君の手を取り求める楽園は何処に
星界に月が昇る。銀色に光るそれは、黒く塗りつぶされた空に穿たれた穴のよう。
ここはカムイとその仲間たちが心身を休めるキャッスル。その中心部にあるのが、カムイの私室でもあるツリーハウス。そこには主であるカムイと、その弟にあたるレオンの姿があった。
「――今日はここまでにしておこうか」
レオンが本を閉じながら言った。彼はカムイに戦術を教えているのだ、カムイに必要なことならばなんでも教えたい。そうレオンが言ったのはいつのことだったか。カムイも手にしていた羽ペンをテーブルに置く。時計の秒針は正確に時を刻み続けている。勉強が一段落したところで、カムイが伸びをした。レオンはとても厳しい。だが、それはカムイの為。これは、軍を率いる者として必要なこと。小さな檻の中で時を過ごしていた頃とは違うのだ。カムイは、多くのものを背負っている。覚悟と責任。北の城塞で、まるで草花のように生きていた日々はもう過去のものである。
「今日もありがとうございます、レオンさん」
「うん。で、これが次回までの課題だよ。今までよりは難しいかもしれないけど、頑張って」
姉さんならきっと出来ると思うよ、そう続ける弟の顔には小さな笑み。こうやってふたりっきりで過ごす時間がレオンは好きだった。世界を知り、これまでよりずっと多くの絆を結んでも、カムイはレオンに微笑んでくれる。その笑みを独占できるから、この時間が好きなのだ。カムイの花のような笑みは優しくて、それと同時に大変愛らしい。
もう随分と遅くなってしまいましたね。そうカムイは言いながら、部屋を出るレオンを見送る。また明日、と言って彼の背は小さくなっていく。もう少し一緒にいたい。そう願いながら、カムイは首を振る。彼だって忙しい。そんな忙しい中、時間を割いて勉強を見てくれているのだ。これ以上、我儘を言う訳にはいかない。寂しい。そんな感情が胸の奥に芽吹く。それは独りではないあたたかさを知ってしまったがゆえ。冷たい風が吹き抜けていくのをカムイは感じ取りつつ、扉をしめた。ひとりの部屋は、さっきよりもずっと室温が下がってしまったかのよう。
「……そろそろ、眠りましょうか」
カムイは呟く。明日は戦闘の予定は無い。休息日だって必要だ、いくら戦時中とはいえ。キャッスルのあるこの星界に流れる時間は、実世界とはまた違ったスピードで進む。それはとても有り難いことだ。カムイのもとに集った暗夜と白夜のきょうだいたち。そして仲間たち。全員に与えられる自由な時間。カムイは願っている。その時を彼と――レオンと一緒に過ごしたい、と。そこまで考えたところで、カムイはかっと顔が熱くなっていくのを感じた。弟に対して、なんて感情を抱いているのだろう。血が繋がっていないと言っても、彼は「弟」だ。ずっとそうだったし、これからもそうあり続けていくべき。それなのに、彼女の心は叫んでいる。感情は波のように押し寄せてくる。レオンの一番になれたらいい、だなんて。
ベッドにカムイは横たわる。白いシーツに長い銀の髪がぱあっと広がった。目を瞑っても、思い描いてしまうのはレオンのことばかり。これは一方的な感情。カムイはそう思い、唇を噛んだ。彼を愛してしまった。ひとりの男性として。こんなことは許されない。彼にバレてしまったら、軽蔑されてしまうかもしれない。マークスやカミラやアクアたちだって、良いと思わないかもしれない。カムイの目に涙が光った。それがシーツにしみを作っていく。生々しい現実と、それに寄り添わない願望。
「レオン……さん……」
ついさっきまで、そこにいたのに、また会いたくて仕方がない。愛おしい。寂しくて心が揺れる。その感情は収まるどころか次第に強く強くなっていく一方だ。自分は彼の「姉」として生きていくべきなのだ、一線を越えることを望んではならない。
――眠れない。カムイはベッドから抜け出した。一枚上着を羽織って、ツリーハウスを出る。外は静かで、しかし降り注ぐ月光が優しくて、カムイはそれを懐かしく思った。北の城塞で見上げた月にどことなく似ている。そのまま少しだけ歩いて、泉のほとりへ向かった。そこでカムイの心臓が跳ねる。そう、そこには先客がいた。先程からずっと心に焼き付いていた彼――レオンがいたのだ。レオンの背を見て、カムイは驚くのと同時にそれとは違う感情を抱く。
このまま彼に気づかれないままでいた方がいいのだろうか――カムイがそんなことを思うと同時に、レオンが振り返る。彼の血のように赤い瞳がカムイのことをとらえる。カムイの瞳も、同様。見開かれた四つの瞳。カムイは胸がざわめくのを何とか隠すように、彼の名前を呼ぶ。いつもよりもずっと辿々しい声。レオンが一歩、カムイに歩み寄った。
「眠れないの?」
彼の問う声に、カムイは頷いた。
「そう。僕と一緒だね」
「えっと……その、レオンさん、も?」
「……うん」
ふたりは並んで水面に映る月を見た。鏡のようなそこできらきらと輝く月は、まるですべてを見透かしているかのよう。
「ねえ、カムイ姉さん」
「はい?」
「……こうやってふたりで過ごせるの、嬉しいよ」
薄暗いのに、カムイには見えた。レオンの頬に赤い色が帯びていくのが。そして、それは彼女の方も同じで、どちらともなく手が繋がれる。
今はまだ、関係に変わりはない。だが、そう近い未来、変わるかもしれない。それを知っているのは、高い高い場所からすべてを見下ろす月だけ。カムイはレオンの手をぎゅっと握った。すると彼もまた握り返してくれる。さらさらと砂のように流れていく時間。ふたりは暫くの間、そうしていた。言葉が少なくとも、それでも、相手の存在をこの手で感じ取れるなら、幸福だと。