また大粒の涙が溢れた。胸が張り裂けそうだ、そんなことを思いつつベレスはディミトリを見る。彼の額や頬のあたりなどには汗が光り、大きな手はベレスの身体を這いずり回る。その度に声が上がって、なんとかそれを押し込もうとしてもかなわない。噛んだ唇から血の味が口に広がるのに、全身を巡るのは快感と呼べるものに近くて、ベレスはその差に溺れかける。
 ディミトリの方も余裕は無いようだ。このまま最後まで――と考え、そうしてはならない、と叫ぶ自分を見つけるものの、その叫び声は彼女の嬌声に覆い隠されてしまう。もう、とっくに自分たちは落ちているのだろう。互いのことを見つめて、そのまま深く口付けを重ねていく。 
 もっと、という言葉が出そうになるのを、ベレスは堪えた。しかし、彼には見抜かれていたらしい。時計の秒針が煩い。ディミトリの指が閉じられた部分まで到達する。ああ、とベレスが声をまた上げた。はしたない。そんな風に自分のことを諌めようとしても、心が彼を求めている。あちらこちらに引っ掻き傷のついた心が、どうしようもなく求めてしまっているのだ。彼のことを。彼から与えられるものを。分針が進んだ。その音がやけに大きく聞こえる。
「……あ、あ……もう……」
 涙や汗。そういったものでぐしゃぐしゃになってしまった顔で、ベレスが言う。欲しいのだ、彼のことが。人間というものには「運命の人」という存在がいて、その人とは赤い糸で結ばれているのだという。そもそもベレスはそういったことや、占事を信じるタイプではなかったけれど、話くらいは流石に聞いたことが有る。赤い糸。指先から伸びたそれは、彼と繋がっているのだろうか。そこまで考えて、だが答えは何処にも見えなくて、代わりに求めていたものがぐっと押し寄せる。
「あああっ……!」
「くっ……」
 突如として鋭い痛みが走った。すべてが色を変えたかのような、そんな衝撃とともに。ディミトリが声を漏らし、やや顔を歪めているのが分かる。自分たちがひとつになったのだと気付くのに、少しだけ時間を要した。熱いものが押し入り、何度も、何度も、これまでに味わったことのないものが駆け巡る。べたべたの頬に、ディミトリの手が触れた。先生、と彼が呼んでいる。しかしベレスの口から出るのは、意味を成さない喘ぎ声だけ。
 苦しいのかもしれない。痛みもひかない。けれど――それ以上に、もっと違ったものがベレスを満たす。こんなことをしてはいけない。本当ならば許されない。ひたひたと迫るそういった背徳感のようなものと、もう抗えない程の快楽。ディミトリがじっと見ている。ベレスもまた目を向ける。無意識にベレスも彼の顔に触れた。此処にいる。それを確かめたかったのか、それとも、もっと触れたいと心の奥にあった欲望が溢れたのか。
「あっ……あああっ……んっ……!」
 繰り返される律動は、確かにベレスのことを限界へと導く。なにもかもひとつに溶けてしまえばいい。そのまま、元に戻ることが出来なくても。そんな良く分からないことを互いに思ってしまっている。
 自分たちは戦争の真っ只中を生きている。復讐を遂げる為に。大切なものを守る為に。生きる為に。理由はそれぞれある。それを成し遂げる為に、苦難を乗り越え、厳しい日々を過ごしてきた。そんな中で、ディミトリとベレスは、今の関係に落ちてしまった。ベレスがディミトリを想っているのは事実。ディミトリもまたベレスに感情を抱いている。だが、結ばれたということでは無い。この行為は、本当に愚かなことだと明日の自分は思うかもしれない。だけど、止められなかったのだ、どうしても――。
「あ、ああっ……そ、そこ……」
「……ここか?」
「あああっ……!!」
 なおも、発する声。ベレスは声を押し殺すことも出来なかった。全身が痺れてしまったかのようだ。ディミトリの目が彼女だけを見る。熱を孕む眼差しに、ベレスは求めた。何度も、何度も、繰り返し彼のことだけを。
「もう、だめ……だめ……」
 ベレスが訴える。与えられた快感は満ち、限界が来たのだろう。ディミトリは容赦なくそれへとベレスを導く。彼もまた、同様のものが迫っている。激しく続いた、それの終わりが訪れようとしていた。しつこく流れ出る涙を、ベレスはもう気にかけることなく、ただ彼のことを見る。ディミトリが彼女を「先生」と呼び、彼女が何かを発そうとしたその刹那――絶頂が訪れた。迸る快感は、酷く高い熱を放つのだった。
 
 疲れ果てたのだろう。ベレスがそのままの姿で横たわっている。ディミトリは目を瞑った彼女の額に唇を寄せ、そしてそれから頬に触れた。こんなことをしてはいけなかった。本来であれば、絶対に。だが、彼女がそれを受け入れた時――秘めてきた想いから、目を背けることが出来なかった。湧き上がった欲望を押し殺すことも出来なかった。自分の為ならなんでも、などと言うベレスを――自分のものだけにしたかったのだ、ディミトリは。
 
 少しずつ朝が迫る。空は次第に白んでいく。早起きの鳥が鳴き始めている。朝の早い者たちはそろそろ活動を開始するだろう。ディミトリは目を閉じたベレスをちらりと見た。このまま、ずっとふたりでいられたらいい。そんなことを考えて、ディミトリは首を横に振る。世界はふたりだけで構成されている訳ではないのだ。黒い感情で満たされていた彼の胸に、小さな穴が穿たれ、そこから淡く光が射している。それはベレスが与えたもの。けれど、彼の心にはまだ深い闇と、赤い傷が幾つもある。少しずつ、その光は強くなるのだろうか。そこまで考えて、ディミトリは自嘲気味に笑う。そんなことは、きっと、無い。彼女と交わったのは、今だけの関係として。運命だとか、宿命だとか、そんなものは無いのだ。こんな自分には、一切。
 ディミトリはベレスを見つめる。ベレスは、夢を見ているのだろうか。彼女は、もしかしたらその夢の中にいたほうが幸福なのではないだろうか。ディミトリは胸が痛むのを感じながらも、そう思って彼女を起こそうとはしなかった。自分から彼女がここに戻るまで、待とう。そしてそこで何を告げればいいのかは、まだ、分からない。それが、今の自分たちの答えだった。
 

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