申し訳ないとも思ってしまう。が、助かったのもまた事実だ。文句など言えるわけもない。

私はお前と何処かで会ったことがあるだろうか。何度もそう尋ねようとして、結局のところ問えたことはない。気のせい以外の何ものでもないのかも知れぬし、決してそうではないと言えるだけの根拠も存在しない。
ただ―――。
「アンタさあ、テレビ見る?」
「…? いや…あまり見ないな」
「だろーと思った」
想像通りだと笑う。それに首を傾げる私に、彼はまた笑い声を零すのだ。
「天気予報ぐらいちゃんと見たほうがいいぜ? ちなみに今日は午後から雨、傘の持参を推奨。――外れる時は外れるけど、まあ、最近は結構当たるからな」
その、声も。瞳も、姿も。笑ったときの表情ですら、懐かしく感じられる。
それは何故だろう。
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