失われゆくものを留めたい一心で

 愚かだった。失ってからその愛しさに気付くなど。
 
 あの日からよく眠れない。なんとか眠りの国へ足を踏み入れても、そこにあるのは残酷な光景。目を覚ます度、レオンは苦しくなる。夢は色彩に溢れていて、自分が見上げるのは暗夜王国ではまず見られない青空。青い空なんて大嫌いだ。レオンは荒い息を吐き出した。
 ずっと大切に思ってきた、歳の近い姉――カムイ。ずっと一緒に生きていけると信じ込んできたのに、彼女はこの国から、レオンの側から離れていった。有ろう事か敵国の王女だったのだ、カムイは。白夜王国という光に愛された国。そこが彼女の本当の祖国であり、レオンたちと積み重ねてきた時間は風化していったのだろう、レオンが好いていた彼女はもうここにはいない。
 もう彼女のことを考えるのはやめるべきだ。そう分かっていても、どうしても考えてしまう。彼女と過ごしていた日々は、レオンにとってとても大切な宝物のようなもの。しかしカムイにとってはそうでなかったのだろう、全部を切り捨て、彼女は夜刀神を振るっている。白夜王国の第二王女カムイとして。
 
 レオンは私室を出て、書庫へ向かった。早朝。肺に入り込む空気は酷く冷たい。こんな時間から、しかもひとりで書庫になんて籠れば、また兄に叱られる。だが、それでもひとりでいたかったし、カムイのことばかり考えてしまうから読書に逃げたかった。
 僕たちがずっと一緒だったのにな、とレオンは思う。何度も思ったことだ。本当の家族だと思ってきたし、たとえ血の繋がりが無かろうとカムイは大切な人物であることに変わりはなかった。レオンからすれば。カムイは違ったのだろう、あんな風に暗夜を裏切ることが出来るのだから。
 押し寄せるのは寂しさと、悲しみと、それから憎悪。何度も何度も波のように。レオンは書庫に入って、奥へと進んでいく。なんとなく手を伸ばしたのは、この暗夜王国に伝わる星にまつわる神話の本だ。カムイはこういった本を好んでいた。だから、なのだろうか。レオンはそれを手に取り、まじまじと表紙を見る。確か、カムイはこれを読んでいた。あの北の城塞に、レオンがこれを持って行った。季節は冬だった。真っ白な雪に包まれた古城で、ひっそり暮らしていた彼女のもとに。カムイは喜んでこの本を読んでいたように思う。彼女は星が好きだった。満天の星を見上げて喜ぶ小さい姉のことを、レオンは今でも鮮明に思い出す事が出来る。けれどカムイはその星空をも捨てたのだ、まるで今の自分は失ってしまった彼女との記憶を留めるのに必死だ。息苦しい。
 
 カムイ姉さん、と無意識に落ちた言葉に、心も軋む。もう、姉ではない。家族ではない。大切だった彼女は、裏切り者の烙印を押されており、そう遠くない将来ガロン王は下すだろう、彼女を――白夜王国のカムイ王女を殺せ、と。
 だけれど、その方がいいのかもしれない。カムイのすべてを奪って、全部を過去にしてしまった方が。こんな関係のまま啀み合い、心を蝕まれるくらいなら、いっそ。彼女の生に終止符を打ち、何もかもを終わりにしてしまった方が。
 歪んだ感情だ、とレオンは自分でも思った。しかしこれが事実であり、現実なのだ。本当に愚かだ。そして哀れだ。何もかも。
 
 泣いているかのような、風の音が聞こえる。レオンは本を閉じ、静かに頬を濡らした。