確かそれは、馬鹿と、騒々しい守銭奴とで仕事に出向いた時のことだったと思う。
二人で盛り上がっているうるさい奴らを尻目に、さっさと依頼を済まして帰りたい、とばかり考えていたような気がするが
その中でさえもきっちり、頭の中に残っていた話が、あった。
今日は誰々の誕生日なんだよ。という、ディセンダーの言葉が発端だった覚えがある。だけど、誕生日って、なに? などという、馬鹿らしい疑問から話は次第に大きく広がっていって、
何時の間にやらそいつらは、船内にいるやつらの誕生日を(思い出せる範囲で、だとは思うが)言い始めた。
それ自体には何の興味もない。それだから参加することもなく、ろくに聞いてすら居なかったけれど、…ふと。
たった、一人だけ。気になる人物が、浮かんで。
「そういえば…クラトスの誕生日って、全然聞かないわね」
ぴくりと耳の奥が反応する。敵の気配の有無に気を遣いながらも、意識は完全に話の中に向いていた。
「あー、クラトスはね。"忘れた"って言ってたよ」
「忘れた? 自分の誕生日なのに?」
「うん。必要ないから忘れた、思い出せない、って。私が聞いたとき、そう言ってたよ」
クラトスは、気が遠くなるほどの歳月をひたすらに生きてきた。
四千年以上。それを僕は、噂が船内中に広まるその前に、本人の口から聞いてはいたが。
永く生きるということは自分のことすら分からなくなってしまうものなのか。ましてや、自分の誕生した日を"忘れて"しまうなど、なかなか理解のし難いものではあった。
「でも…はじめから知らない、とかならまだ分かるけど。忘れちゃうなんて、なんだか寂しいものがあるわね」
呟くようなルーティの、その言葉が。
数日経った今でも、なお離れていかない。


忘れてしまった本人にとっては、案外、どうでも良いことなのかもしれないが
自分の誕生日を思い出すことすら出来ない。ということは、正直言って異常だ。
ごく普通の感覚から言ってもそうだし、個人的には、"恋人として"も、そうだと思う。
…だって、恋人同士なら普通、互いの誕生日を祝ったりとか、そういうことをしたりするものなんじゃないだろうか。
本人が自分の誕生日を知らなければ、この先もずっと、それを祝える日は来ない。
それは、何より、僕が嫌だった。
「クラトス」
「……リオン?」
「来い」
仕事から帰ってきたばかりのクラトスを捕まえ、有無さえ言わせぬまま共に船を下りる。
向かう先は、あの連山。其処には、個人的に思い入れが沢山ある。
訝しげなクラトスに曖昧な返事をしつつ、モンスターさえ入り込まないほど奥へと進み、見晴らしの良い高台までたどりつく。
風が、穏やかに吹いていく場所。
「なあ、クラトス」
ぴたりと足を止め、そのまま振り向く。
どきどきと心臓がうるさくて、自分が今ひどく緊張しているということを今更知った。
「お前は……自分が産まれたその日を、忘れてしまったと。あの馬鹿に、そう言ったそうだな」
「……? あ、ああ…?」
突然の質問に戸惑いながら、それでも特に間を置くこともなく頷いたクラトスに、とても微妙な気分を抱きながら
手にしていた白色のちいさな袋の中に片手を突っ込み、そこから四角い箱を取り出す。
こてんと小首を傾げ続けるクラトスへ歩み寄って、きれいな暖色のそれを差し出した。
「やる」
その箱と僕の顔を交互に見ていたその人が、やがて静かに動き始める。
躊躇いを引きずった腕の動き。それが僕の手のひらの中から、箱をそうっと取っていって。
クラトスが、その箱を開けようとする。その様子を、息を詰まらせながら見上げた。
「…これは…?」
こちらから中身は見えないものの、事前にしっかりと確認はした。
誕生日の一件を耳にしたその数日後から、…昨日まで。出来る限り内密にしつつ拵えた、それは。
「つけてみてくれないか…?」
そう言いながらも、さりげなくクラトスの手のひらから箱を奪って、
その中心にちょこんと飾られている銀色を、指先で慎重に取り出す。
片手でぱたんと箱の蓋を閉じながら、ちらりとクラトスの表情を窺ってみると、その人は長い前髪に隠されがちな頬をほんのりと赤く染め上げていて
……嫌がられてはいないようだ、と。先ずそこに安堵した。
動かないその人の左手を取り、グローブを外してしまって、露になった薬指にそうっと輪を通す。それはすんなりと指を通ってゆき、根元あたりでぴったりと止まった。
ほっと息をつきながら、無事に銀色を宿すことの出来た左手を持ち直し、綺麗な手のひらに触れるだけの口付けを落とす。
「ありがとう」
「っ…?」
「生まれてきてくれて」
世界の中で、生を受けて。そこから永いときを生き、今、こうして僕と共にいてくれている。
この人という存在が、ひどく愛しい。
「自分の誕生した日すら思い出せないというなら、…この日を、覚えていてほしい。この先もずっと、僕がこの日に、貴方の誕生を心から祝う」
失くしてしまったものは取り戻すことが出来ないかもしれないけれど。
僕は、この人が生きてきたことを、生きていることを。それがとても素晴らしいということを、形として伝えていきたいから。
―――石のように硬直し、呆然としていたクラトスが、ふいに視線を指輪から僕へと移動させる。
その頬は、先程よりも赤い。
「……ありがとう。リオン…」
顔を真っ赤にさせながら、それでも視線を泳がせることもなく。
ちいさな声で呟くように言ったクラトスの微笑みに、こっちの顔まで熱くなっていくのを感じて
其れでも、胸の奥底から湧き出てくる暖かさが、ひどく心地良い。


05.その微笑みに満たされて
(貴方が此処にいる。その、幸せを)
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